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「○○さんは、どうしたいの?」

小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

みんなで公立小学校教員になろう!さんの記事をいつも「すごく考えさせられるなぁ…」と思いながら読ませていただいています。

今回のテーマは、「子どもの気持ちを察する教員は要らない」でした。これ、すごく共感したんです!

「先生、教科書忘れた…」「先生、お腹痛い…」

最近、こうやって言いに来る子どもたちが多いなと感じます。子どもたちは、おそらくこういうやりとりを想定しているのかなと思います。

「先生、教科書忘れた…」
「そうなんだ。じゃあ、先生の教科書を貸してあげるね。」
「うん。」

「先生、お腹痛い…。」
「そっかあ。それは大変。どうする?保健室に行った方がよさそう?」
「んー…。そこまでは大丈夫そうだけど…。」
「じゃあ、とりあえず教室でちょっと休んで、もし我慢できなかったら保健室に行くことにしようか?」
「うん。」
「じゃあ、何かあったら声を掛けてね!」

これって、
 「子どもが事実を言う」
  ⇒「先生が先回りをして、困りを解決する提案をする」
  ⇒「子どもは、提案に対してうなずくだけ…」
そんな構図ですよね。これって、大人が先回りすることで、子どもが考える機会を奪っているように思います。

「○○さんは、どうしたいの?」

私は、いつもこう聞くようにしています。

「先生、教科書忘れた…。」
「○○さんは、どうしたいの?」

「先生、お腹痛い…。」
「それは大変だね。○○さんは、どうしたいの?」

こう聞いてあげることによって、判断を先生に預けようとしている子どもが、自分で考えなければならなくなりますよね。もちろん、特に低学年で応えに困るようなら選択肢を教えてあげます。

「先生、お腹痛い…。」
「それは大変だね。○○さんは、どうしたいの?」
「んー。」
「どんな痛みか教えて!」
「お腹がずきずき痛くて…。」
「もしトイレですっきりするならトイレだね。痛み具合によるけど、ちょっとくらいなら教室で様子を見ようか。もし、我慢できないくらいなら保健室だね。お腹の痛みは○○さんにしかわからないから、どれか選んでね。」

最終的には、判断を人に委ねないで、自分で考え、行動できる人に育ってほしい!

今の子どもたちは、けっこう判断を人に委ねる傾向が強いなと思います。おそらく家庭では、全てをおうちの人が先回りしてやってくれているのでしょう。自分もそうですが、自分の子どもを赤ちゃんの頃から見ているとどうしても困っている姿を見たら手を差し伸べてしまいますよね。でも、子どもは自立していくものだし、それを親も、先生も支えなければいけない。だからこそ、「○○さんは、どうしたいの?」。ちょっと冷たいかもしれないけれど、こんな声掛けをしています。




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