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やってみたからこそ気づく、「思ってたより大したことない!起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦 Vo.2

この記事は、起業家教育で29年連続世界No.1スクールであるバブソン大学(アメリカ・ボストン)のMBAの卒業生たちにインタビューし、彼らの挑戦に迫るシリーズになっています。MBAという大きな挑戦を経験し、卒業後もなお挑戦を続けている方々へのインタビューを通じて、挑戦への向き合い方やそのマインドセット、それをどう乗り越えてきたのかなどを共有することで、読者の方々の挑戦へのモチベーションを刺激し、一歩踏み出す一つのきっかけを作ることができればと思っています。

第2回目は、濱名翔(はまなしょう)さんにお話を伺います!

※本シリーズの第一弾は、Boston SEEDs運営メンバーの島口さんにインタビューしています。島口さんへのインタビュー記事はこちらをご覧ください!



まずは自己紹介をお願いいたします!


濱名翔と申します。生まれは大阪で、高校まで大阪で育ちました。一浪して東京の大学に入学し、大学では経済学系のゼミに入っていました。ずっと続けてたことで言うと、小学校から高校まで続けた野球でしょうか。


大学では、中国・深圳(しんせん)で行われた2-3週間のインターンシップに参加しました。中国広東省で香港に隣接する深圳は経済特区に指定されており、日系企業の工場が集まった深圳テクノセンターにて、中国人労働者と同じ宿舎に寝泊りし、社長インタビューを行ったり、工場内業務を見学・体験を実施しました。そのインターンシップを通じて、海外で働くことや、重工系のメーカー製品、船舶、発電機、建設等に興味が出てきまして、卒業後はゼネコンの大林組に入社しました。


大林組では、まず名古屋の管理部門で、2年間総務系の業務を担当しました。ビル・オフィス管理、宿舎の管理、支店でのイベント企画・運営や各種規程の管理、加えて工事にかかる保険業務等多岐に亘りました。その後、同じ東海圏内で、豊橋浜松周辺の高速道路や国道のトンネル、橋梁、地元信用金庫の本社ビルや大企業の研修施設等の建設現場で、現場事務(会計・財務、契約、安全管理や現場運営にかかる事務全般)の担当を約4年間経験しました。


海外留学制度が社内にあり、それにチャレンジを続けている間に、東京本社の海外関係の財務会計部門に転勤になりました。勤務を始めた約半年後に、海外留学制度の内定を得て、1年間業務と並行して勉強を進め、バブソン大学MBAに合格しました。


バブソンではアントレプレナーシップとファイナンスを専攻し、卒業後はサンフランシスコ駐在となり、現在に至ります。


サンフランシスコで従事している業務は、大林組の北米支店の総務全般と北米グループ会社の管理です。グループ会社管理では、土木(橋梁や道路工事等)を得意とする会社でウィスコンシンとカナダトロントに本社を置く2社の財務担当もしています。


学生時代から中国にインターンシップに行かれるなど大きな挑戦をされたようですが、ご自身の「何かに挑戦するマインド」はどのように培われたと思いますか?


きっかけは、高校から大学に上がったときですね。


お伝えしたとおりずっと野球をやってきたんです。今思い返せばもう少し頭を使ったやりようはあったと思いますが、当時は甲子園を目指してがむしゃらにやっていて、だからこそ、18歳になって高校から大学に行くときに、今まで打ち込めたものを失って、次何やろう?ってずっとモヤモヤしていました。


今まで、1日の8割以上取られてた野球がなくなって、自分は一体何になるんだろう、と。大学でも、極力なにか一つの事に打ち込みたい、と思っていて、検事や弁護士を目指して法学部に行こうか、はたまた演劇系も面白いじゃないかとか、いろいろ考えてはいたものの、一歩踏み出せなかったんです。法学系の学部に関しては、多分運もあるんだと思うんですが、全部落ちちゃいました。

国家一種目指してもいいかもしれないし、交換留学も面白そうだな等いろいろ考えていて、そしたら結局2年ぐらい経ってしまって、「これは駄目だ、何かやりたいなって漠然と思っているだけで結局何もできてない」と気づいたんです。


そんな中で、ゼミの教授からインターンシップのお話がありました。中国の現地で働く工夫さんの部屋に2週間泊まりながら生活を共にする、なんて若い今しかできないでしょうし、もう迷いもなかったですね。「参加します!」みたいな。もちろん渡航費は自腹ですけれど(笑)


なので、「挑戦するマインド」に関しては、根がそういう性格だったわけではなく、でも何かチャンスがあったら掴みたいなっていう気持ちを常々持っていたと思います。



海外留学しようと思ったきっかけは何でしたか?


