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NAGASAKI

 僕の妻はバスガイドである。そのため長崎には頻繁に行く。修学旅行である。九州を巡る修学旅行の定番といっていい。
 長崎はいろんな顔がある。幕末の歴史を彩った坂本龍馬たちの活躍の場であり、江戸時代を通してオランダ貿易の拠点であり、キリスト教殉教の地であり、そして世界で2番目に原爆の被害を受けた街である。
 これらが一か所に集まっているから修学旅行の場所としては最適なのである。
 長崎の原爆は広島の原爆よりも強力だった。なのになんで、江戸時代の建物とかが、焼けずに残ったのか、それは長崎の山の多い地形のおかげで、グラバー邸や寺町は助かったのであった。
 広島は平地が続いていたため、その分、被害は広島がすさまじかった。
 広島でもそうだが、長崎でも修学旅行で、被爆体験者の語り部があり、生徒たちはしばらくその話を聞かされる。もっとも語り部をする人たちで、被爆体験者は年々減って、後を継ぐ人たちにより継続されている。
 コロナの影響で、修学旅行を中止にする学校が出て来たり、近場ですます学校が出て来たりで、長崎へ来る子供たちは減った。今は元に戻りつつあるが、修学旅行の途中でコロナに罹った子供が出てきたりして結構大変みたいである。バスガイドも命懸けである。
 修学旅行はだいたい秋に集中していたのだが、これもコロナのせいで、夏や冬に行くところも増えてきた。過ごしやすい秋に比べ、夏や冬に長崎の町を歩いて案内するのは辛かろう。一本柱鳥居や浦上天主堂、山里小学校、城山小学校、永井隆博士の如己堂。
 原爆資料館は昔は校舎みたいな建物だったのが、一新して未来志向の建物に代っている。かつては原爆の悲惨さを伝えるばかりのものだったのが、現在の世界の核兵器の現状などを伝え、未来への警鐘をならすものとなっている。
 僕が行った時は、多くの外国人が見に来ていた。ひとりひとりが世界の未来について考えてもらえたら、いいな、と思った。
 1945年8月9日。11時2分。77年前に苦しみながら死んでいった方々のご冥福を祈りながら、黙とう。
 


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