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気もちのいい60秒

片づけをしたら、お宝と遭遇した。

部屋を片付けるたびに、いろんなお宝を発見する。今回のお宝はコチラ。

子どもが通っていた塾のテキスト。国語の発声クラスのものだ。

国語の授業って、漢字、文法、読解じゃないの?と思っていた。その塾では通常の国語の授業とは別に、発声クラスがあった。

発生の授業では、音読だけをする。音読するときの姿勢、口の開けかた、腹式呼吸を教わり、まずは口の体操から。アナウンサーが毎日しているような「あえいうえおあお」や「早口ことば」など、たくさんの文章がテキストに載っている。

だれもが1度は聞いたことのあるような古文漢文の名作や、詩歌、短歌、俳句も載っているし、太宰治、夏目漱石、宮沢賢治などの文豪小説の名作文もずらり。

これらの文章を、腹式呼吸で、大きな口を開けて、ハキハキと高らかに音読するのが発声の授業。

発声の授業参観というのもあった。30人くらいの小学生がよく響く声で音読するのを聞き、聞いているわたしも心が晴れわたるような気持ちになったのを覚えている。

小6のときには、大きなホールで発声の発表会があった。演劇のようなスタイルで、テキストに出てくる小説の場面を再現するというもの。ホールの隅々まで届く、よく通る声。子どもたちの口から発せられた名文は耳に心地よく届き、体全体に沁みわたった。

後世に継承されている名文は、聞いていて気持ちがいい。心にスーッと届く。その発表会は、名文といわれる所以を深く感じる時間だった。

子どもが小学生のころに使っていた教科書類で、発声のテキスト以外で残っているものはなにもない。発声のテキストを子どもが処分せずにとっておいたということは、子どもなりに「そばに置いておきたい」テキストだったのかも。

ページをめくると、読みかたの工夫やフリガナなどの書き込みがたくさんある。家で音読の宿題をするときにも、先生の教えを意識して読んでいたんだろう。


子どもが当時、名文を高らかに読みあげていたのを思い出したので、わたしも試しに音読してみた。大きな声で。

たとえば国語の教科書でもなじみ深い、高見順の詩「われは草なり」

われは草なり
伸びんとす
伸びられるとき
伸びんとす
伸びられぬ日は
伸びぬなり
伸びられる日は
伸びるなり

われは草なり
緑なり
全身すべて
緑なり
毎年かはらず
緑なり
緑のおのれに
あきぬなり

われは草なり
緑なり
緑の深きを
願ふなり

ああ 生きる日の
美しき
ああ 生きる日の
楽しさよ
われは草なり
生きんとす
草のいのちを
生きんとす

高見順 「われは草なり」


大きな声で詩を音読したのなんて、どれくらいぶりだろう。

目で追っていただけでは感じなかった気もちが湧きあがる。音読すると、言葉が体じゅうを駆けめぐる。まるで息吹を吹き込むように。耳で聞いていてとても気持ちがいいので、繰り返し音読したくなる。

短文のなかにある軽やかさ。
きわだつリズム感。
純度の高いことばの連なり。

名文ここにあり、という感じ。

谷崎潤一郎の「文章読本」でも、音読の重要性や、言葉のしらべが耳に訴えかける効果が強調されている。

古典の文章は大体音調が快く出来てゐますから、訳が分からないながらも文句が耳に残り、自然とそれが唇に上つて来、少年が青年になり老年になる迄の間には、折に触れ気に臨んで繰り返し思ひ出されますので、そのうちには意味が分かつて来るやうになります。古の諺に『読書百篇、意自ら通ず』と云ふのは此処のことであります。

谷崎潤一郎「文章読本」より


本当に?目で読むのと音読ってそんなに違うの?そう思ったら、だまされたと思って音読してみてほしい。

「われは草なり」の詩の音読なら、1分もあれば十分。大きな声でゆっくりと音読するのがおすすめ。

きっと、有意義な60秒になる。


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