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南蛮由来重地獄音楽芝居 源兄弟遣魔合戦:大序-弐「桜薙ぎ刃道行の場」

【前幕:大序-壱】

生き延びた義経は山を下る。冒涜され破壊された社を何回も通り過ぎて、羽黒山にたどり着いたころ、一人の男とばったり出会う。
そいつは金糸と銀糸で作られた、車模様の衣をまとい、一つの鼓を抱えていた。その髪色は、人外そのものの桜色。

「お前は……」
二人とも、考えたことはただ一つ。この男の顔は、水面に映る自分の顔と、うり二つ。
北よりやって来た義経は落ち着いていた。
「……さっそく、一人目か」
「一人目? さて、何のことか。お前は我の紛い物、そう思ってよいのだな?」
「それはこちらも同じだ。こうも簡単に見つかると、仕事が楽でよいわい……」
義経は斧を構える。
一方対峙する義経(2)——桜経は、手もつ鼓を打ち鳴らした。
「者どもッ! 出会え―ッ、出会え―ッ!」
草の影から狼が飛び出し、また彼が従えていた伏兵が斧義経を取り囲む!

「……おもしろい。やはり戦はこうでなくては!……そちらがおれを囲むなら。一人残らず叩き斬るのみ! ならば手柄に。絡めて見ろォえッ!!!


対する桜はにやりと笑い。彼が率いる兵は二十、目を見ればわかるが、百戦錬磨のつわものばかり。狼の数は三十頭、すべて腹を空かせて唸る。

ソォォォリャッ!

右手を挙げて号令を飛ばす。一斉にどっと飛び掛かり、兵が彼らの敵の足元を掬わんとする。槍に刀が、脛をすりおろし、膝をかち割らんと襲い掛かるのだ。しかし義経、躱す躱す。それに負けじと脚を狙う。泥臭い事この上ないが、敵が一人なら首を取るまでもなく、足を潰せばそれでよい。武具が順番に紙一重で掠めるその様は、まさに戦の万華鏡。

「ハァーッ!」

流石に我慢の限界か。義経ぐんと飛び上がる。だが桜は分かっていた。いくら派手な装束であるとはいえ、この男も戦の天才と呼ばれている。敵が飛び上がることなど予期済みだ。

狗よッ! 奴を食らいつくせぇーーぇえッ!

がうう。ぐらう。ぐぐう。がうう。がるるう。ばうう。六頭づつだ。六頭づつ、木に届かんとする義経の頭蓋を抑えるように跳躍する。狼固有の牙と爪、すべてが致命の凶器なり。

しかし。何も無策で飛び上がるような男ではない。もちろん、襲い掛かる犬など、計算のうちに入っていた。しからば義経はどうしたか。もちろんこの距離なら、斧を振っては間に合わぬ。地面に戻るにも遅すぎる。やはり戦うしかないのである。

「成程な、流石に『俺』と言うだけはある。完璧だ。完璧ないくさぶりよ」
「そしてお前はなすすべもなく死ぬのだ! さあ臓物をまぶせ! 所詮は偽物たかが一人、取るに足らん!」
「その一人は……紛れもなく……義経であるとしたら?」 

そうだ。刃物を使わなくとも、彼自身の肉体が兵数十人に匹敵する戦力であり武器なのだ。ちょうど跳躍が頂点に達し、狼が目と鼻の先に迫った瞬間。千手観音のごとく、両手を広げ、一頭一頭はじき返して地面へ落とす!落とす!はたき落とす!

「ソォーリャァッ! デエエエエーケーッ!」

まるで虱を潰すよう。狼を一匹残らず、わずか数秒のうちに地面へとたたきつける!

「だがお前は下手をした! 不用意に飛び上がっては、我らが兵に刺されるのみよ! どの道お前は死んでいる!」

桜は鼓を打ち鳴らす。敵が地面に近づくにつれ、その音は高く、小刻みになる。足元は罠にかかる鶏を待ち構えるがように、ぐるりと円なっていた。相手にとって、逃げ場なし。

「……死にとうて、戦う奴などいやしないのさ」

「!?」

義経は。背中に背負う斧を即座に構えてぶわんと回す。ぎゃんと一周。地面に着くとほぼ同時だった。

「お前は戦が下手だ……違うかい」

そう。彼が連れてきた兵は、一瞬のうちに絶命したのだった。ある者は首を跳ね飛ばされ、ある者は胴体から上が切り離され。着地と同時に膝をつき、血の雨を斧で受ける。

「……さすがにこれで死んだら面白みがないと思うたわ」
「その慢心、京の者の息か。ったく奴らはなんでも字面で処理したがる。おれならば——」

両者得物を構える。無骨な斧と、しなやかな大刀。それぞれの立場を象徴する、血を吸い肉断つ大業物。

「おれ/我ならば……お前を今すぐ斬って捨てる!」

二人の声が重なった。これが最初の、義経同士の戦である。

◇◇◇

京。末法を象徴するこの街は、疫病、焼け跡から這い上がり、金銀をせしめた公家や宗家たち——今だ権威を手放せない愚か者どもによって運営されているのである。

そう、マツリごとの運営でさえ、そんな連中が烏合の衆だ。この左京のどこかにある、深く木々に隠された、広大な寝殿造の秘密邸宅である山埜院に集う数百人ばかりの者どもは、誰一人として、言葉を口に出そうとしない。会議の最中と言うのにだ。

