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もうちょっとマシなウジ虫になれ/100分で名著「偶然性・アイロニー・連帯」を見た夫婦の会話

夫と一緒にテレビ番組「100分で名著」を見ていた。
「言葉は虐殺さえも引き起こす」というテーマで
「偶然性・アイロニー・連帯」という本をもとに構成されていた。

 夫の実家で「嫁」呼ばわりされ、
「おい嫁さん、酒のおかわりを頼むよ」
と言われたことを、妻が怒っているシーンが紹介される。
「妻」「嫁」「奥さん」「パートナー」様々な呼び方があり、どの呼び方をするかでなんだかリトマス試験紙のようにリテラシーを測られているような気持ちになる。「嫁」は「女」に「家」と書くのでうんちゃら、なぜ嫁呼ばわりが問題なのか語源から説明されていた。(私は妻、夫、パートナー、を日常的に使っている)
 でも、この番組が伝えていた内容は、呼び方に気をつけよう、言葉の意味を知って使おう、アンコシャスバイアスを再生産しないようにしよう、ということだけではなかった。


 「呼び方」=「呼称」「別称」「言語」。
これらは、虐殺さえも引き起こしうる!というのだ。
いま、イスラエルによるパレスチナの虐殺、民族浄化、ジェノサイドが現在進行系で行われている。虐殺を行うものは、虐殺の対象を、同じ人間だと思っていない。同じ人間には、普通はできない、到底できない、ひどいことが起きている。
 1994年のルワンダにおけるジェノサイドが例に挙げられていた。3か月の間に起きたジェノサイドの死者は80万人。この恐ろしい虐殺は、植民地化するにあたり、同じ土地に住むものを「フツ族」「ツチ族」と別の呼称で呼び分け分断することから始まったというのだ。虐殺のプロセスとして、その対象を人間としてみなさなくなる「非人間化」がある。
そのうちフツ族はツチ族を「ツチ族はゴキブリだ」と言うようになり、ラジオで繰り返し放送された。
 「ツチ族はゴキブリだ」
 「祖国からゴキブリを一掃せよ」
無意識のうちに対象を非人間化することで、殺害することへの抵抗を薄め、そしてジェノサイドが起きた。

 この放送を見て、まさに今パレスチナが危機にあることは「非人間化」が過程にあったことが思い起こされた。イスラエル国防大臣の「human animals」という発言がまさにそれだ。
番組冒頭で小話として出された「配偶者の呼称」の話も、根っこは分断や差別、虐殺さえも引き起こしうる「言語」の話だと納得した。

 一緒に見ていた夫に、これってまさに今パレスチナで起きているジェノサイドと同じことだね

と話す。ふむふむと真剣に聞いてくれる。

夫は、「兵役とかでもそうだよね、上官がお前達はウジムシだ!!って厳しさを超えた支配をするかんじ。」と話す。うんうん、確かにそれも非人間化だね。

「お前たちはウジムシだ!だからこんな扱いしてもいいんだ!だから、えっと…もうちょっとマシなウジムシになれ!!とか言って支配するんだね」と夫。

 …とても真剣に議論をしていたつもりだが、私は思わず笑ってしまった。

「もうちょっとマシなウジムシになれ!!」

ウジ虫をより罵倒する言葉が他に思いつかなかったのだろう。
人を罵倒したり悪口を言ったりということを
決してしない夫なりの、
非人間化の例を話すための、精一杯の悪口。

夫の罵詈雑言のボキャブラリーの貧弱さが愛おしかった。
もうちょっとマシなウジムシ。
笑ってしまうが、笑い事じゃない。

いろんな問題について、夫とこうして議論できることが嬉しい。
私は夫のことが好きだ。

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