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なんで書いてるんだろうね  #読まれないnoteを書こう

この疑問、ここ1年くらい定期的にやってくるんですよ。

「なんで書いてんの?」

答えはいつも見つからないんだけど。今回も堂々巡りで、結論は出ないんだろうなぁ。

【注意】
思っていることをダラダラ書くだけで、読み手にはなんのメリットもなさそうなnote。引き返すなら、いまのうちにどうぞ。

そうだ、こういうnoteを書くのにピッタリの企画があるじゃない。愛すべきnote仲間、ルミさんのコチラの企画。

ということで、読まれないnoteを書きます!

こうやって宣言しちゃえば、肩の荷が一気に下りる。いいねいいね。ラクチンラクチン。

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わたしがnoteにやってきて、来年の2月で丸4年。

最初は、文章を書くことでなにかに繋がればいいなぁと思ってやってきた。「なにか」が何なのか、何であってほしいのか、そんな具体的なことはまったく考えずにnoteに来ちゃったわけ。

単純に違う世界を見てみたかった、という好奇心が1番だったのかも。

それまでブログも書いたことがなかったし、自分の言葉で文章を組み立てて書くなんて、学生以来やってなかった。「書く」ということの本質や目的も分からないまま、noteに来たわけですよ。

そんな軽い気持ちではじめたもんだから、そりゃあ大変。文章を書くのってこんなに難しいんだって、知らなかった。

noteビギナーのときは、頭で考えていること、心で感じていることが文章で表現できなかった。思ってるのに。ちゃんと感じてるのに。1000文字くらいを書くだけなのに4時間も5時間もかけて、何度も書き直して、それでもできあがった文章はオソマツで。

わたしの文章、なんだこれは?拙すぎ・・・

当時noteで既に書き続けていた人たちの文章が、どれほど美しく、どれほど鮮やかで、どれほどキラキラして見えたことか。心を揺さぶられたことは何度もあった。

こんな文章、わたしも書けるようになりたい!

そう思って2年間くらいかな。文章の世界にのめり込むようになった。ズブズブと。だれかと話してても、仕事してても、家事をしてても、「書く」ことが脳にこびりついて離れない。

いやぁ、文章は魔物です。

書きたい、うまくなりたい、書きたい、うまくなりたい、書きたい・・・

そんなことばっかり考えてた。

ちょうどそのころ、noteで知り合った仲間たちとの交流がどんどん活発になって、書くことが生活の一部になった。書く行為そのものに全力投球ガムシャラで、書く意味や書く理由なんて考えたこともなかった。

それでも、毎日更新なんて夢のまた夢。週1更新が精いっぱい。推敲に時間をかけたいわたしは、毎日更新には向いていない。そう思ったので、自分との約束ごと「週1更新」をかかげて、いまに至る。

ところが、1年くらい前から「なんで書いてるんだろうね」とふと思う瞬間が定期的にやってくるように

書くのが嫌になったとかそういう話ではない。書くのが嫌になったら(そんなときが来るのか?)、書くのを止めて去ればいい。

わたしはnoteをゴリゴリマネタイズしてるわけでもないし、そうしようとも思っていない。それなら「なんで書いてんの?」と。わざわざ貴重な時間を使って。

前よりも書くことに慣れてきたからといって、短時間でサクッと1本書けるわけもなく。要領が悪いのか推敲が好きなのか、なんだか知らんが、1本書くのに3~4時間くらいはかかる。

以前は「書くのがめちゃくちゃ楽しい!!」ってハイテンションでうきうきしながら書いてたんだけど。いま、書くのはめちゃくちゃ楽しいか?と聞かれたら、めちゃくちゃではないよね、と思う。

恋人にたとえると、ラブラブな時期は通りすぎて、そこにいるからここにいる、みたいな感じ。熱量はもう高くないけど、いなくなっちゃうことを思うとなんかヘンだから、という感覚。

これまでわたしは、家族の話や深い心の内をエッセイにして書いてきた。

わたしの場合、あるエピソードをエッセイにして投稿すると、そのエピソード内で自分が抱いていた感情や気持ちが消化され、すっきり昇華しちゃう。あぁ、この気もちを手放せた、という感じ。

前みたいに、書きたい書きたい書きたい、と思わなくなってきたのは、心が凪いでいるのかもしれない。

それならなおさら「なんで書いてるんだろうね」。書きたい書きたい、と思ってないのにさ。

自分でもよく分からない。

自分との約束ごと「週1更新」を守っているだけなのかも。昔から無駄に責任感だけは強くて、自分でこうと決めたことは最後までやり遂げなくちゃ、と思うクセがある。そのせいかな。

それとも、自分ではまだ気づいていないだけで、心の奥底に「書いて」というエピソードが眠っているのかもしれない。冬眠中?熟成中?知らんけど。

ここ1年、そんなふうに考える機会が定期的にあって。「なんで書いてるんだろうね」を知りたいな、って。

そう思っていたとき、こげちゃ丸さん(noteを書き始めたのがわたしと同年同月のnote同期!)がこんなnoteを書いていた。

僕がnoteを始めて3年半。毎週、週末に何かしらの記事を投稿してきた。
「今週は投稿しなくてもいいかぁ……」と思う瞬間もあった。でも、その気持ちをかき消して、書く。


「今週は投稿しなくてもいいかぁ……」あぁ、わたしもそう思ったこと、何度もあるよ。でも書いてきた。おんなじだ。思わずコメントを残すと、こげちゃ丸さんの返信にはこうあった。

「誰かが書いている」ということも、自分が書く原動力になる気がして。

あぁ、確かにそうかもしれない。

あの人も書いている、この人もずっと書いている。フォローしていないけど、時々noteで見かけるあの人も、いまもこうやって書いている。それらも自分が書こうと思えるチカラになっているんだな、って。

「なんで書いてるんだろうね」

その明確な答えは出ない。でも、その答えを見つけるために書き続けているのかもしれない。これからも、その問いとずっと伴走するのかしら。

そうだとすると、やっぱり文章は魔物だわ。



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