先ほども少し触れましたが、まず入社するときから漠然と海外で働いてみたいなとは思っていました。


ただ、正直留学は考えておらず、仕事としていければ経験値として万々歳かなと。留学制度があるのは知っていたんですが、初めから地方配属の自分には回ってこないだろう、と思っていましたね。実は同期が先に社費留学をしていました。その彼は、同期の中でも仲が良かったのですが、初めから本社配属で自分には彼がすごくエリートに見えて、こういう人が留学にいくものなのだろうと思い込んでました。


そんなとき、たまたま名古屋に、同じ大学の先輩上司で、ロサンゼルスやサンフランシスコに勤務した経験のある方が転勤してこられてお話を聞ける機会があったんです。


本当にその上司のおかげです。彼に出会って「よし、やってみよう」とスイッチが入りました。それまで英語の勉強は皆無でしたが、「興味があるなら、とにかく1回応募してみなよ、点数なんか後から頑張ればどうとでもなるから」と言って、背中を押してくれました。当時社内で推奨、というかほぼ必須とされてたような資格も 取ってなかったので、人事からはまずそれをやりなさいとお叱りを受けたりもしました(笑)


ざっくりと、そのような流れで選考を受けるに至り、準備を始めて約1年半後に社費留学生の内定をもらいました。


バブソン大学を選んだ理由は何でしたか?

バブソンを選んだのも、その上司の影響が大きいです。


その上司もロサンゼルス・サンフランシスコ勤務前にニューヨークに社費留学の経験があり、東海岸では結構異色な学校で、トヨタ自動車の豊田章男社長の母校でもあるということで、バブソンのことを「面白い学校だと思うよ」と紹介してくれました。


また、当社はシリコンバレーに、Obayashi SVVL(Silicon Valley Venture Laboratory)という、スタートアップ企業と協働するラボをもっておりまして、その 設立に尽力された方も、「バブソンは面白いそうな学校だよね」と評価しておられました。


あと、せっかく留学するんだから、何かしら他の人とは違うことをやりたいなっていう思いが大きかったです。


社費留学で当社の事務職系の留学生だとどうしてもファイナンスの前例が多く、「アントレプレナーシップって何?」「何をしに行くの?」というような反応で、役員の方々に対する説明には苦労しましたが、「年齢の近い先輩方や同期と同じようなことをして帰ってきても意味がない、バブソンに行かせてほしいんです」と力説しました。


在学中に取り組んだことや成功体験、失敗体験 などあればお聞きしたいです!

先ほどの中国の件と同じなんですけど、何かチャンスがあったら手を挙げていました。


その中で、リーダー役まで踏み切ってできなかったのは、失敗の一つだったと思っています。手を挙げるところまではいいでしょうが、別に失敗してもいいから「じゃあ私が全部リードします!」と、やれればよかったですね。


特に、本シリーズ第一弾で登場された島口さんが在学中に創立されたBSEEDsの活動です。私が在学中に、同活動をBabson Acceleration Clubという大学公式クラブ設立まで実施できました。後輩の代から多国籍となり、今やかなりの大所帯となっているようで、やはり第一歩を踏み出すことの大切さを学んだ一方で、同活動の中でも、私は投資先企業のFounder達とのコミュニケーションは限定的でした。担当企業という形では持てていなかったので、もう少し貪欲に行きたかったなと若干の後悔があります。


あとは挑戦でいうと、私がアメリカで受けたサービスで、すごくいいなと思うものがあって、これを日本に持っていこうというチャレンジはしました。マーケットリサーチしたり、いわゆるファイナンシャルのProformaを作ったり、サプライチェーンを考えてみたり、その過程はとても楽しく良かったのですが、やっぱり最終的に実行できなかったっていうのは、失敗です。またどこかで再燃するかもしれませんのでそれまで温め続けます。(笑)


バブソン大学の2年間で、ご自身のマインドセットに何か変化はありましたか?