「して……征夷大将軍とな。あの若造も、派手にやりおる」
ようやく、口を開くは、初老の男。その姿は一枚布で隠されており、うっすらとしか見て取れないが、ほかの面々が下座についていることからして、彼こそ朝廷の責任者、後白河法皇だ。
「ええ、左様でございます。何やら地獄の軍勢を遣わしているようで」
「地獄とな? ゆうてみい……九条、と云ったかのォ? ほれ」

「はは。すでにあちらこちらで火の手が上がっておりまする。まさに末法と言うべきでしょう。餓鬼どもは大地より出て子供を食らっておりまする。鬼は女を犯し、男の首から生き血を啜っておりまする。髑髏と炎で出来た車が、あちこちを燃やしておりまする。私が聞いた限りでは、既に東国殆どは、かのような状況でござるとか——」
九条実美、彼は相当な切れ者である。一切の感情を挟まず、言って見せた。周りに控える者より先に、後白河法皇が音を上げ、彼の言葉を遮った。

「もうよいわい、もうよいわい。わしの気分を毒するな。して……かの『勅令』は届いておるのであろうな?」

後白河法皇はここに集う者どもを選りすぐっていたとはいえ、重大機密を公の場で口にする。それは油断であったかは、今となっては分からない。

「ええ。我らが最初にかの書——観神帖を読んだからにして、真っ先に刺客を差し向けております故」

「それはよい。それは、よい。なにせこちらの手駒は幾つかあるのだ。その駒が増えようが減ろうが、知ったことではあるまいて」

「ええ……」

◇◇◇

斧と刀がこすれ合う。

「まるで鏡とやり合うようだ。埒が明かねえ」

これで打ち合うのは52度目であった。お互いに、完全互角の勝負である。おのれの武器を信じ、おのれの斬ってきた修羅道を信じる。どちらが本物なのか? そんなことは関係がない。戦は勝った人間が正解であり、負けた人間は単なる敗者だ。それ以上の価値はない。

では逆に。彼らを和解に導かぬものとは何か。それは「敗者でありたくない」ことでなく、「勝者でありたい」その一心だけである。だからお互いに背中を預けることなどしない。一度起こった戦なら、勝負が決するまで目の前の敵を打ち据えるのみ。


「成程、少しづつだが分かってきたぞ。お前は我、あるいはよくできた紛い物。かの勅令が渡った理由もわかることだ」
「勅令? やはり京の者か」
一度後ろへ飛びやって、次の間合いを探り出す。
じり、じりと。一撃一撃が必殺だ。もしも当たれば絶命あるのみ。
「……答えぬ! ソリャァ!」
先に斬りかかったのは桜経。斧と刀が戦えば、先に仕掛けるのは当然のこと。その小回りを生かし、曲線を描くように上から下へ斬り下ろす。それも二回だ。これぞまさしく、必殺の剣術「山の型」!

「グゥ……グァッ!」

剣に合わせて左右に避けるが、鎧の通っていない腕の肉は抉られた。斧を持つ手が緩み始める。

「その程度であろう。では御首頂戴いたす!」

その瞬間のことだった。

義経は、手を放す。斧から手を放し、一気に駆け寄り殴り込む! この時点で、勝負は決しているのだろう。何も戦は武器を使うという作法は、この時代にはないのである! 

「なァっ!?」

「おれはッ!」

腹だ、

「俺は戦に絶対に負けん!この拳で!」

胴だ、

「お前の命を取る!」

顎に

「食らいやがれ!」

額!

