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松里公孝『ウクライナ動乱』其の三 ウクライナ戦争へ

昨日に続いて『ウクライナ動乱』の読書ノートです。

今日は、泥沼のドンバス戦争からウクライナ戦争まで。

プーチンは別にドンバスをロシアに編入したいとは思っていなかった。

またウクライナがどれくらいドンバスに戻ってきてほしいと思っていたかも不明だが、2017年からロシアやドンバスに対して強硬な姿勢を取るようになる。

強硬策をとってもプーチンが本格的な戦争を仕掛けてくると思っていたのかどうかわからないが、現実にはそうなったのだった。

ドネツク人民共和国

ソ連時代からバルト三国ではロシア語話者の保護を訴える分離主義の萌芽ともいえる運動があった(インテル運動)。ドンバスでもこれを模倣した組織が作られる。

こうした人々はマイダン革命まではほそぼそと活動していたが、著者いわく滑稽でマージナルなものだった。要は限界ネトウヨだった。
彼ら親露組織はウクライナの領土保全に挑戦したので、ヤヌコビッチですら容赦なく弾圧した。まともな政治的資源をもたない彼らはインターネットでの活動に熟達していったが、2014年春まではこれら分離派活動家が歴史に残るようなことができるとは誰も思わなかった。

5月11日住民投票でドネツク人民共和国の独立が承認されると、最高会議はデニス・プシリンを議長に選んだ。彼もまた典型的なマージナル()だった。このような行き当たりばったりの人事から、ドネツク人民共和国がロシアの傀儡政権とはいいがたかった

プーチンがこの時期、ドネツク人民共和国に対して煮えきらない態度を取っていた理由は、

  1. クリミアはロシアが助けてくれるか緊密に連絡を取って確かめながら、住民投票を実施したが、ドンバスの分離派は先走った。住民投票さえ成功させればモスクワは自分たちを助けざるをえないだろうという発想をプーチンは非常に嫌う

  2. ドンバス分離派はプーチンの嫌いな左翼が多い

  3. プーチンは分離派に自力生存能力があるか確認してから介入する。第二次南オセチア戦争、シリア戦争、第二次カラバフ戦争など全てそのように行動している。ソ連末期にアフガニスタンに介入して大失敗したことの反省もある。

  4. すでにクリミアを併合しており、ドンバスまで離脱するとウクライナは大量の親露票を失う。

5月26日大統領選挙に勝ったポロシェンコが早速ドネツク空港を空爆したことが、このような煮えきらない態度を改める契機となった。
また7月17日マレーシアMH17機撃墜事件も影響したとされる。

8月17日ウクライナ軍はルガンスク市に突入、ドネツク市も包囲を狭められ、分離派が窮地に陥ったところでロシアは介入した。
分離派の反転攻勢により、8月28日戦車隊がマリウポリ郊外に到達した。しかし、アゾフ大隊150名が駐屯するのみのマリウポリを通過してウクライナの奥深くまで浸透できたはずなのに、そうはしなかった。
ここでプーチンとポロシェンコはすでにミンスク合意に向けて裏で話をつけていたと著者は推測している。

ここからわかる2014年時点でのプーチンのスタンスは、人民共和国が滅びない程度には助けるが、分離独立を主張したりするところまでは助けない、というもの。

さらに援助の条件として、そして急進派の排除、ロシア編入は諦める、社会革命を目指さないなどの注文をつけた。

ここでいう社会革命を目指さないとは、アフメトフら富豪が所有する工場を国有化することなく営業を認めることなど。雇用の面からもそれが現実的だった。
そもそも21世紀に人民共和国を名乗る政体を誕生させることがアナクロ甚だしいのだが。

このような経過で、9月5日第一ミンスク合意でいったん停戦となる。
しかしなし崩し的に停戦合意は破られ、翌年2月12日の第二ミンスク合意まで戦闘は続いた。

2015年以降はロシアの援助もありドネツクは復興する。しかし内線による復興はいかんともしがたく、多くの炭鉱が閉鎖された。

人民共和国では資源産業や製造業が衰退した分、ドンバス史上初めて、商業やサービス業がプレステージの高い産業分野になった。これは一九九〇年代の非承認国家にも普遍的に見られた現象である。非承認地域になると、境界線を越えて商品を持ってきてくれる人々に後光がさすのである。

というわけで2015年以降は、公共料金をロシアが肩代わりしたこともあり、物価高騰に苦しむウクライナよりもドネツクの人々は豊かな暮らしを送っていた。

また他の非承認地域と同様に、ドネツクにもモスクワから政治技術者が派遣され監視体制も確立される。それに伴い共産党、限界ネトウヨ、ロシアからの義勇兵などの「建国の父」たちもパージされていくのだった。

紛争中、ウクライナ軍はドネツク州、ルハンスク州の民間人居住区域にたびたび砲撃し、それなりに残虐行為もやったようだが、非承認地域なので西側諸国には相手にしてもらえない。西側に強力なロビーをもつアルメニア=カラバフとの違いである。

