枯れるまであなたと一緒にいたいのよ

えーっと。キーはどこに差し込むのかな。
普通ハンドルの下あたりよね?
ん?ない・・・あれれ?

運転席にすわりハンドルを横から覗く。その周辺を指先でなでまわしていると、

「この代車、スマートキーだから」

助手席の旦那さんがそう言った。

--- す、スマートキー?なんだ、それ?

「だからキーを入れる穴はないよ」

「え?ないの?キー入れなかったらどうやって走るの、この車?」

「ほら、ハンドルの右のほう。丸いボタンあるだろ?それを押せばエンジンかかるから」

--- このボタンを押すだけでエンジンかかるの?ウソでしょ。給湯器の【お湯張りをします】の音声が流れる、あのボタンみたいじゃない。

いぶかしく思いながらも、丸いボタンをポツリと押す。

ブルルルン・・・・

「なにこれ?これだけでエンジンかかるの?すごい。イマドキの車って賢いねぇ」

「うん。賢いからスマートキーなんだって」

この会話は何年も前の話ではない。つい最近のこと。

独身のころから今まで、車は必須アイテム。約25年の結婚生活で、今の車は5台目だ。

車をよく使う。ほぼ毎日使う。それなのに、イマドキの車がこんなに進化しているなんて知らなかった。シンプルに、ひっさびさに驚いた。あまりにビックリしたので、子供たちに

「見てみて!車屋さんから借りたこの代車ね、キーを持ってればドアに触るだけで鍵が開くんだよ。すごいよねぇ。キーを入れなくても、ボタン押すだけでエンジンかかるんだから。賢いよぉ」

と興奮気味に言ったが

「え、知らなかったの?友達ん家の車、ほとんどそうだから。ウチだけだよ、オートロックもなくて、窓も自分で回さないといけない車なんて」

と返された。そうなのか。そうなのね。たしかに、街なかで走っているのはキレイな車が多いもんね。

わたしたち夫婦は、車にこだわりをもっている。

他の人から見たら『しょうもない』こだわりかもしれない。そのこだわりのために、車の選択肢はグンと縮まってしまう。それでもやっぱり譲れない。

それは、MT(マニュアル・トランスミッション)車であること。

これが車を選ぶときの最優先事項。なぜって、ギアチェンジが楽しくてたまらないからだ。

我が家ではMT(以下“マニュアル”という)が最優先だから、予算と照らし合わせると、メーカー・デザインの好み・年代など、細かいことは言っていられない。

日本の新車は、いまはもちろんAT(オートマチック・トランスミッション、以下“オートマ”という)が主流。乗用車販売のマニュアル車比率は、たった2%弱らしい。

30年くらい前までは、マニュアル車が主流だったのに。ちなみに欧州では、いまでもマニュアル車比率は8割から9割あるそうだ。

免許を取った30年前、オートマ限定免許はなかった。だから、当然ファーストカーもマニュアル車。

当時はバブリーな時代で、大学生でもマイカーを持っていた。

サークルの男の先輩や同級生たちは、ホンダ“プレリュード”、日産“シーマ”“シルビア”、トヨタ“セリカ”“ソアラ”“マークII”などを乗り回していたし、デートの必須アイテムの1つが車だった。

当時わたしが付き合っていたサークルの先輩は、トヨタ“カローラ レビン(AE86・第5世代)”、いわゆる「ハチロク」に乗っていた。もちろんマニュアル車。


彼は走り屋で、特に峠道などを好んで運転する人だった。走り屋の集いには、「危ないからダメ」と連れて行ってくれたことは1度もなかったが、ドライブデートでよく使うのも峠道だった。山道のカーブで彼が素早くギアチェンジする左手に、ホレボレしたものだ。

わたしが免許を取ったあと、助手席に座った彼からマニュアル車の手ほどきを受け、ギアチェンジの楽しさにずぶずぶとハマっていった。

彼の影響を色濃く受け、わたしは断然マニュアル派になった。ただの1度もオートマに浮気したことはない。レンタカーや代車以外は。

その彼にフラれてもわたしがずっとマニュアル車に乗り続けるのは、決して彼への未練ではない。マニュアル車を運転するほうが、断然楽しいからだ。

道路状況を見て、アクセルを微妙に戻しスピードを落としたり、クラッチを踏み込んでギアを変えたりする。

入れたギアの選択がイマイチだったりすると、車からブルルルンと即座に反応が返ってくるので、それに呼応しギアをもう1度入れなおす。よしよし、あなたはこっちがいいのよね。まるで車と会話するように。

