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祖父の歴史

 僕の祖父は明治40年生まれである。日露戦争が終って2年後に生まれた。私生児であった。そのため乳の出る農家の家へ貰われた。貰われた先では学校には行かせてくれたが、こき使われたらしい。農家の子だから当時は仕方ないともいえるが。
 大人になって兵役検査を受ける。ひどいイボ痔であったため丙種合格となり、しかしそのおかげで戦争に駆り出されることはなかった。ただそれは祖父の一生のコンプレックスになった。
 国鉄の小間使いとして働き、やがて正社員に合格する。妻は親戚から貰った。一回り以上年下の体の弱い女性であった。これでは貰い手もなかろうと先方から押し付けられたような結婚であったらしい。
 それでも子供は3人産んだ。長男が僕の父親である。昭和9年5月30日誕生。この日は日露戦争連合艦隊艦長東郷平八郎の没した日でもあった。祖父は父を東郷元帥の生まれ変わりだ、と大層喜んだらしい。
 昭和20年8月6日。電車に乗っている最中に被爆する。無傷ではあったが、約13kmの道程を、家に歩いて帰りついた時、気づけば、上着のポケットに大量の電車の窓ガラスの破片が入っていたらしい。
 国鉄を定年退職した後は、不動産関係の勉強をし、自ら会社を興した。だが思ったよりうまくいかず、不動産会社に就職するに至った。
 晩年、若い経営者とうまく行かず、飯も喉を通らぬ状態となる。入院したが、病名は原因不明とのことで、大きな病院に転院させられた。そしてそのまま衰弱していき、息を引き取った。74歳であった。
 父親が解剖を断ったため、死因ははっきりしなかったが、心因性ショックと書かれた。孫の僕が同じような原因で鬱になったので、同じ鬱病だったのではないかと疑われるが、それでも鬱病で死ぬなんてことは聞いたことがない。何かしら他の病気もあったはずだと思われるが、CTもMRIも当時なかったので知る術もなかった。
 祖父は働きづめの一生だった。それを思えば、父親は63歳で会社を辞めた後、母親と海外旅行三昧で、幸せな晩年をおくれた。ただ69歳という若さで亡くなった。
 さて晩年も近い僕であるが、お陰様で海外旅行へ行ける身分になっている。勿論限度はあるが。あと何年生きるのかは知らないが、せいぜい遊び倒したいと思っている。
 
 

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