これらの事情から、ドネツクもあまりウクライナに戻りたいとは思わないのではなかろうか。

2017年になるとウクライナの民族派の突き上げにより、人民共和国への鉄道輸送が封鎖される。不可避的に継続されていた交易が突如停止したことで、双方の経済は大打撃を受ける。ドル両共和国は、ロシアによる年金、公務員給与の肩代わりによってどうにか持ちこたえた。

ウクライナではこの他に、NATO加盟の憲法改正、脱共産党法、2019年言語法などの民族主義的な政策が続々と採択されている。これはクリミアとドンバスが出て行ってくれたおかげで可能となった。いまさら戻ってきてほしいだろうか?
これはモルドバと沿ドニエストルにもいえることで、戻ってきてほしいのは国境線であって、住民ではないのである。

2019年ゼレンスキーはミンスク合意のリセットを唱えて当選する。つまりドンバスに特別な地位を与えないということである。

2020年末ころから、ウクライナの指導層はドンバスに対して強硬な姿勢を強める。
これには第二次カラバフ戦争で、アゼルバイジャンが大勝したことも影響したとされる。これはアルメニアの自滅も大きいのに、ゼレンスキーらは分離紛争を軍事的に解決できると自信をもったのである。

これに対してロシアも、実現しそうにないウクライナの連邦化(つまりドンバスをロシアに編入しない)を謳ったミンスク合意に見切りをつけ、ドル両共和国住民にロシアパスポートを容易に発行するようになる。

2021年秋以降、双方の停戦協定違反が激増する。

ドンバス住民は、ミンスク合意以前の状況(二〇一四─一五年)が再来したと感じた。私の見地から言うと、二〇二二年一─二月の状況は、第二次南オセチア戦争前夜の南オセチアの状況に酷似していた。
ここでようやく、ロシア指導部はミンスク合意に公式に見切りをつけた。二月一五日、下院は、両人民共和国を国家承認するようにプーチンに要請する決議を採択した。

2024年2月18日ドル両共和国は女子供、老人をできるだけたくさん、ロシア連邦に疎開させることを発表し、そしてそれは実施された。

2月21日下院の決議を受けてプーチンは安全保障会議を開催、これはテレビで生放送された。
本題はドル両共和国を承認するかであった。真のテーマはウクライナ侵攻の可否だったが、ほとんどの高官らはそれを知らされないまま喋らされた。つまり、せいぜいドネツク州、ルガンスク州をどうするかまでしか話せず、それを超えてキエフやオデーサに進撃するなど考えてもいなかったのである。

ウクライナ全土を攻略することを高官たちが知らされておらず、ロシア軍総司令部だけで検討されていたのは、末期的というほかない。

なにはともあれ両共和国は承認され、それについてプーチンは演説した。ここでレーニンによるソ連建国を批判している。つまり民族主義者に妥協して、ソ連構成国に権限を与えすぎたことである。それゆえソ連解体時に現在のように、ウクライナがロシアと分離した状態になったというのである。
もちろん返す刀でブレストリトフスク条約や、WW2で獲得した地域をウクライナに付け足したことも批判している。

これらを敷衍して、結局のところウクライナはレーニンらソ連によって作られた国家なのだから、脱共産化(脱ソ連化)すれば、ウクライナという概念は無くなるとまで述べた。もっともウクライナが人工的概念なら、ロシアだって人工的なのだが。。。

これを今からみればプーチンの領土要求はドンバスだけにとどまらないと読めるが、当時は誰もそこまで気が付かないのであった。

またプーチンは2014年5月2日の48人が犠牲になったオデーサ労働組合会館放火事件の犯人が1人も逮捕されていないことを言及、自分たちが逮捕して裁判にかけると明言した。
要するにオデーサに進撃するという意味であり、開戦からオデーサを目指したのは経済的理由だけではなかったのだろう。

2月23日ロシアと両共和国は相互支援条約に調印、翌日ロシア議会は批准した。上院はこの条約に基づいて、ロシア軍が国外に展開することを認めた。
地域や時間は限定されていなかったが、常識的にはドネツク州とルハンスク州までと考えられていた。

2月24日早朝、特別軍事作戦を宣言、ウクライナ全域へロシア軍は侵攻を開始した。

ドンバス救済という名目で始まった戦争だが、西側諸国の援助もあって、開戦前のウクライナ軍による細々とした砲撃とは比較にならない死者がでている。

ドンバス救済が主目的ならキエフを急襲したのはなんだったのかという話にはなる。しかしドンバスでは、アヴデエフカ、バフムト、クラマトルスク、スラヴャンスクなど2014年以降に鍛え上げられた要塞都市を一つ一つ掃討していかなければならない。現実に開戦から2年たってもこの方面で進展していない。(本書刊行時点でバフムトのみ、先月アヴデエフカからウクライナ軍撤退)