最後の一撃が命中した。ぶわっと頭蓋を揺さぶる一撃。
桜経はその場にどっと、倒れたのであった。刀を握ったままだった。

「すうッ……ふうッ……世話の焼ける奴だ。戦の基本は俺のが上だ」

緊張はまだ解かなかった。

◇◇◇

山埜院のビャクシンに留まっていたカラスの群れが、一斉に飛び立ち、桜の新芽を荒らす。

「……負けたようじゃの、ええ?」
後白河法皇は気にも留めなかった。
「左様で」
九条実美も淡々と悟った。

「『彼』が討ち死にしたのであれば、もはや……もはやこの会議は、変人偏屈が黙っているだけの会、あるいは和歌でも詠む必要すらないであろう」

この場に集まる全員の目に、炎が灯ったように見えた。

「観神帖に書かれし末法地獄の絵図を、我らが治める時が来た。7人の豪傑があの義経とは驚いたが、しかし、たかだか兵一匹よ。それにわしのよ……ほれ。出さんか。今頃牛車におるであろ。鎖でつないでおるであろ」

これまで黙っていた男の一人が思わず音を上げる。「まさか、まさかア奴を、あの妖術使いを」
「あの妖術使いでおじゃ。何も…………あやつの人相とて、だいぶ違うが……」

障子戸を一気に破壊して、この烏合の衆に姿を現したのは、一人の巨漢であったのだ。彼は牛を片手で担ぐどころか、その腹を掴んで千切り、血と肉をゴクゴクと呑んでいる。

「やあ、そろそろかとおもったぜ!」

「……相変わらずわんぱくじゃのう。鞍馬寺の連中はどうしたのじゃ」

「あいつらよえーから、みんなしんだ」

「何? 死んだとな?」

「天狗の妃とかいうねーちゃんが、おいらが起きる前にみなごろしにした」

「ほうほう。して、戦の用意はできているであろうな?」

「もちろんさ! ここにいるおっさん全員にけいこしてもらったもんね!」

後白河法皇は、一枚布の向こうでニヤニヤと笑う。それはもう、悪狸のように笑っていた。彼の怪力は大和一。そして彼は——

「なあ、聖門坊牛若丸よ。あの書物を読んだのかえ」

「よんだよ! すっげえな!」

「よろしい。よろしい」

周りの男らは、恐怖と同時に興奮していた。そう、彼も、義経である男。いつの時点かはわからぬが、戦に行くこともなく、ずっとこの日まで寺で修業を重ねた男。その巨体と怪力だけでなく、

「あああ! あたまがいたい! あたまが! あああああああ!!!! なんか! なんか、オイラと似たやつが、あちこちで!!!!あああああ!!!」

彼の首には三種の神器のうち一つ、八咫鏡が掛かっている。すなわち術使いなのである。聖なる力が籠った術を使うのだ。そして戦の天才性すら秘めている。

「おお、おお。焦るでない、焦るでない。……お前たちッ! ここに集めた理由、知らぬわけにはないであろうぞ。のお、生臭坊主の連中よ」

ここに集う男たちは武士である。正確には、武士であるが同時に僧である。さらに言うなら武芸の訓練を祈りと同時にして来た、坊主の中でも血の気の多い逸れ物の連中である。
だから、この法皇の元に集められているのである。集まったのは、鞍馬寺一人(聖門坊牛若丸)、興福寺23人、延暦寺47人、園城寺76人、そして東大寺の88人。

「ええ」「ええ」「はい」「左様で」「ははははッ!」
口々に同意を示す。ようやく、彼らも気合が入った。先ほどまでの間抜けの集いは消え失せて、今ここに居るのは、仏門に誓いを立てた油断のならないつわものどもだ。

後白河法皇は続ける。

「ここに! 聖門坊牛若丸を大将とした、朝廷に直属する強訴(ごうそ)組織、逸喪衆(ハズレモノシュウ)を結成する! 訴えることは一つなり! あの閻魔大王、源頼朝に、征夷大将軍の座を渡すでない! わかったかッ!」

そう。後白河法皇は初めからこれを狙っていたのだ。なぜ彼が仏門に入り、法皇を名乗ったのか? それは自分の手駒が、仏という正当性を以て増えるからに他ならない。

そして逸喪衆の面々も、承知の上で集まっていた。現に、この時点までこの号令があることを今や遅しと待ち望んでいたのだった。何? 鎌倉が地獄? 極楽浄土を見せてやるのだ。かつての恨みも混じっている。

だから、純度が相当に高い祈りと決意を、今この瞬間、後白河法皇へと見せた。

「「「「「承知! 承知ッ! 南無阿!!南無阿弥陀仏弥陀仏ッッッ!!!」」」」」

一斉に頭巾をかぶる。彼らの目は……もはや、生気のない政治家ではなく、血に飢えた猛禽類のものである!