誤解を恐れずに言えば、「周りは自分が思っているほど大したことはない」と思えるようになったことですかね。


留学当時は、すごくエリートの方、いわゆる商社マンや、若くてキラキラな、もう頭の回転も無茶苦茶早い、みたいな人たちばかりがアメリカのMBAに入るんだろうと思っていたし、自分には太刀打ちできない、みたいなイメージがあって、授業についていけるかも心配でしたし、私が何か貢献できることがあるのかとかすごく不安でした。


でもいざその中に入ってみると、もちろんみんな キレキレでしたが、やっぱりパーフェクトな人っていなくて。私の得意なところ、例えば緻密にファイナンシャルを作り込むとかスケジュール管理だったりとかで、サポートしてあげることができたんです。


スケジュール管理って、マネジメントの基礎というか社会人として基本と言われそうなワードですが、MBA生でも意外と苦手な人も多かったですね。エクセルワークも得意じゃない人もいて、少し驚きました。


何か日本で、日本人だけに囲まれて働いていると、すごく仕事が早くて社内のことを知ってる、そういう人が優秀といわれて、その人たちにはもう欠点なんてありません、って感じてしまう瞬間があって。


いわゆる優秀な方と対峙すると、緊張して遠慮したりしてしまうことも多かったんですが、言語が違うというのも大きいですが以前よりいい意味で遠慮しなくなりました。


バブソンMBAの1年目にBETA-X(ベータエックス)という新製品・新事業開発プロジェクトがあるんです。


チームで新規事業開発の一連のプロセスを学び、最終的に全教科の教授陣の前でプレゼンテーションをするのですが、自分が平凡なアイデアだと思っていたものも、クリエイティブだというコメントをもらったり、単純に、自分では気づかない自分の考え、発言の価値や自分がチームに貢献できる何かがあるということに気づけたという、それはとても良い収穫でした。


留学終わった後も、私は純ジャパですし、やっぱりバイリンガルと比べるとどうしても英語でのコミュニケーションにいまだに苦労するんですけど、それでもやる前に思ってたほどじゃないと気づけたのが、一番の収穫ですね。


卒業後、サンフランシスコ勤務の中で挑戦されていることはありますか?

アメリカのローカル企業と連携して仕事をする中で、言語や文化の違いによる誤解が生じないようにするのも駐在員の大事な仕事の一つだと捉え、各企業のおかれている状況やリソースを意識しながら、ローカル企業の彼らのメリットを意識したコミュニケーションを心がけています。


ポジションでいうとグループ会社の財務担当役員の方と一緒に仕事をすることが多く、場合によっては相手方はローカル会社の社長になります。日本で勤務していたときより、数段も上の役職の方々と働く必要があり、かつ文化・考え方の基本が違います。日本の本社からの指示もなるべく付加価値を付けて、まず自分たちで咀嚼し、単なる一業務ではなく、北米事業全体の中での位置づけや中長期でのコミュニケーションを考えながら、木と森を頻繁にズームイン、ズームアウトしながら日々の業務を進めています。


加えて、これも偶然といえば偶然なんですが、私が赴任した同時期に、新たにファイナンス部門ができました。新しくできた部署で、バブソンで培ったといいますか、経験した「ああでもないこうでもないと試行錯誤する」というのを、実践できる環境で働かせてもらってます。


日本だと、エビデンスあるの?とか、どこまで調べた?それだけか?みたいな上からの意見あるじゃないですか。


そういうのを気にしないで、バンバン言いたいこと言う、というのは留学前後で大きく変わったことかと思います。



働く中で、マインドに変化はありましたか?