なのでキエフを押さえれば自動的にドンバス戦争も終わらせられると考えたのも不思議ではない。

ではどの程度の体勢変更を求めていたか。著者は、ゼレンスキー政権または継承政権にクリミア、ドンバスの現状を承認させる程度の軽いものだったと推測している。

そしてロシア軍が力を誇示すれば屈服するだろうと考えていたのもおそらく事実である。つまり本格的な占領や体制変更は想定しておらず、白旗をあげさせれば十分と考えていた。ロシアの軍人たちもキエフのような大都市を長期間占領するのは並大抵のことではないと認識していた模様。

実際には思ったとおりには事態は進まなかった。

最初の三日間の戦闘で完敗し、「ロシア軍って案外弱いじゃん」と思われた時点で、力の誇示によりウクライナの自壊を誘う作戦は失敗したのである。

そういうわけなので目的は変えないが、戦争はもっと真剣にやる羽目になった。

ロシア軍は緒戦は失敗続きとの印象があったが、3月29日のイスタンブール和平交渉でゼレンスキーから一定の譲歩を引き出せそうだったので、軍事作戦としてはそれほど悪くなかったのかもしれない。

イスタンブール和平交渉では、ウクライナのNATO加盟放棄、クリミア・ドンバスの現状維持などで停戦合意しかけるのも欧米諸国の反対で破断。
このときの交渉をもとにロシア軍はキエフ州とチェルニー州からは撤退したが、ザポリージャ州南部とヘルソン州の占領は続けた。クリミアへの回廊が重要事項であると考えられる。

つまり、いつの間にか戦争目的が体制変更から領土獲得に変わっていたらしい。ただしそれならよりいっそう真剣に戦争をやらなくてはいけない。国境線の変更となると、国際社会の目もさらに厳しくなる。

国際規範に照らせば、どちらの戦争も悪い。しかし、体制変更戦争は、一九八九年パナマ、一九九九年ユーゴスラヴィア、二〇〇一年アフガニスタン、二〇〇三年イラク、二〇一一年シリアとリビアなど、いわば日常茶飯事である。我々も、「いけないことだけど、まあ、ありかな」と思いながら生きている。
これに対し、湾岸戦争、ボスニア戦争など、国境線の変更がかかると国際社会の反応は遥かに厳しくなる。

開戦当初クリミアから侵入したロシア軍は東西に分岐し、東の枢軸はマリウポリを目指した。西の枢軸はヘルソン市は無視して、南ウクライナ原発とオデーサ市を目的としていた。

クリミアへの陸路を重視するならこのヘルソンの軽視は不可解で、途中で戦争目的が変更されたと考えるべきだろう。

2022年秋まではウクライナの反転攻勢で領土獲得もうまくいかなかった。部分動員を初めとして巻き返しを図る。徴兵忌避について、また著者は厳しいことをいう。

そもそも、隣国に塗炭の苦しみを味わわせながら、自国でだけは今まで通りの私生活、消費生活が享受できるなどということを条件にして、プーチンが戦争への国民の支持を取り付けたのならば異常な話だし、そんな条件で戦争を支持するロシア国民も異常である。ある被動員者がテレビにインタビューされて、「これでドンバスの人々の顔を見ても恥ずかしい思いをしなくて済む」と言っていたが、こちらの方がずっとまともではないだろうか。

巻き返しの一貫として、9月23-27日ドル両共和国、ヘルソン州、ザポリージャ州でロシアへの編入を問う住民投票が行われた。

住民投票後は、ロシア占領地域へのウクライナ軍による砲撃はいっそう激しくなる。
また奪還した地域ではロシアへの協力者が吊るし上げられ、その様子がさかんにSNSにアップされた。こんなことをしたら被占領地域の住民はウクライナに戻りたくないと思うだろう。


ゼレンスキーの戦争指導にも問題がある。戦略的価値の低いバフムトに固執して多数の死者を出したこと、ドンバスに兵力を割いたためにクリミアへの陸上回廊を形成されてしまったことなど。

欧米はウクライナを助ける義理などないのだから、ウクライナは彼らの助言には真摯に耳を傾けないといけない。ゼレンスキーは上手くいってない時は耳を貸すらしい。それで9-11月の反転攻勢は成功した。しかし成功したのちは、また聞かなくなったようだ。

しかし今のウクライナでは政権批判はとても勇気のいる行為になっている。程度の差はあれ西側諸国も同様だ。

アメリカ下院では、スパルツ議員が、供与された兵器が横流しされていること、ゼレンスキーが(バイデン政権の警告にもかかわらず)戦争準備を怠ったこと、開戦後も戦争指導が稚拙であることを批判した。しかし、『ニューズ・ウィーク』誌は、スパルツ議員の告発の動機は、彼女が特定のアメリカ軍需企業と結びついていることだと決めつけた。

ただし、ゼレンスキーへの愛国的批判があるからといって、停戦を求めるわけではない。クリミア・ドンバス奪還はゼレンスキーののぼせ上がった決意表明ではなく、ウクライナ国民の大多数が支持する立場である。

続く。

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