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比較についての思い付き

ぴょいーんと跳ねるイクチオサウルスの想像図 こんな風には跳ねてはいなかったそうである

 比較解剖学という学問がある。脊椎動物を中心に、器官やそれをとりまく身体の構造を解明し、種の分化や進化、変異を研究する学問の一分野である。僕は生物学の専攻ではないし、なにより理系ではない。中途半端な人文科学系の人間である。だから、比較解剖学なんてもちろんやったことはない。ただ、小さいときは生き物、特に魚類、両生類、恐竜を除く爬虫類は大好きだった。小学生の内は旅行に行けばほぼ必ず水族館に行っていたし、暇があれば近所の自然公園や雑木林に赴いていろんなものを見ていた。中学校になってからは周りの勉強ムードからか、或いは部活動熱心ムードからか、自分もほとんど野に出て山に出てということはしなくなった。もっとも、勉強も部活動も大してしなかった。家に帰って寝ていた。
 

 いや、そんなことはどうでもいいのである。最近「あつまれ どうぶつの森」に熱心だと、前回書いた。主題は「なんで爬虫類はほとんどいないの」ということであった。僕は「あつ森」をやってて一番励起されたのは何かというと、ガキのころ熱中した生き物に対する関心であった。だから前回「あつ森の生物多様性はどうなってんですか」なんてことを書いたのである。しかし、アレクサンドラトリバネアゲハが飛びながら、水中には日本のナマズがいたりする島の生物多様性に、何かいっても仕方がない。かたや熱帯の生物、かたや温帯の生物である。一つの環境に共生できるわけがない。博物館でも不可能である。とにかく、「あつ森」をやっていてそういうことを絶えず考えだしてしまったわけである。
 

 ただ、最初に言ったように、自分は生物学を専攻したことはない。教科書も当然ない。自分の本棚の中にあった生物にかかわる本は、小学生のころ買った『小学館の図鑑 ポケット 魚』と学研の『日本の淡水魚』だけだった。何かを確認しようと思ったら、これだけじゃとてもたりない。例えば「あつ森」ではシーラカンスが釣れるが、そのシーラカンスがどういう生物なのかということは、これらの図鑑にはほとんど記されていない。ネットで調べてもいいが、詳細なものと煩雑なものが入り乱れていて、どう自分で解釈したらいいのかわからなくなる。だから生物に関する本を自分で色々仕入れた。そしていくつか読んだ。その中で比較解剖学というものに出会った。長ったるしい説明になったが、ようやく最初につながった。
 

 比較解剖学に出会ったといっても、本格的に勉強する気はない。自分が興味があるところだけを引っ張って、読むだけである。面白かったのは形態の相似と相同、そして収斂という概念であった。生物の形態で単に似ているだけの場合を相似といい、全く似ていなくても本質的に同じものである場合を相同という。例えばイルカとマグロがいる。どちらもヒレがあって、水の抵抗を最小限に抑えるような外見をしている。ただ、二つは全く別の生物である。マグロは硬骨魚類の一群、イルカは海生哺乳類である。だから、この二つは相似である。ただ、イルカのヒレと我々ヒトの手、これは相同である。収斂というのは、全く系統が異なる生物であっても、同様の環境に身を置けば形態が似てくるということである。イルカとマグロは系統的には異なるが、双方ともに水中という環境に身を置いたので、最終的に似たような形になった、ということである。イルカとマグロより、イルカと魚竜を比較したほうがわかりやすいかもしれない。魚竜は中生代に栄え、その末期に絶滅した海生爬虫類であるが、その形態はイルカとよく似ている。

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 上はホホジロザメ、真ん中は魚竜のイクチオサウルス、下はネズミイルカの一種。どいつが魚だよと言いたくなる。

 僕はこの考え方を知ったとき、はたと思いついた。学問における「比較」というのは、こういうのを明らかにすることなんだろうなと思ったのである。イルカと魚竜は、水中により良く適応するために、似たような形になった。それは水中という世界で生きるための、一種の理想形であろう。それを示してくれるのが「比較解剖学」ではないか。同じように我々が「比較宗教」とか「比較文化」とかというときに目指すものは、その比較する対象が最終的に収斂するある種の理想形、それを提示することなのだろう。

 そういえば昔、中村元という碩学が著した書物に『普遍思想』というのがあった。読んでないが、恐らく異文化間で成り立つ普遍的な思想とは何か、ということを考察したのであろう。これは思想についての収斂といえるのかもしれない。

 ただ、そういう風に考えていくとやっかいなのが「比較言語学」というやつで、今の論法で行けば言語を比較しつくして最終的に行き着く一種の理想形があるということになる。昔、あらゆる文化で意思疎通ができるためにと開発されたエスペラント語という人工言語があったが、僕はそれを見たとき何がなんだかわからなかった。インド・ヨーロッパ語系で特に古いサンスクリット語は、その語系が分化する前の基本的な形を備えてると思うが、習得するには難しすぎる。言語については、この考え方は当てはまりそうにない。やっぱり素人の考えでした。

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