「知りません」っていうのって結構怖くないですか?私それ知りません、知りませんって言うことが、留学前はすごく怖かったんですよね。


いわゆる新入社員が言うのとは違って、もう勤務して7年8年ぐらい。周りもみんな 専門的な知識を得ながら日々業務をこなしていますから、そんな中で私それ知りませんっていうことが怖かったんですね。


でも、1回留学を挟んだことによって、多少なりともそこの恐怖がなくなったというか。授業で「いやそれケースにそのまま書いてあるやん」という内容もむちゃくちゃ大きい声で発言する人がいましたし、何も恥じ入ることなく堂々としているんですよ。
日本の学校でそれやるとあいつ馬鹿だなってなるんですけど、バブソンではそんな雰囲気は全くなく、とにかく議論した方がいいとバンバン発言、発言。まあ私もはじめは衝撃的でしたが(笑)


それで、卒業後、まずは職場復帰のためのリハビリだねと上司に言われたときも、ラッキーということで、極力わからないこと知らないことは質問して、手助けを周りに求めるようにしました。特にアメリカで働いてるとアルファベットの省略が多いので。とにかく効率的に「教わる」じゃないと進まない。効率的に教わるの意味は、何でもかんでも聞くのではなく、考えいらずで答えがあるものは聞くということです。答えがあるものを調べている時間が無駄なので、その時間は答えのない企画・アイデア等を考える時間に割きたい。


今勤務して1年半ぐらいですが、1年間そういうやり方をやっていくと、小さなことでも自分はこうしたいという意見を持つことがとても大事だと気づき始めました。


「わからないなりに自分はこうしたい」っていう意見を持ち、その意見で上司を説得できるように、今は挑戦しています。


結局ロジックやコンプライアンス、リーガル的にこうでしょって明確なところ以外は、ビジネスジャッジメント。上司はたくさんいますが 、自分がトップだったらこう判断する、という視点を持てるように意識するようになってきたかなと思いますね。


逆に言うと、失敗してるときはそれを持ち合わせていないときです。


当然ですが、相談するにしたって、自分の意見がないと相談にならない。それは、日本人のエグゼクティブ向けでも、アメリカ人向けでも一緒で、実際お前はどうしたいんだ?というのをよく聞かれます。


それが、以前とは違うかなとすごく思います。



最後に、読者の方に向けて何かメッセージをお願いいたします!


繰り返しになりますけど、「大丈夫、みんな大したことない」です。


やっぱりそこですよね。もちろん、留学前、留学中、そして留学後も周りには優秀な方々ばかりなんですが、彼らを過大評価して自分が委縮するようなメンタルは避けるべきです。


成功も、過程を見れば全部が全部成功じゃないというか。成功者は、過去に細かい失敗をたくさんしてて、それでも成功するまでやるから成功者、なんてよく言いますけど。


とにかく小さい失敗の積み重ねを経験して、失敗に慣れるというか、それが一番強いんだろうなと思いますね。失敗に慣れすぎて失敗ばっかりしちゃ駄目でしょみたいなこともあるので、言葉選びが難しいですが(笑)


でも後悔するのが一番の失敗なので、自分が後悔しない方を選んで人生を進めていってみては?と思います。


失敗したときに後悔するのか、チャレンジしなかったときに後悔するのか。


どっちが自分に、またはその結果自分の家族に、インパクトが大きいのか。それを判断材料にしてみてはいかがでしょうか?


最後になりましたが、今回のシリーズは読者の方の挑戦へのモチベーションを刺激し、一歩踏み出す一つのきっかけを作るのがテーマだと聞いています。バブソンはUndergradを含めた在学生から卒業生まで、起業してバリバリ活躍されている方も多いですが、私のように企業に戻って、中から変革しようと努力している人間もいます。ぜひ、様々なバックグランドの方々がバブソンで学び、刺激を受け、それぞれの生活に持ち帰り、活躍の場を広げていっていただけるのを期待してます。私も皆さんに負けないようにこれからも精進します。


今回は、「起業家教育No.1スクール卒業生たちの挑戦Vo.2」として、濱名翔さんのインタビュー記事をご紹介しました。いかがでしたか?本サイトでは、「私も一歩踏み出してみよう」と思える。挑戦者の行動を後押しする記事をご紹介しています。

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