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よいとまけ

よいとまけ
 虚士(きょし)が小学1年頃(昭和31年)の話です。
虚士の家では、自給(埋め立て造成)した土地(“開き”と命名)に多目的の家を建てる事になりました。農業倉庫、漁具倉庫、そして母、紀乃の希望により、老後の隠居にも使える家を計画しました。
 虚太郎じさんが変な事を始めました。”開き”に大きな玉石と小さな石を搬入して、点々と浅い穴を掘りその中に、小さな石を並べて行きました。
 
 数日後、”開き”に親類縁者10数名が集まりました。いつの間に造ったのか、皮を剥いた松の丸太を中心に立て、上部を稻縄の円環を配し4方からその縄を竹で支える構造物が建っていました。
 皆んながその構造物を囲み、虚太郎じさんが中心の松丸太に向かって、一升瓶の御神酒を振りかけ手拍子を打ち、皆んなもそれにならいました。今から想うと安全祈願の儀式だった様です。松丸太のてっぺんに赤旗を立て、赤いタオルを持っている人もいました。これも今に通じる安全祈願の一種だと思います。
 
 これは何だったのか、虚士は成人してから気づきましたが、家の基礎工事に当たる、柱の下の地盤固め、浅く掘った部分の小石を重い松丸太を皆んなで持ち上げ、落下させて固めて行く作業、即ち現代で言う”地業”でした。俗称、 ”よいとまけ” です。柱は何本も有りますから、次々と移動する必要もあり、虚太郎じさんは割と簡単な構造にしたのだと思います。固めた後に大きな玉石(礎石)を設置して基礎工事の完成となります。
 
 この”よいとまけ”は、一つの作業を多人数で行うので気持ちを合わせる必要が有り、誰か音頭取りがいたように思います。「ヨイトマァケ」もその音頭の一つだったようです。虚士の集落では「ヨイコラ、ショ」程度の音頭だったように推定します。
 また虚太郎じさんは作業の合間に赤いタオルの鉢巻きをして、祝いの歌を唄っていました。(内容は失念しました)

 
 参考に昭和39年(初回東京オリンピックの年)に美輪明宏さんが歌ったヒット曲を紹介します。
ヨイトマケの唄
 ♫ クリック→  
https://www.youtube.com/watch?v=NQMUspZWTiU
歌:美輪明宏 作詞:美輪明宏 作曲:美輪明宏
 父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
もひとつおまけに  エンヤコラ
 
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の昼休み
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が

 ここで「土方」が差別的だと議論になり、放送禁止用語になったそうです、今では「土木作業員」と呼ばれています。
 
”よいとまけ”は建屋建設に当たって、予算のめどがつき、大工さんも決まり、いざ着工と言う目出たい日でもあったようです。付近の子供達が見物に来るので、虚士の自宅では、炊き出し要員も確保して、銀シャリの握り飯に沢庵を添えて振る舞っていました。
   終わり
(この話は実話に基づいていますが、細部の記憶は怪しいです)
 
 

 追記、”よいとまけ”の構造は何種類か有るようです。主流は櫓を組み、上部に滑車を付け、重りを引っ張り上げる方法で、引っ張る力は半分になりますが、構造体が重く簡単には移動出来ないように思います。
 超簡略なタコもあります。下の参考写真をご覧下さい。

簡易、よいとまけ

語源(日本語俗語辞書-抄)
 ヨイトマケとはもともと重い物を滑車で上げ下げするときや、網を引き上げるときに言った「よいとまぁけ」という掛け声のことである。これが転じ、建築で重しの槌や柱を上げ下げし、地盤を突いて地固めをする労働のこと自体や、その労働をする人をヨイトマケというようになった。ヨイトマケの多くは女性で、稼ぎの少ない夫を持った妻や、夫に先立たれた妻が家族を養うための仕事でもあった。このことから、ヨイトマケ=働く女性という意味合いで使われることも多い。
 現代ではヨイトマケを行うことはほとんどなく、ランマーという機械で地固めを行う。

 
 

虚子少年の生活圏


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