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配達

 ホームセンターに入社して初めの頃は、配達も作業の1つだった。今でこそ専門の業者が入っているのだが、当時は店から出ないといけなかった。
 最初の赴任先は前原のほうだったので、海の家の海開きの時季には、葭簀をトラックいっぱいに乗せて毎日配達に行ったものである。海水浴場が多いのである。持って行って運んでいると、気の早いお姉さんなんかは、既に水着きて、気取っている。目の保養になった。もっともこっちは汗びっしょりに、体中葭だらけであった。
 前原の方は田舎である。海もあれば、山もある。トラックで窓を開けて走っていると、虫が入ってきたりする。
 牛や豚を乗せた車に遭遇することもよくある。今や九大も出来て、ベッドタウンみたいになって、様変わりしたと聞くが、もう何十年もいっていない。
 次に行った店は都会の店で、田舎とは違って、車が多い。渋滞もする。
当時の店長が厳しい人で、流し台の配達なんかも1人で行かされた。でかいだけで、重量はそんなにないのだが、お客様の家に傷でもつけたらどうするつもりだったのだろう。金庫まで1人で行かされそうになったので、その人の前で、「1人では持てません」と担いで見せて持ち上がらないデモンストレーションしたこともあった。
 あと今ではもう売っていないが、コンクリートの焼却炉。あれは重くて往生した。3つに分かれるから、金庫と違って持ち上げることは何とかできる。ヨレヨレしながら、重ねていくのである。
 その次の店は北九州である。もう配達に行かなくてもいい身分になった。その代わり、クレームやら、何やらで、結構トラックで出動したこともあった。
 クレームで思い出したが、入社早々灯油バーナーが出始めで、使い方が悪くてクレームになることがよくあった。会社自体がまだ若かったせいもあるが、1年生が、そのクレームに、1人でいかされるのである。すごい会社だな、と思った。おかげで、いろいろ勉強にはなったけれど。

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