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ホラー短編② 過脳暴威/Snow boy

「ふー、ちょっと座り疲れたから席外していいですか? 飲み物も取ってきたいし、みんなもこのタイミングでトイレ休憩など、インターバル挟みましょう」

 クリスマスが訪れ、年末までの七日間というのは、一年で最も早く時が過ぎる期間ではないだろうか。ぼくの住む地域はもともと雪深い所で有名だが、今年はケタ外れの豪雪に見舞われて、なかば強制的に引きこもるしかない状況におちいっていた。日本海側に到来した爆弾低気圧によって、インフラは遮断され、道を3本曲がった先にあるコンビニへ歩いて行くのに1時間かかってしまうほど未曾有の景色が広がっていた。

 白魔が襲うとはこのことだ。

 各所で交通規制が敷かれている今こそ、サンタが実在するか検証するべきだろう。普段使わない筋肉が痛みだした足をさすりながら、ぼくはYouTube上で静止中のLive2Dアバターを前に、無駄にそんなことを思っていた。

「うん、やっぱり麻雀って頭使うから、体力奪われますね。みなさんすごいなぁ……。わたしなんかまだまだ、はやく上達したいです」

 初々しさと謙虚さ、他人のがりにまで感激するふるまいは、心から好感が持てた。ネット麻雀の配信者は数多くいるが、彼女の純真さは唯一無二の武器だ。座学も熱心に取り組んでいるようで、フォロワーがすすめた戦術書を参考にメキメキ頭角を現していきそうな雰囲気があった。ぼくは、彼女の配信だけはかかさず見るようになっていた。

 銀髪のロングヘアーをゆらめかせながら、清潔感のある声がモニターから発せられる。

「配信を始めて本当によかったです、まだ1ヶ月しか経っていないのに、こんなに多くの人が見てくださっているのが信じられない、なんだか逆に不安になってきてます。大丈夫なのかな」

 自虐的な響きだったが、ぼくはその気持ちが分かった。登録者はすでに1000人を越え、同接の視聴者は常時100人前後で推移している。これは先行、および古参の配信者が歯噛みするようなハイペースぶりだった。すでにメンバーシップ創設や欲しいものリストをフォロワーの方から催促されているような盛況ぶり、自前のVtuberとしては大成功と言える。レッドオーシャンかと思われたネトマ配信界に突如現れた、強力なゲームチェンジャーだった。

 そう言えば、彼女の初配信の夜も外が白かった。

 雪が積もる世界も悪くない。よけいなものを埋めてくれる世界を好きになりかけていた。孤独なクリスマスを唯一正当化してくれるはずだった仕事も途絶した今、ぼくの好奇心を満たしてくれる存在は「推し」という表現では収まりきらない。彼女の方は正業が忙しいのか、ささやかな配信頻度なだけに、次回が待ちどおしくなる。

 最後の半荘をトップで終えると、年内の配信がこれで終わりかもしれないと彼女は告げた。

 非現実にも返却期限がある。

 子供の頃はクリスマスに欲しいものを運んできてもらいたかったが、大人になると要らないものを消して欲しくなる。

 家々の屋根に覆いかぶさっていた雪が動きだす。

 いるはずのない小鳥のさえずりが無音の世界を溶かす。地面から噴き出す消雪パイプの地下水が日常を呼び覚ました。

 道路に車が通れるようになってからの方が、この大雪の壮絶さを感じる。数日ぶりの国道を運転しながら、脇に積もる途方もない圧雪を横目に、ぼくは市街地へ向かうと、吸い込まれるように、とある雀荘の門をくぐっていた。

「あー、これは大変なことになったね」
 手牌を開けられると、親の倍満を和了した上家の女が恍惚とした表情で放銃したぼくの方を向いた。
「じゃ、ラス半だよ。私のかわいいモンスターを迎えに行かなきゃだからね」
 デカトップで気を良くした女は、この店の常連で、フリーのテンピンレートを選ぼうものなら高確率で同卓する色々と問題のある輩だった。
「この前のダブル役満といい、今年は楽なゲームが多かったわ。これも日頃の行いってヤツ? ま、冗談はさておき、アツ続行の皆さん、良いお年を」

