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甘さと人類(雑記4 古代文明〜大航海時代以前)

 この時代の甘さに関する意味は全時代の万能薬だったり権力の象徴だったりしたことに加えられて商業的な意味が付与された。

 大航海時代という言葉を見た時に思い浮かぶ方の多いだろう悪病高き奴隷貿易(三角貿易)のルーツであったのかもしれない。三角貿易とは、イギリスと西アフリカとアメリカ大陸近郊のカリブ海などの島々の貿易であり、イギリスは綿花を輸出し、西アフリカから奴隷をカリブ海へ送り込み、カリブ海で豊かな土地でサトウキビを奴隷に作らせて、とても安価な価格でイギリスに輸入したり、他国へ高い価格で売り込んでいた。これにより誰が得をしたかと言うとイギリスなど一部の富裕層のみだった。イギリス全体を悪者にしたいところだが実際に当時イギリスの一般市民は農地から引き剥がされて人間の尊厳を剥奪されたかとのような苦しい人々が多く大変苦労していた。と言う話はこれくらいにしてまた次回にする。

 甘さの摂取は量産しやすい砂糖が中心であり。当時の砂糖の原料となるサトウキビは暑い地域でかつミネラル豊富な大地でなければ生育しないため生産地域はかなり限定されていた。日本だとサトウキビが生育する地域は鹿児島より以南の島々が中心であろう。日本でのこの時代の砂糖は大変貴重であった。日本の場合は米を甘く糖化させる米麹を作るのにちょうど良い立地や環境であったために米麹により米を甘くさせて摂取していたと言う話もある。誰一人不幸にせずテロワールと日本人なりの得意な手仕事というか民藝的で細かな技術を組み合わせた方法で人々の甘さに対するニーズを支えてたと言うのは賞賛に値すると筆者は思っている。

 砂糖の生産地は限定されるため砂糖を消費する地域は商人から仕入れていた。シルクロードを中国に運ばれていたし、欧州へはオスマン帝国など中東を経由した輸送ルートで運ばれていた。 中継点で関税が徴収されるので砂糖の値段はどんどん跳ね上がっていき、欧州に到着した時には、希少性も相まって高価な値段で売買されていた。
 金銭による交換が基本である現代経済がまだ人々の関心の一番になる前の時代ではあった時代ではあるが、17世紀頃から始まったオランダでのチューリップの取引など先物取引の走りだったのかもしれない。魅惑の甘さへの欲望は心理学や脳科学で述べられる通り、人を虜にする。 
 
 中継点として栄えた中東地域では7世紀頃にイスラム教が起こり、中東全域さらには北アフリカ、スペインのアンダルシアなどスペイン南部までも広がっていった。イスラム教に厳格な決まりはありつつも商業を優遇していたのである。現代ほどの商業バンザイというわけではなく、人の多様性や尊厳など社会資本的ものに重きを置きながらも商業は歓迎していたようだ。祖先からの学びから高利は取らない、利子はとるなというのが教えであるイスラム教は、利子は人奴隷にして尊厳を無くさせて人権を崩壊させてしまうことを防止することをしていた。イスラム教は多少の徴税さえ支払えば他の宗教に対して寛大であった。これで後の世代で仇となるが、今でこそ違うが当時のキリスト教の他を殲滅して破壊して統一する思想とは真逆の発想である。
 とは言っても欧州の中世は高利が蔓延っていたがキリスト教も実は高利は良くないということを述べており免罪符を発端としたドイツ中心とした反対運動で高利の禁止をするために戦争が起きて多大な被害を被っていた。


 輸入により砂糖を摂取することが可能な人口は増えて甘さは商業的な価値があることが認識されて利用されつつも人々は商業と人権と格闘し続けた。欲望と人の尊厳が衝突していた時期であり、人の尊厳は欲望に勝っていたか拮抗していた。教科書で読むと十字軍にローマ帝国が退廃してその後はゲルマン系野蛮民族に征服されて、、、封建的で教会が利権を握り人々は暗黒時代を過ごしたというような記載もあったりするが、実際にはその内部でいろんな葛藤のなかで人らしく生きるためにもがいていた人間らしい時期が存在しているし、その中で多様性は存在していた。

その後多様性が無くなったというと語弊があるが、金融経済と絡む方向では多様性が広がり、非金融経済など社会的資本に関わるものは多様性が減っていったように思う。その揺り戻しが来るのが国家と国民という概念が広がり、帝国主義の欲望と多様性が衝突し合う第一次世界大戦と思うが。。

甘さに関わらず、農業などの一次産業は地域の伝統や環境に密接しており、そこに住む人のアイデンティティを形成していた。その中で甘さは人の欲望に直結しやすく、商業的なものとの結びつきが強くなってしまう。甘さから繋がるいろんな関連性にはいろんな魅力を感じてしまう。

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