CAKESへの批判と擁護に対する違和感
CAKESに連載されている相談形式のコラム、『幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。』において、2件の記事における幡野氏の回答と、編集部の対応が問題視されている(他にも批判されている点がありますが、ここでは2件の記事とその対応について書きます)。
ひとつ目は、夫からDV、モラハラととれる行為を受けている相談に対して、「大袈裟」「ウソ」と決めつけるような回答をしたこと。
ふたつ目は、年上の男性とつきあっている幼馴染を心配する、中学生への回答だ。
上記ツイートのスクリーンショットを参考にすると、
相談者の幼馴染が19歳の社会人男性とつきあっていて、その男性が避妊してくれない、彼は喫煙・飲酒しておりそれをSNSに投稿している、過去に少年院に入りかけたことがあると述べられている。
また、相談者の幼馴染の母親は、育児放棄や暴力をともなう虐待をおこなっていたという。
相談者は最終的に、
複雑な家庭で苦労して育ってきた幼馴染には幸せになってほしいので、この状況をどうにかしたいのですが、幡野さんならどうしますか?やっぱり何も口出ししない方がいいのでしょうか。
と訊いている。
これに対して幡野氏は記事の中で
ぼくがキミの立場なら、友達には「そりゃあそうだよね」ぐらいのことしか言えない。14歳のキミには話を聞くことしかできないけど、それが最良だとおもう。キミの存在が、友達のしあわせに繋がっていくとおもうよ。
誰も友達の人生の責任はとれないんですよ。もちろん未成年だから、保護者の責任はあるんだけど、それは最低限の生存のための保護であって、実は親も先生も人生の責任をとってくれるわけじゃないんですよ。友達自身が気づいて成長していかないといけないの。それが自立っていうんです。
キミにもまったくおなじことがいえます。キミが決められるのも、キミが変えられることも、キミが責任をとれる範囲も、キミのことだけなの。だからまず自分のしあわせを第一に考えましょう。キミが恋愛するときに、友達の彼みたいな人は避ければいいよ。
と答えている。
この回答の意味はわかるけれど、DV被害相談のときのnote社や編集部の対応も踏まえて読むと、3つ疑問を抱いた。
1.“この状況をどうにかしたい”という相談に対して、
“友達には「そりゃあそうだよね」ぐらいのことしか言えない。14歳のキミには話を聞くことしかできないけど、それが最良だとおもう。” この回答は適切なのか。
2.“未成年だから、保護者の責任はあるんだけど、それは最低限の生存のための保護であって、実は親も先生も人生の責任をとってくれるわけじゃないんですよ。友達自身が気づいて成長していかないといけないの。それが自立っていうんです。”
とあるが、14歳の未成年に対して、自分の人生の責任に気づき、成長して自立することを求めるのか。
3.幡野氏と編集部は、DV被害相談に対し多くの批判が寄せられたことを受け、DV問題についてカウンセラーから学ぶ機会を持ったが、その中で問題となった強者の眼差しや無自覚な暴力性は、今もなお回答の中に温存していると感じる。編集部はそれに気づかなかったのか。
この回答に対して、幡野氏は自分の娘にも同じことが言えるのかと批判する人がいるけれど、おそらく言えるのだと思います。このような回答ではなく児童相談所に伝えるべきだとする意見については、本人から丁寧に話を聴くべきだと思いました。
心に響いた、何の問題もない正直な回答じゃないかと感じるかたについては、それこそが強者の眼差しであり、無自覚な暴力性だと思っています。
中学生からの相談は、記事のアーカイブを見つけたのでそちらも貼っておきます。
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