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ひとり、夜中のラーメン屋で

あまり躊躇しないタイプだ。

1人行動がわりと好きで、1人でどこでも行く。

海外も問題ナシ。映画館も牛丼屋もカフェも立ち呑み屋もラーメン屋も。行きたければ1人で行く。

お風呂上がりでスッピンだろうと「ラーメン食べたい!」モードに入れば、夜おそくてもラーメン屋さんにまっしぐら。

まだ子供がいなかったころ(当時はまだ20代)、オットと2人で夜中にときどきラーメンを食べに行っていた。

数年たつと(当時は30代半ば)、オットは「夜遅いラーメンはお腹がもたれるし、やめとくわ」と、わたしの「ラーメン行こう!」の誘いを断るようになった。

ラーメンを断られたくらいでくじけるわたしではない。

独身時代は何度かオトコにフラれたけど、それでも不死鳥のように蘇り次のオトコを見つけるくらいのバイタリティはあったので、ラーメンの誘いを断られるくらい、わたしにはどうってことない。

ただ1人でラーメンを食べにいけばいいだけだ。

そんなわけで、子どもたちがある程度大きくなるまでの十年ほど、わたしは1人で夜中ラーメンを楽しんでいた。

ところがあるとき。当時高校生だった息子が「オレも夜中のラーメン行きたい」と言い出した。

仲間発見。よし、いいぞ!

男子高校生はなかなか扱いづらい。当時息子は親と話すのが面倒だったんだろう。こちらがなにかを聞いても、ウンとかスンしか言わなくなった。

部活や塾で忙しく、息子と同じ時間にご飯を食べることもめっきり減った。家にいる時間が少ないし、男の子だから、学校であったことを女の子みたいにペラペラと話すわけでもない。

保育園や小学校時代は自分からあんなにもたくさんのことを話してくれていたのに、中学生、高校生となるにつれ、こちらが聞いたことには答えるけれど、自分から情熱をもって「聞いて聞いて!」というようなことは目に見えて減っていった。

そんなタイミングで「オレも夜中のラーメン行きたい」と息子の言葉。

たとえ年に数回でも、息子と2人で夜中ラーメンに行く時間は、わたしにとってはスペシャルだった。息子にとってどうだったのか、それは分からないけれど。

息子が「ここ行きたい」とラーメン屋さんを探してきて、そこに車で行く。車中で2人になると、息子は自分から学校や友達のことを話し、わたしの質問にも答えてくれた。

家で聞いても面倒くさそうだったのに、夜中ラーメンの日は素直だった。

ちゃんと話をしないとラーメン屋さんに連れて行ってもらえなくなる、とでも思っていたのだろうか。

車の中、お店でラーメンを待っているあいだ、ラーメンをすすりながら。家にいるときとは違う様子で話す息子を見ているだけで、わたしは嬉しかった。

ラーメンが旨いかどうか。

それは息子にとっては大問題だったようだが、わたしにとってはラーメンが美味しかろうがそうでなかろうが、どっちでもよかった。

息子と2人で夜中ラーメンに行ける、そのこと自体がわたしにとっては大切だった。

息子が大学生になると、友達との付き合いやバイトで家にいる時間はますます短くなり、夜中ラーメンに行ける日は減っていった。

わたしは懲りずに、夜中にラーメンを食べたくなると1人で行っていた。

久しぶりに1人で行ったときは、「そういえば息子と夜中ラーメンに行く前は1人ラーメンだったなぁ」なんて思いながら、カウンターで1人、ラーメンをすすっていた。

「ココのお店なかなか美味しかったから、また息子と来よう」と思い、店をあとにすることもあった。

それ以降、回数はグッと減ったけれど、息子とたまに夜中にラーメンを食べに行き、大学の話や将来のことなどを聞くようになった。

あぁ、こんなことも考えるようになったのねと思いながら、ラーメンだけを見つめている息子をシゲシゲと見る。

「あなたはいつも美味しそうに食べるから、見てて気持ちがいいわ」

わたしがそう言うと、

レンゲでスープを飲みながら「替え玉オッケー?」と言う。

オッケーオッケー!オッケーに決まってるじゃない。

行列ができているラーメン屋さんの前で寒空の下、30分以上も2人で待っているときもあったし、帰りにコンビニに寄って車の中でアイスを食べたこともあった。

大学を卒業したあとも数か月就活を続けていた息子は、今年の7月に就職が決まり、8月から出社することになった。

勤務先が家から500kmも離れているので、息子は家を出ることになり、約1ヶ月でアパートを探し、食器や家具を調達し、引っ越した。

その1ヶ月はあまりにも忙しかったのと、ウィルス騒ぎでラーメン屋さんが夜中に営業していなかったので、最後に2人で夜中ラーメンに行くことはかなわなかった。

このあいだ、久しぶりに夜中に1人でラーメン屋さんに行った。

このお店に息子と来たのはどれくらい前だったかなぁ。

そんなことを思いながらラーメンの器に山のように盛られた青ネギを見たら、「替え玉オッケー?」と聞いてきた息子の表情をとつぜん思い出した。

オッケーに決まってるじゃない。

心でそうつぶやきながら「もう息子はいないんだ」と思った。

わたしの生活圏内に息子の姿はないから「もうココにはいないんだ」と家のなかで感じることはたびたびある。

洗濯物の量は驚くくらい減ったし、スーパーでつい買いすぎた食材が冷蔵庫に残っていることも多いし、息子が好きだったアイスをコンビニで見つけると、いまでも買って帰ろうとしてしまう。

だけど、まさかラーメン屋さんで「もう息子はいないんだ」という事実に改めて気づくなんて。

鼻の奥がツンとして、ゆらゆらと湯気が立ちのぼっているスープの匂いは鼻の奥まで届かなかった。

食べ始めてもいないのに鼻水が出そうになり、あわててカウンターのティッシュに手を伸ばす。

ラーメンの器を凝視したまま食べようとしないわたしを見て、店員さんが「麺がのびないうちにどうぞ」と優しく声をかけてくれた。

その声がまるで合図みたいだった。

レンゲでよそったスープを飲みたいのに、アツアツのうちに麺を食べたいのに、のどの奥からなにかがこみあげてきて、そのこみあげてきたものが、わたしの動作をおしとどめた。

ふぅー・・・小さく息を吐く。気持ちを落ち着かせてレンゲを口まで運ぶ。

うん、いつもの味。息子と一緒に食べたときと同じ味。

息子は自分の住む町で、お気に入りのラーメン屋さんを見つけただろうか。

あとでLINEしてみよう。そして、そっちに行ったときには美味しいラーメン屋さんに連れてってよ、って言ってみよう。

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