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「特許翻訳」について語らせて。

自分の仕事が好きです。

そう思える仕事に出会えたのは、人生の中でラッキーなことの1つ。

「特許翻訳」の仕事に就き、20年になりました。特許事務所で翻訳者の経験を積み、フリーランスになったのが3年前。ありがたいことに仕事の依頼は途切れず、納期に追われる日が続いています。

「特許翻訳」と聞いて「あぁ、あの仕事ね」と、ピンとくる人は少ないと思います。

これまで、なんの仕事をしているの?と聞かれて「特許翻訳です」と答えたときに、多くの人の頭上にクエスチョンマークがたくさん並ぶのを見てきました。

今回のnoteで「特許翻訳」ってなに?と思っている人に少しでもなにかが伝われば嬉しいです。

4年ほど前、翻訳の分野には3種類ありますよ、という話をしました。


この3種類のうち、特許翻訳は「実務翻訳」に含まれます。

特許文書を翻訳する、それが特許翻訳。わたしは日英翻訳者なので日本語の特許文書を英語に訳すのが仕事です。

そもそも、特許文書ってなに?

特許文書とは、たとえば「発明の特許を取るために特許庁に提出する書類」のこと。具体的には、特許法に基づいて発明の内容を詳しく説明した書類です。また、特許を取るプロセスで必要になる書類も特許文書です。

つまり、科学技術文書+法的文書、この要素を主軸とするものが特許文書である、と言えます。

「発明の特許を取るために特許庁に提出する書類」は「特許出願書類」と呼ばれ、以下の5つの書類を含みます。

1.  願書
2.  特許請求の範囲
3.  明細書
4.  図面
5.  要約書


「特許請求の範囲」は発明の範囲を定める極めて重要な書類
。特許を出願するにあたり、この部分がキモになります。特許として権利化されるかどうか、それは「特許請求の範囲」の記載にかかっています。

「明細書」は発明を説明するための書類。ほかの特許翻訳者がどう感じているのかは分かりませんが、個人的には、読んでいて心が1番ワクワクする部分、それが「明細書」です。

明細書は、具体的には以下の項目を含みます。

発明の名称
技術分野
背景技術
発明の概要
発明が解決しようとする課題
課題を解決するための手段
発明の効果
図面の簡単な説明
発明を実施するための形態
産業上の利用可能性


この項目を見ても、わたしの「ワクワクポイント」が一体どこにあるのか、まったく想像できませんよね。お固い言葉ばかり並んでいるし。

なぜワクワクするのか?それは、明細書には「ストーリー」があるから。

科学技術文書+法的文書である明細書に、わたしはストーリー性を感じながら読んでいます。それは、小説を読むときの感覚に通じるものがあります。

明細書のコンセプトを、日常語でザックリ説明してみましょう。

この技術には、元々こんな問題や困ったことがあるんだよね。どうにか改善できないかなと色々試してみたんだよ。そしたらほら、見つかったよ、解決策が。こうすれば困難を克服できることが分かった。おまけにこんな効果もあるんだ。それを詳しく説明するから読んでね。


専門的な用語で説明すると、次のようになります。

「発明の名称」で、この発明は〇〇についての発明ですよ、と宣言します。特許を受けようとする発明の内容を簡単に明示するんです。

「技術分野」ではその発明が属する技術の分野を書き、次の「背景技術」で、その分野では従来こんな技術があります、この方法がよく知られています、と具体的な文献を挙げて説明します。

「発明が解決しようとする課題」「課題を解決するための手段」では、今回の発明に至った理由を説明します。つまり、従来の技術ではこんな問題点や困ったことがあるので、それらを解決するために今回の発明をしたわけなんですよ、と。

「発明の効果」には、この発明によりどんな優れた効果が得られるようになるのか、が書かれています。

「発明を実施するための形態」では、発明をどのように実施するのかを当業者(発明の属する技術分野における通常の知識を有する者)が実施できるような形式で、図面を交えながら詳しく説明します。

明細書の流れをシンプルに言うと、以下の通り。

背景技術 → 課題を発見 → 発明 → 課題を解決


ある技術分野での困難や問題点を解決するために試行錯誤し、発明の形までもっていく。その姿勢に「ストーリー」を感じるのです。それはまるで「プロジェクトX~挑戦者たち」の世界観。

ストーリー性のある明細書を翻訳しながら、ある種「カタルシス」を感じることすらあります。明細書を何度も繰り返して読むから、かもしれません。

わたしは文系出身の翻訳者なので、理系出身の翻訳者と比べると、発明の内容を理解するのに必要な科学技術の知識量も、前提条件となる科学のベースも低いんです。

以前このnoteにも書きましたが、理解度が低いと分かっていること、それがわたしの強みだと思っています。

自分の知識不足を分かっているわたしが、最先端技術を扱う明細書の内容をどうやって理解するのか。それはもう、ひたすら明細書を読み込むしかありません。

翻訳依頼を受けたらその文書をすぐに翻訳、これはわたしの翻訳スタイルではありません。

なぜなら、発明の内容を理解することが最優先だからです。英語への翻訳は自分で納得がいくまで調べて、発明を理解してから。

翻訳作業の前に、明細書を図面と照らし合わせながら、最低でも2回は通して読みます。翻訳しながら、明細書を再度読みます。翻訳終了後にチェックを2回(画面上でのチェックと、印刷物でのチェック)するので、そのときにも明細書を読みます。

1件の翻訳を仕上げるまで、同じ日本語の明細書を最低でも5回は読むわけです。もちろん、集中して真剣に。

文章を読み進めるにつれて愛着が湧くというのは、読むのが好きな人なら分かる感覚だと思います。同じ明細書を何度も読んでいると、その発明者が「プロジェクトX~挑戦者たち」と重なり、頭の中でテーマ曲が鳴り響いたりします。


発明者がその発明に至るまでのストーリーを勝手に想像することもしばしば。翻訳作業が進むにつれ、発明への思い入れは強くなっていきます。

翻訳の完成時には達成感だけでなく、なにかを手放すとき特有の寂しさを感じることもあります。「良い発明だな」と感銘を受けた案件は、どうか特許権を取得してマーケットに出てきますようにと願いながら、クライアントに納品するのです。

特許翻訳者は完全に「黒子」の役割で、多くの人にとっては馴染みのない非常にニッチな仕事ですが、わたしにとっては魅力的な仕事。最先端技術の一端を少しでも担えるのですから。

自分の仕事が好き。

そう思える仕事に出会えたのは、本当にラッキーです。

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