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甘さと人類(雑記1)

了してやまない甘さ。自分にとってベストマッチの甘さに出会うと「お!!これ待ってたよ!!これだよこれと思う時がある。
あんこの甘さは苦手なのでおはぎは大嫌いなのだけれどきな粉餅は大好きな自分。
適度な甘さは好きだが、ある閾値を超えると嫌いになる。
塩も酸っぱさもある限度を超えると誰でも嫌になるのは一般的と思うが、甘すぎると嫌いになってしまう自分の感性を可笑しく思う事が度々ある。

 甘さに対する許容度はお国柄にもよる。
アメリカ人であればこれでもかというくらいの強烈な甘さが好む一方で、日本人であれば良い塩梅の甘さが好まれる。個別的なバラツキはあるとしても鳥の目で大きく俯瞰的に見ればそう言えるだろう。

 中国の孔子が門人に「過ぎたるは及ばざるが如し」ということを説いており意外と日本人が孔子の論語に影響されたのかわからないが中国とは海を挟んで隣り合わせていて米や仏教の伝来など中国の影響を多分に受けていることから、孔子の説く中庸の重要性は自然と影響を受けているのかもしれないし、日本の自然観を通じて自然と馴染んだのかもしれない。
アジアのモンスーンの影響を受けて降雨量が多くて豊作に恵まれていたものの自然に生かされながら生きてきた人々にとって自然とは持ちつ持たれつの関係なのだろう。人の欲望のままに自然を搾取し過ぎれば不作に追いやられ、かといって自然のままで作物を作ろうとすれば収量は十分に確保できず人が飢えてしまう。人類の思想が食の好みに反映しているかと思うと、人の感性も文化的重要な遺産に見えように思えてくる。

 と考えつつも、「過ぎたるは及ばざるが如し」という世界が全てだとも思わないし、それだけでは世の中は成立はしない事は自明である。アメリカ的に好まれる甘さ、つまり「限界を突破して飛び抜けた甘さ」のような思考も世の中にとってはとても重要だ。人口を増やすと共に豊かさも享受することを可能にしてきたのは数々の限界を突破するパラダイムシフトを引き起こすようなアイデアや思想、科学的発見や発明だ。自然は人がコントロールしてなんぼという思考様式、キリスト教チックでアングロサクソン系の思考様式にあやかって私たちの今はあるのだとある一定の感謝をしている。 

甘さの好きな程度ひとつとっても多様性があり、多分に自然や文化、地理的なもの、その他の影響を色濃く受けていることが想像できる。人の感性に関する豊かさに興味は絶えない。

 甘さや味覚を通じて自然や文化、伝統、過去の地理的な要因、歴史に浸ることに豊かさを感じつつもある一方では、生物学的、または心理学的に考えると、甘さというものは人類にとって手放しで両手で喜べるものでないと思う時はある。

この続きの頭の整理はまた次回にしようと思う。

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