見出し画像

フォークギター

 中学2年生になって、同じクラスになった三上君と仲良くなった。三上君はギターをやっていて、といってもまだ始めて1年もたっていないのだけれど、僕にはとても上手にみえた。
 一緒に練習しようよ、ということになり、僕はお年玉の残りでギターを買い、三上君の家で連日練習するようになった。
 当時流行っていて三上君の好きだったNSPのコピーから始めた。コード進行が優しくて初心者向きだったのもよかった。(NSPのメンバー、天野くんに続いて中村くんも亡くなった。まだ若いのに。ご冥福をお祈りいたします)
 家でも練習した。祖父からうるさい、近所迷惑といわれながらも、当時楽しくて仕方なくて夢中で練習した。
 他のクラスメイトもギターを始める人が多かった。特に男子は女子にもてるアイテムとして、ギターを習得しようとしていたようだったが(プロのギタリストも最初の動機がそうである人が多いらしい)僕は三上君との遊びの延長のようなものだった。
 女子もギターを弾き始める人がチラホラとおり、何を勘違いしたのか、僕がギターが上手だと思って、教えてほしいと言ってくる娘もいた。まだ下手なのに、そんなこといわれて緊張した。仲良くなるチャンスを自ら拒んだ。
 中学3年になると、三上君とはクラスが分かれた。一般的にもそうだが小中学校の友達ってクラスが代わると疎遠になるのってなんでだろう。同じ空間を共有しないからなのかなあ。
 代わりにクラスの中での班分けで一緒になった空君と世良君と仲良くなった。空君は学校一のスポーツマンで陸上部で県大会とかにもいっている、しかも超イケメンな男の子だった。世良君は学校一の秀才でいつもテストは一番だった。うだつのあがらない僕がなぜこの二人と仲良くなったかといえば、ギターであった。2人ともギターをしていて、それで意気投合していた。空君にいわせると僕が一番うまい、といってくれたが、年数は皆五十歩百歩だし、技術に大差あるはずはなかった。ただし練習時間は僕が一番だった。空君は陸上で、世良君は勉強で時間がとられるからだ。僕は勉強はしないの、と質問がありそうだが、ギターに割く時間のほうが圧倒的に多かった。
 三人でグループを組もうということになった。バンド名は”流星”である。誰がつけたか覚えてないが、僕か空君だったと思う。そら、せら、ときたから僕は芸名をつけて、ほら、とでも名乗ろうかと思ったがコミックバンドと勘違いされたら嫌なので、別の芸名で二文字のものをつけた。
 三人は僕の家でギターの練習をした。練習というより遊びである。それぞれ作詞作曲をし、カセットテープに録音した。あんなにはしゃいでいたのは、後にも先にもなかったかもしれない。子供と大人の境界線で、まだ子供よりの時期であった。
 秋の文化祭には、世良君は他の友人とのしがらみで別のグループでビートルズをした。僕と空君がデユオで流星として参加した。くじ引きで一番を引き最初に演奏することになった。10分の持ち時間で3曲。最初と最後に空君が井上陽水の東へ西へと心もようを歌い、2曲目で僕が自作の曲を歌った。
 空君の歌声は上手でますます女の子のファンがつくだろうと思われた。対して僕は緊張してか、声が裏返って上手に歌えなかった。見ていた従妹が「かっこよかったよ」といってくれたが、慰め以外になかった。
 さて文化祭が終わるといよいよ受験である。結果だけいうと、三人とも志望校に通った。空君は私立の高校から誘いがいくつかあったようだが、蹴って公立の少し遠いところに行くことになった。世良君は私立で一番難しいであろう高校に合格した。僕は家から一番近い公立高校に合格した。
 また機会を作って会おうということになったが、それはかなわなかった。ただ電話だけは、幾度かしあった。ジョンレノンが死んだときには世良君とともに慰めあったこともあった。
 高校三年間は皆それぞれに忙しく、大学も空君は大阪へ、僕は福岡へ、世良君は地元で一番難しい大学の医学部に入った。
 大学1年生の丁度実家に帰っていたある日、空君から連絡があった。世良君が白血病で死んだ、というものだった。
 あまりに突然のことで、頭が真っ白になった。何ていえばいいんだ。茫然自失。空君も大阪なので、死んだことはしらなかったらしく、実家に戻った時に聞いたらしい。
 翌日、僕ら二人は線香をあげに世良君の家にいった。空君が突然、「中学校の時に録音したテープがあったよな」といった。僕は頷いてちゃんと保管している旨をいった。するとお母さんから是非聞かせてほしいという申し出があったので、翌日、テープをもってきて渡した。テープには僕や空君の馬鹿声も入っていて恥ずかしくもあったが、お母さんはきっと泣きながらきくのだろうな、と思うとなんだか僕も泣きたくなった。

 高校大学社会人と趣味の範囲でギターは続けた。高校の時には独りで、時にデュオでコンサートに何度か出たこともあった。ポプコンに応募したこともあった。即ボツだったが。結婚するまでは、夕食後、焼酎を飲みながらギターを弾くのが日課であった。


 年月がたち、いまやギターはほこりをかぶった状態で僕の部屋に立てかけてある。今では弾くことも稀である。最近一度弾いてみた。案の定下手くそになっていた。結婚して以来、かれこれ20年近くもまともに扱っていなかった。
 僕のフォークギター。
 青春の終わりとともに棺(ギターケース)の中で今も眠っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?