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「美味しい味」とはどういうことだろうか(数学と演繹法と帰納法からの思考)

美味しいというのはどういうことだろうか?

何秒続く味のことを美味しい味と呼ぶのだろうか?

食べて美味しいと感じそうになった瞬間に味が無くなった場合、それは美味しいと呼ぶのだろうか?

0.1秒で終わる味

1秒で終わる味

5秒で終わる味

0.1秒で終わる甘さは早すぎて、5秒持つと長すぎて甘ったるいと思うかもしれないし、甘いものが嫌いな人からしたら0.1秒で十分だと思うかもしれないし、甘くてコッテリが好きな傾向にあるアメリカ人の舌からしたら5秒以上持つ甘さ出ないと満足できないかもしれない。

甘いというだけでなく甘さの強さにもよるかもしれない。

強さと時間で表現できるとしたら、数学でいう 積分の値によって美味しいと判断しているのだろう。

美味しい  =∫ 味の強度 dt    

というところだろうか。

ただし人によって個体差があるのであれば

美味しい = f (∫ 味の強度 dt , 人の個性) 

ということになるだろうか。

公式化出来るのであれば、演繹法的に美味しいということが表現できるということだろう。

しかしこの式のうち、人の個性を演繹的に公式で表現できるのかという疑問が湧いてくる。

人の個性は公式で表現できるのか?

美味しい味というものが個人の経験に基づく場合、それは帰納的に経験則から美味しいと判断するように順応した とも言える。

エクセルで言うならば、循環式に陥いった状況です。

ここまで考えてみて新たに気がついたことがあります。

味の強度に関する部分が公式化できて計算できると言うことは、
合理的で人の判断によらない味ともいえるわけですね。

つまり自分がどんな心境や状況であろうが自動的に美味しいと判断してしまうのでしょう。

自分の意思とは別に美味しい味と判断してしまった食べ物は本当に美味しいものなのでしょうか?

いやまあ脳が勝手にでも美味しいと認知しているのだから美味しいのだろう。

ああ、またわからなくなってきた。。
美味しいと言うことに関する探求はまだまだ続く。

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