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卒業と泣き言と自己愛



昨日、高校を卒業した。小学五年の秋、初めてこの高校の文化祭を訪れた帰り道にぼんやり思い描いていた生活とは、かけ離れた三年間だった。いざこの場所で高校生活を送る権利を獲得した途端、情熱みたいな色をした煌めきは消え失せてしまった。いまや眩しすぎて直視できないそれは、二度と取り戻すことのできない純度100%の憧れだったんだろうけど、しょせん空想の産物だから美しさは持続しなかった。


三年分の出来事を具体的に挙げていく気力はないし、読み手も書き手もあまり面白くないのでエピソード的なことは書かないつもりだけど、私の高校生活を表現するには“練り消し”がぴったりだと思う。消しゴムで紙を擦って失敗を剥ぎ取って、気づいたら机の上が消しカスだらけになっていたときの不快感、暇なときにそれらを集めては指先で丸めてみたりして、ある程度の大きさになったら定規で潰すように捏ねて、紐状にする。意味もなく、どこまで長い一本にできるか試してみても、力加減であっけなくプツンと切れる。暇だから、切断されたもの同士をまた捏ねて延ばして切れて捏ねる作業の繰り返し。究極にくだらない時間の使い方。本当にそんな日々だった。失敗を擦って出てくるカスを持て余して、何も考えずにそれらを寄せ集めて捏ねたりして、定期的に全てがどうでもよくなってヤケになる度に、何かを失ってきたような気がする。


そんな高校生活だったから、卒業することに関して寂しさも感動も特にない。式が終わって校門を出たとき、ここに入ることは二度とないのだという事実に驚きはしたけど、それは感慨ではなかったと思う。


惜しいことといえば、高校生の学割が使えなくなる(まねきねこのゼロカラの対象から外れるのはきつい)ことと、去年の夏に軽音部に入ってから距離の縮まった友人たちと進路が異なることだ。特に親しい友人が三人いるのだけど、その中で私だけが別の学部に進むので、どうしても私が一番、このメンバーと関わる時間が少なくなってしまう。さらに言うと、資格試験のために少なくとも来年の八月までは予備校に通って勉強しなければならなくて、友人と関わる機会がかなり制限されてしまう。スマホ使用不可の自習室に篭らないと集中できないせいで、LINEやDMに頻繁に返信することも、ツイートをリアルタイムで追うことも難しい。学部が違う、SNSの反応も遅い、あまり遊びに行けない、の三重苦を乗り越えてまで関係を続けたいと思ってもらえるほど、自分が彼女らにとって魅力的な人間であるという保証はどこにもない。


それでも、なんとか試験に合格して自由を取り戻したときに、また、りんごの唐揚げ(この四人のLINEグループ名)の一人として受け入れてもらえたらな、と傲慢な妄想をしている。「ノリの悪い友人」期間が長すぎて、愛想を尽かされてしまっても仕方がないと分かってはいるけど、きっと高校生のときの距離感を保ち続けることは誰だってできなくて、その現実のなかでも関係を続けていくという奇跡をこの人たちと実現できないかな、などと淡い期待に縋ってしまう。泣き言ばっかりでごめん、でも、もしよかったら、これからも友人でいてほしいです。






長くなるけど最後に、四月からの大学生活で達成したいことを宣言させてください。烏滸がましいのですが、自分を好きになりたいと思っています。


プライドだけが無駄に高くて、そのくせ、プライドを傷つけないだけの実力を得るための努力はできない。傲慢さと怠慢の生み出した承認欲求モンスター、とでも言うべきか。「人と比べて自分が劣っているという事実を受け入れたくない」、つまり上には上がいるこの世界で永久に満たされることのない欲求に苦しみつづけているのが私だ。現代文で山月記を読んだはずなのに、このままだと李徴(の優秀じゃないバージョン)として一生を終えることになりそう。


今思うと、練り消しみたいな高校生活の原因は歪んだ自己評価だったのかもしれない。うすうす分かってはいたけど、きっと自尊心が低いのは、「高すぎるプライドに及びもしない現実の自分」が許せないからだ。裏を返せば、自分に求める評価が過大だということでもある。醜い自己愛に囚われて、プライドの高さに反比例するように自尊心が低くなっているのだと思う。その弊害として、少しでも自分を傷つける人間を寄せつけないように、他者を過剰に警戒する悪癖が出来上がってしまった。そのせいで、きっと気づかないうちに多くの可能性を失ってきたのだろう。高校生活はその意味では棒に振ってしまったけれど、こんな後悔はできればもうしたくないし、自尊心の低さが時には他者に不快感を与えるのだと気づいたので、改善しなくてはと思っている。


明確な解決策はないけど、きっとプライドを下げるよりも、実際の自分を高める努力をする方がいいのだろうとは思う。現実が理想に追いつくことなんて、どう足掻いても不可能だろう(人間の欲望は無限とよく聞く)けど、その不甲斐なさを嘆きながら何もしなかったダサい高校生から、無駄でも、無謀でも、無意味でも、成長しようと努力できる大学生になりたい。最近、資格試験の勉強が楽しいような気がしてきて、インストールしたまま放置していたスタディプラスの勉強記録が少しずつ伸びてきた。客観的には大した成長ではないけど、五分で集中力が切れていた少し前の自分と比べれば、良い兆候だと思う。とりあえず全力で勉強して、来年の八月に合格できたら、また新しい形の成長を求めていく、そのくらいの気力で大学に挑みたいです。口だけにならないように、来月は月70時間、再来月は月100時間勉強したいです。不完全燃焼の高校生活の分まで、四年間、走り切りたいと思います。


予備校の先生に見せたら怒られそう







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