「カアアアアッカッカカカ!!! よいぞ! よいぞ! 副将兼参謀に九条実美を置くとしよう! よいな?」
「ありがたき幸せ」
「それでは……鎌倉を! 鎌倉を、仏の力で浄化せよ!」

「「「「「いざ! 鎌倉へ!」」」」」

これが歴史上、初めて僧兵が組織された瞬間である。そして親愛なる読者諸氏へ。我々の持つ歴史書には、このような事実はない。しかしながら……かくも恐ろしい軍団であったとしたら? 書かれないのは必然の道理。

彼らはその日のうちに支度を終えて、聖なる戦いに向け駒を進める。戦闘を歩くのは牛若丸。(事実、馬と人が乗るよりも大きい体をしている)

この軍団はみな、興奮していた。京を焼いた東国武士への応報を、今すぐつきつけたくて堪らないのだ。さあ、かかってこい、鬼どもよ。地獄に仏とは我らの事。

◇◇◇

「……死んだか?」

「まだ殺してまいぞ、義経殿」

草の影からヌッと現れたのは十郎権頭兼房だ。あそこで見送った後、やはり忠臣として心配になり、ここまでつけてきたのだった。

「子守りは間に合っている」
「皮肉がお好きで。結構。そのものを殺すには、この世より消し去らなくてはなりませぬ」
「何? 火葬でもするのか?」
「いいえ。心の臓腑を抉りだし、それを壊してしまうのです……できましょうな」

心臓をぶち壊す。理由は不明。ただし、そうでもしないと殺せはしない。
彼は臓物が飛び出す光景を何度も見てきた。それは己が斬ってきたからだ。人を斬れば、その部分は傷がつく。道理よ。しかし。自ら進んで敵の心臓を引き抜くなど、考えただけでおぞましかった。

「……正気か?」

「初めからこの戦に正気などありますまい。ゲヘヘヘヘ……生きるか、死ぬか。選ぶのです」

「しなければ死ぬ、と?」

「ええ。死にます。遅かれ早かれ、自分の寿命を縮めるでしょう。そういう運命なのです。いわば、こやつは貴方の魂を分けた兄弟。そして、その魂を滅ぼさぬ限り、貴方自身が持つ魂も、じわじわと擦り減るだけなのです。理解できますね?」

「…………ああ、ああ……」

意味が解らないが、この怪老人の目には凄みがあった。何が何でもやらねばならぬ、そういう勢いすら感じていた。

義経は、桜が握っていた刀を手に取る。「うう……」「まだ息が」「ぐぐ……殺してやる……」「……………………成程………」

行動は早かった。刀を胸に突き立てて、ぐっと押し斬り、抉っていく。「これか」

ドクン、ドクンと波打つ肉塊。

「あ、あぐぐぐぐ…………」

「許せよ、兄弟。見事な刀さばきであった」

最後に刀を墓標代わりに突き刺す。

老人は、にんまりと笑った。

「……お見事。お見事です……これで、ようやく、一人。残る奴らはたかだか5人。楽勝ですな。それと、彼の鼓をお忘れなく。あとで話しましょう」

「まごう事なき俺の偽物だ。アレこそ初音の鼓だろ。拾っておく」

「その判断は、結構、結構」

「お前もついてくるのか」

「もちろんですぞ。おっかなくて」

「好きにしろ」

果たし合いを終えた後には、ただただ死骸があるのみだった。二人は道行を再開する。華やかとは言えなくとも、ゆっくり、ゆっくりと下る道行。
途中の町はだいたい鬼の住処であったから、ついでに鬼退治をしておいた。生存者はいないので、感謝はされることは無し。
なお、彼らが通った宿場町は全部この有様であった。
人間はすべて、どのような形であっても悪鬼と魍魎の玩具である。という事は、日本の半分がかの地獄絵図になっているという事である。

「……鎌倉か。久しぶりだな」「ええ、ええ」

誰もいない宿で、自分たちで敷いた布団で眠りにつく。
二人が目指す先も、もちろん鎌倉。

◇◇◇

最初に火焔を超えるのは誰ぞ。

天狗の妃は飛び立った。牛若丸は、軍団を引き連れ東へ向かう。桜はもう既に刈られてしまった。ジョー・クロウは行方をくらませ、今どこかで地獄絵図の一部であろう。斧を担いだ死にぞこないの義経は、老人と2人、行脚を続行している。まだ見ぬ救世主の武士はあと2人。彼らも順に目覚め出す。巴と藤原といったかつてのつわものたちも、戦の臭いにつられて、各々が動き出している。

そして日本を最初に支配した武士、閻魔征夷大将軍源頼朝。彼の顔は今だ知れず。彼の言葉も未だなく。しかし戦の中心である。彼の居城たる鎌倉は、今や暗黒に覆われている。いつも曇天、大地は焦土。

しかし、語るにはこれで足りない。

「……あら。意外と早く着いてしまいましたわ」

天狗の妃の後悔は、今すればよいのであるから。この鎌倉に踏み入れた途端、彼女は自分の生を悔いることになったのだった。

この火焔を最初に越えるのは誰なのか。

【大序:幕切れ 二段-壱へ続く→】

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