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ゴミ屋さんに幸あれ

 「ゴミ屋さん」が来る。ゴミ屋さんといってもゴミを販売しているのではなくて、収集してくれる人ね。

 ここは、日本のように決められた集積所はなく、ゴミ屋さんのトラックが早朝に各家を回って持って行ってくれる。だいたい三日に一度くらいのペースであるが、スケジュール表のようなものは勿論ないので、ゴミ捨てするこっちが次回の予測を立てて行動しなければならない。けれども「次回の収集予測日」が祭日だったりすると、そのペースは当たり前のように狂う。そして「祭日なので○日は収集しません」のようなお知らせも当然ながら無い。
 また、トラックの不具合などで来ない場合もあり、その場合は一時的に収集がストップしてしまうが、気がつけばまた再開していたりしていて、そうすると、こちらとしては次回の予測がごちゃごちゃになって、結局いつ来るのかハッキリ分からなくなり、もう仕方なく敷地の外ギリギリのところに適当に出して、いつでも来い! とスタンバイしておくしかない。
 が、それをやると夜中にそこら辺でフリーダムを謳歌しているボヘミアンな犬たちにゴミをめちゃくちゃにされてしまうことが多々ある。
 一度詰めたゴミを盛大に散らかされ、それをまた集めるという行為は虚しく、そして腹立たしい。ここではゴミの細かい分類は各家庭での義務ではないようなので(そうだよね!?)、私たちは何も考えず袋に詰める。玉ねぎの皮もあれば、チョコレートの包装紙に、鶏の骨も入っていれば、果ては猫の嘔吐を処理したティッシュ、底に穴の空いた靴と、見事なラインナップだ。

 それが東側の道にぶち撒けられているのだ。
 まさに地獄絵図。
 爽やかでありたい朝に、私はホウキとチリトリで、トホホーと半泣きになりながらそれをかき集める。犬に対しても悪態をつきたくなるが、そもそもゴミ収集の日が明確になっていればこんなことにならないのでは!? という思いが胸中煮えくり返る。

 けれども。

 私はゴミ屋さんが好きなのである。ここのゴミ収集トラックは、荷台の大きな普通のトラックであって日本のものとは違う。その荷台へポイポイとゴミの袋を投げ入れる人、荷台の上ではそれが落ちないように足で踏み固める人。彼らはいつ見てもキビキビ働いている。そして帰りは来た道を、荷台いっぱいになったゴミの上に乗って帰っていくのであるが、それを見ると私はいつも合掌したい気持ちに自然となる。
 
 捨てた張本人たちでさえ、もう触りたくないようなものを彼らは持って行ってくれる。手袋や長靴を履いているとしても、イヤな顔ひとつせずに持って行ってくれる。どんなものがどんな風に袋に詰められているかもわからないのに。
 これを有り難いと言わずして何と言う?

 私たちが気持ちよく生活するには彼らは欠かせない存在である。

 そんな存在は他にも沢山あるはずなのに、何故か私はゴミ屋さんにそれを強く感じてしまう。
 なので、帰り道、山となったゴミの上にさっぱりとした表情で乗っている彼らを見ると私は嬉しくなる。
 私の目には、ゴミの山の上の彼らはよその船を襲って一仕事終えた海賊のようにも見える。
 きったない格好をしているし、きっとゴミにまみれて臭いのだろうけれど掛け値なしに彼らはカッコいい。

 今日もありがとー! 
 彼らに沢山の幸がありますように!

 ゴミ屋さんじゃない人たちにもね!
 

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