 自己顕示、承認欲求、独善的な態度、下品さのトリプル役満と形容すべきマナー違反な客だったが、タチの悪いことに店側とは蜜月の関係である。雀荘オーナーの旧友である飲食店経営の夫を盾に、数々の横着をはたらいている。勝ってる時はおしゃべりが止まらず、不調とみるやメンバーに本走—自腹で参加—させる悪癖はいつになっても直らないままだった。子供モンスターを迎えに行く時間までが、「モンスタータイム」であることは店内ならずネットの掲示板でも周知の事実。マスクをしているのは入店時と退店時のみなのも怪物の所以ゆえんなのだ。

「5万3000円。や、さすがの大漁ですね。うちのインフレルールで勝ち切るお客様はショウコさんくらいですよ」

 ぼくの財布から離れていった万券を数えながら、おためごかしするメンバーの声に耳を疑う。カウンターに貼られた「相手へのリスペクトをドント・フォーゲット」のフレーズを考えたのは誰だ? しかし、後倒しになった仕事そっちのけで昼間からフリー麻雀に興じた自分自身も恥ずべきだった。

 田舎の雀荘は煮詰まるのが必然。
 そこに居座る自分もまた、同じレベルだろうと言い聞かせていた。薄給を削りながら、牌の感触を楽しみたい欲求には抗えず、ぼくはうつろな養分の人生から卒業できずにいた。今年、この雀荘で失った時間と金が戻ってきたら、どんなに幸せか。

「ちくしょうが」
 星々を囲む清冽な夜空を仰ぐと、間抜けなセリフが白い息と共にれた。

「『回避できないラスは誰でもある。自分のペースで強くなれば良いと思う。楽しむのがいちばん、ゲームでストレス溜め込んでたら元も子もないからね』、あっ、Yu-ta さんありがとうございます! そうですよね……エンジョイしながら頑張りたいですっ」

 非公開クリップで保存したアーカイブ、ぼくは自分のコメントが読み上げられる箇所を繰り返し繰り返し再生していた。他人が見たら気がふれたと言われかねないほどのオタクムーブであることは自覚している。だがこれをやらずに壊れないでいる自分は想像できない。

 —雀荘でスらなかったら、スパチャ投げれたな。
 マルチバースから来た賢者の自分がささやく。

「雀荘通ってなかったら、経験者として発言できないし」と、譫言うわごとのようにつぶやき返した。

 またひとつ年を越し、晴れやかな空気が漂う世間とは裏腹に、ぼくは何ひとつ変化がないままの実人生とねんごろ• • • •の関係を続けていた。

 人生に何切る問題があるとしたら、ぼくの最適解は麻雀そのものを切るべきなのだろう。理性はあっても、身体が裏切ってしまう。ギャンブルは怖い、人生はギャンブル、じゃあ、ぼくの優しい世界はどこにある? クソくだらない禅問答をやったところで、何も解決などしやしない。

 正解なんてないんだよ。
 不正解だけがこの世には無限に転がっている。

 ぼくは彼女との関わりを不正解だと思わない。

 リマインダーの通知がきた頃、冷え切ったはずの室内でぼくの身体は火照ほてりだしていた。

「みなさん、今日は登録者数と西暦が交差するとっても貴重な日となりました。これもひとえにわたしのつたない配信を生暖かく見守ってくださるフォロワーさん方のご好意あってのことです。感謝してもし切れません」
 とは言っても、アイディアに乏しいので面白い企画が思い浮かばないんですよね、と正月用の晴れ着と干支であるウサギの耳を装着したアバターがまごつく。

『だがそれがいい』
『おめでとー』
『8888888』
『もう教えることは、何もない』
『数多いる雀聖さまより強い配信で大草原』
『泣いた…マジ泣いた(急』

 配信環境は激変した。
 今日のような日は特にだ。
 コメ欄が流れ続けている間はその時じゃない。
 個々のコメント拾いあげる余裕は彼女にはない。
 スパチャ付きのコメントを投げることは難しい。
 ぼくは確実に読み上げてもらえるタイミングで他と違うメッセージを送りたい。乾坤一擲けんこんいってき、この配信を見ている視聴者全員に響くような金言を残してやれば、ぼくは存在したことになる。

 世界にいた跡を残すんだ。

 まだ待て。雪崩なだれのようなコメ欄をやりすごせ。
 トンネルを抜けたら雪国という名のトンネルが始まることも想定しろ。じゅうぶん引きつけてからテキストを打ち込むんだ。

 外から焼き芋の販売車が近づいてきたところでぼくの集中は一糸の乱れもない。100%彼女が共感し、そして見る者をうならせる言葉を贈ってやる。刻んでやる。轟かせてやる。