傾斜角度によっては坂道発進にドキドキすることもあるけれど、失敗したことはほとんどない。免許取りたてのころに坂道でズルッと後退したことは何回かあったが、それ以来はない。

みんなに自慢したいくらい、坂道発進がうまい。ついでに言うと車庫入れもうまい。

マニュアル車の醍醐味は、なんといっても峠道。

下り坂でギアを落とす。エンジンブレーキが効くと、車の重みがワントーン増して力強く走る。

カーブ前に、素早くクラッチを踏みこみギアチェンジをする。カーブを過ぎたらまたクラッチを踏み、ギアを1つ上げ、アクセルをクイッと踏む。

自分が車をコントロールしているという、あの高揚感。楽しくて仕方ない。

先週末、旦那さんと2人で紅葉を見るために、車で山越えをした。旦那さんもマニュアル車好きなので、山道の運転をするのはジャンケンで勝ったほう。行きは負けたが帰りは勝ったので、峠道の運転を堪能した。これぞ、マニュアル車の醍醐味。

ところが、マニュアル車好きだと困ることもある。

車の買い替えで新車販売店に行き、「最優先事項はマニュアル車です」と言うと、怪訝な顔をされてしまうのだ。

あるディーラーさんには

「奥さま、メーカーは自動運転技術を開発している時代ですよ。なぜわざわざ手間のかかるマニュアル車にこだわるのでしょうか?マニュアル車をお探しなら、改造車を扱う販売店に行かれてみてはいかがでしょう」

と、言葉は丁寧ながらとんでもないことを言われ、ここの車は2度と買わないと心に決めた。

そんなこともあり、予算の都合でウン百万も車にかけられない我が家では、中古車に乗ることが多い。中古車販売店のほうが、予算内でマニュアル車を見つけられる。

車種や年代にはこだわらずマニュアル車で探すので、見つけた車は、まぁたいがいは周囲の人があまり乗っていないようなメーカーだったり、デザインだったり、年代モノの車になったりすることが多い。

予算内で見つけただけで十分満足なわたしたち夫婦なのだが、困ったことがある。

まわりの人があまり乗っていない車なので、ヘンに目立ってしまうのだ。

車がカッコよくて目立っているのとはわけが違う。そのボロい感じとデザインが街の雰囲気から浮いていて、目につくんだろう。

同じ生活圏内の友人から、

「このあいだの日曜日、〇〇に行ったでしょ、駐車場に車があったからすぐ分かったわ」とか、

「土曜日の午後、〇〇の道を△△方面に走ってたよね。見かけたよ」とか言われる。

個人情報ダダモレだ。

あるとき、歩道橋の下の交差点で車に乗って信号待ちをしていると、歩道橋の上からブンブンと手を振ってくるグループがいた。

歩道橋からは、だれが運転席にいるのか光で反射して見えないはずなのに、そのグループは確信をもってわたしの名前を呼びながら、手を振り続ける。

運転席の窓からチラッと顔を出すと、ママ友一家だった。

「ヤッホー!車見てすぐに分かったわ。またお茶しに行こうねー」

大声でそう言われ、わたしは頭のうえに両腕で大きな丸を作った。

そんなことが時々あるから、直接言ってこないまでも、あちらこちらで我が家の車に気づいた人は他にもいるんだろう。

また、年代モノの車なので、オートロックもパワーウィンドウもないし、サイドミラーも自分の手で出したりたたんだりする。中古車のため、修理で整備工場行きということも珍しくない。

不便なことが多いのは事実だけど、オートマに変えようとは思わない。

不便は気にならない。わたしたちは“自分たちの好き”を大事にしているから。

マニュアル車を運転する楽しさや、車と会話するように運転する醍醐味を手放したくない。

周りの人からどう思われようと、そんなのは関係ない。好きなんだもの。マニュアル車を運転するのが楽しいんだもの。

わたしはきっと、枯れるまでマニュアル車を運転し続ける。

わたしがいつか“オートマに乗り始めました宣言”をしたときは、【あぁ、カミーノは枯れたんだな】、そう思ってください。

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