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2011年のこと

2011年は、ちょっとした結婚ラッシュだった。

「女の賞味期限はクリスマスケーキと同じ」

そう言って24・5で結婚する子もいたけれど、平成女子にとってそれは少数派で、友人の多くは20代後半でパタパタと結婚していった。

私は飲食の仕事をしていて、新人の時は土日に休むことができなかったけれど、20代後半ともなると、ベテランのパートさんや頼れるアルバイトに任せて、1日くらいは休めるようになっていた。それで、友人の結婚式にも出席できるようになった。私が28歳になったばかりの1月のことだ。

当時私がつきあっていた人は、およそ結婚には向かず、結婚は私にとってまだまだ遠いところにある感じがした。

いっぽう未婚の友人の多くは、腹をくくって今の恋人と結婚するか、見切りをつけて別れるかといったところだった。

私にとっては、結婚よりも、果たして今の仕事が向いているのか、30歳になっても続けられるのかといったことが一大事で、年末から店長に話していたように、飲食の仕事は2月いっぱいで辞めてしまった。

とりあえず、一人旅に行こう。有休を使って、ずっと行きたいと思っていたペルーに行けば、何かこの先の手がかりが見つかるような気がしていた。

ペルー旅行は、とてもよくて、とても散々だった。

よかったことは、一人になれたこと。よくなかったことは、一人では何もできないと知ったこと。ペルーでは、ホテルや空港以外でほとんど英語が通じない。通じるのは、公用語であるスペイン語だ。私の恋人はスペイン語ネイティブだから、一緒に行けば言葉の問題は何もなかったのだけど、私はなんとしてでも一人で行きたかった。恋人の存在は邪魔でしかなかった。

個人ツアーを手配してみたものの、飛行機が遅れて、レストランで昼食を食べるはずがなぜか梅干しと鱒のおにぎり2個の弁当になったり、現地ガイドにセクハラまがいのことを言われたりした。そんなことはまだいい。

それより私がショックだったことは、私は28歳の大人なのに、外国で切符や食べ物を買う以外に、人と気の利いたやり取りができないとわかったことだ。3日以上ペルーに滞在して、一人でうまいこと時間をつぶすこともできない。

パワースポットと呼ばれるマチュピチュを訪れたところで、そんな私が生まれ変われるわけでもない。帰りの日は、25時間を超えるフライトの中で早く家に帰ってシャワーを浴びることばかり考えていた。

日本に帰ってみると、ショックは大きくなるいっぽうだった。

物があふれかえった日本。資源はあるのに、(日本と比べ相対的に)仕事もお金もないペルー。都市部を離れると、子どもたちがお金をくれ食べ物をくれと寄ってくる。私はたいしたこともせず生きている自分がどうにも嫌になってしまった。

ハローワークに行ってもピンと来る職種もなく、どうしようもなくて、韓流ドラマ「恋愛マニュアル~まだ結婚したい女」を観るのだけが楽しみになっていた。ドラマの主人公は、34歳の仕事に燃える女性。恋人にプロポーズされたと思ったら、その日のうちに彼の浮気が発覚して破局。恋より仕事とがんばるけれど、年下の魅力的な男性と出会い、男性への不信感が徐々に解けていく。

34歳はいわゆるアラサーで、20代後半と見た目はたいして変わらないように見えるけど、いま思えば当時の私よりずっと大人だ。

結婚する友達に贈るプレゼントを選びに行って、どうにか稼ぎ口を見つけなきゃと思ったのも束の間、「恋愛マニュアル」が楽しみで15時前に家に帰ると

ゆらり

ドン と衝撃。いつもと何か違う。

本棚からバサバサと本が落ちる。

止まらない。

おそるおそるテレビをつけると、「恋愛マニュアル」はいつまで経っても始まらない。すべての局が、同じことを報じている。

何も面白くない。

地上デジタル放送は、なんにも面白くなかった。

面白くないから、テレビを消して、twitterを見て、そうすると疲れるから携帯電話をそっと置き、棚にずっとあった缶詰を開けて食べたり花の絵を描いたりしていた。

世の中が少し落ち着いてから、父と東山温泉に行った。
森は緑が美しく、土産物屋のおばちゃんは私よりずっと元気で、ソフトクリームを買うとコーンの中に食べ切れないくらい中身が詰まっていた。

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