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西部邁『ニヒリズムを超えて』読んだ

年末だからまた西部邁の本を読んでしまった。

1989年出版の評論集である。

まず三島由紀夫についてであるが、晩年の三島は政治的であったと西部は繰り返すのだが、それは現代の私の目からは当然のように思われる。

ただ、生前を知る人々からすれば三島は市ヶ谷駐屯地で自裁した人というよりは文学者だったのだろう。だからその死をも文学的に語りたくなるような時代背景であったと推察される。


西部は全共闘から転向して保守になった人物であるが、その先輩である清水幾太郎についても触れている。意外なことに清水の晩年まで面識はなかったとのこと。


本書のメインはチェスタトン論であろう。言葉は歴史や伝統そのものであるし、人間はそれらから超越して生きることもできないといういつもの議論をチェスタトンを下敷きにしてしているわけだが、ふつうに面白い。
チェスタトンの保守性はキリスト者でもあったこと、そして保守とは辛気臭いものではなく、ヒューモアやおとぎ話なのだという。これが妥当な解釈なのか、斬新な議論なのかは、私がチェスタトンについてよく知らないからわからない。

早く読まないといけないね。てか、これ安西徹雄先生訳なのか。


書評もいくつか収録されているのだが、色川武大(阿佐田哲也)『うらおもて人生録』について書かれているのは意外だった。若いころに愛読していたので嬉しくもあった。もちろん私はご両名のような無頼漢にはなれぬ小心者だから、読んで感心するだけだったのだが。

ほうほう、今はKindleもあるんだね。


という感じでこの1年ほどでずいぶんと西部邁の著書に触れたのであった。


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