 停電は唐突に起きた。
 室内のダウンライトが消えると、モニターの明かりが目を刺激した。ラップトップを使っていて助かった。しかし天候も荒れていないのに停電とは、いったいどういう了見だ? ぼくは不審がりながらも暗闇から画面に目を戻した。一瞬気を逸らしたためか、彼女の離席に気づかないのは失策だったが、機は熟しかけていた。コメ欄は動かぬアバターと連動してスローダウンしている。

 タイピングミスをしないよう、ゆっくりと力強く胸の内を文字に起こす。雪国戦線に異常はなしだ。

 傾いたままだったアバターが体制を整えると、「おかえりー」と最速コメントが流れた。

 目の奥で何かがぜるような感覚が走った。

「しかしさあ」その声に指が止まった。「打ち納めで同卓した下家のガキ、何考えてんのか分かんない雰囲気で気持ち悪いったらありゃしない。最近やたら増え出したよねぬりーのが。なんとかリーグの見過ぎなのか、摸打もうたもソフト過ぎてかったるかったわぁ。最後の局もこっちの大物手に気づかず副露フーロして手牌短くなったおかげで楽勝、まあ、ザコがいるおかげで店も経営が成り立つってことよね」 

 ギャハハハハハハハハ

 可憐なアバターの柔和な笑みからは想像もつかないような下卑げびた声が放たれると、コメ欄がふたたび加速した。
 
 胃液が込み上げてくる。
 
 対局ボタンがクリックされると、普段彼女が使っていないはずのキャラクターが選択され、闘牌が始まった。モニターのオーバーレイ上には〈離席中〉のテロップが貼られたままだ。
 
「ああいった奴に限って陰ですげえキレだす性悪だったりするんだよ。まあムカつきはしたけど、お金が嫌いな人なんていないじゃん? だからウチを勝たせてくれる相手はみんな好きよ。これも愛ってやつ。あ、それポンね」
 
 次第にコメ欄は静まり返っていた。
 アバターの瞳が塗り込まれたように真っ黒になっていた。速攻で親の2900をものにしたプレイヤーは、なおもしゃべり続けている。黒く染まっていたのは、その瞳をめつけるぼくの網膜の方だったかもしれない。

「勝ったあとのヘッドスパ気持ちよかったわぁ。てかさ、うちの子供、もうファックなんて単語覚えちゃってるんだけど。英会話習わせてないママ友らへんが嫉妬して吹き込みやがったとしか思えないんだよね、ったく、貧しい大人にはなりたくないね」

 壁の向こうで、重いものが地面に落ちる音がした。
 ぼくは、自分の頭が沸騰してくるのを感じた。
 
「うちのモンスターも麻雀デビューが待たれるよ。将来国際的なトッププロにしてやりてーからさ。今からネトマで英才教育してやんないと」

 ナゼ、オマエミタイナ、

「あれ、いまなんか聞こえた?」
 ドサリ、ドサリと断続的な落下音がこだまする。
「わたしのモンスター、何か言ったぁ? ねえ」
 局は進み、手牌はみるみるうちにプレイヤーの思惑通りに進行していった。
「ちょっと、こんな勝負手の時に。ねえ、何やってんの! バルコニーでションベンしたらお仕置きだってこの前も言っただろっ!! この部屋いくらしたと思ってんだよ」

 トンジマエヨ

 リーチをかけるや否や、声の主は席を外した。自動和了ボタンにより、2巡後にロンの声が飛ぶ。

 1112345678999 ロン9
 下家の放銃、48000点でゲーム終了。

 わーーーーーっ。と遠くから叫び声が聞こえた。

『じゅ、……純正九連宝燈』
『やべえ……』
『演出、だよね?』

「ごめんなさい! 処理が重くなっていたみたいで」
 慌てた様子で彼女が帰ってくると、ゲーム画面は通常に戻り、停電は復旧した。

 長い銀髪に純白の肌、マルデユキミタイナ• • • • • • • • •アバターがぼくの頭の熱をあっという間に奪っていった。

 見た者の記憶に焼き付けられたはずのこの騒動は、不思議なほど言及されず、その後、何事もなかったかのように彼女は新年の配信活動をやり終えた。

 翌朝、市内でタワーマンションのバルコニーから飛び降りがあったとのニュースが報道された。死亡したのは同マンション19階に住むヤマガタ・ショウコ(無職)43歳。警察は事件事故両面で詳しい状況を調べているとのことらしい。

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