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きちんとした私も、きちんとしてない私も好き。

「お前が1番しっかりしてない」

それが兄弟の私への評価。
33歳になった今でも言われ、
もはや呪いだなと感じる。
私にとって、家族からの言葉は
自分がダメな人間なんだと思わされる
呪いであることが多いのだ。

基本的に褒められることがない。
頑張って然るべき、という感じ。
だから、学生時代の間というのは、
完璧でなければ、隙のないようにせねば
私はダメなんだと必死だった。

特に高校受験を控えた中3の時は、
上手くガス抜きの仕方も知らなかった
思春期の私にとっては、
息の詰まるような時間が多かったように思う。

毎日の部活、急に参加の決まったコンクール、
7歳からやっているピアノのレッスン、
塾、テスト勉強、受験勉強…
同じような人は沢山いるだろうと思うけれど、
毎日毎日ヘロヘロで、
部活で怒られ、レッスンで怒られ、
成績で人と事あるごとに比べられて、
心はどんどんすり減った。

でも、そんなこと、
誰にも相談ができなかった。
誰しもが同じように頑張っていて
辛い思いをしているだろうに、
こんな風に思うなんて、
なんて自分は努力が足りないんだとも思った。

ある日、家を出た瞬間、
学校に行きたくないと思った。
それでも行かないわけにはいかない。
何が理由かも分からず、
心が重いまま学校に向かった。
すると、自分の席に着いた瞬間
泣き出してしまった。
びっくりしたクラスメイトや友人たちが
声をかけてくれるのだけど、
自分でも何でこんなに泣いてしまうのか
全く分からなかったので、
どうしたの?と訊かれても答えられなかった。

後から考えれば、プレッシャーで
心の限界だったのだろうと思うのだけど、
自分の心のキャパシティなんて
15歳の私には分からなかったし、
そんなになるまで追い込まれている
ということも気づかなかった。

理由を答えられず、何でもない
と答えて怒ってしまった部活仲間
の話はここでは割愛するが、
その後も、第一印象が良くなくて、
前期には成績を低くつけられがちな私は、
予想通り前期の終わりに成績が落ちていて、
そこでもまた号泣してしまった。

でも、親にはそんな姿を見せなかった。
「そんなことで恥ずかしい」
と言われるに違いないと思っていたからだ。
元々泣き虫なことをよく怒られたので必死だった。

そんな経験があったからこそ、
今、強い心を持てているところもあるけれど、
その後自己肯定感の低さと
闘うことになったことを考えると、
もっとポジティブな環境であれば
良かったなと思わざるを得ない。

15〜16歳の頃は、よく死にたいと思っていた。
死ぬ勇気は無かったけれど、
わんわん泣きながら遺書のようなものを書き、
私なんていなくなればいいのにと
願ったことが多かった。
それももちろん親には話していない。
この先も言わないだろうと思う。

そんな私を救ってくれたのは、
高校の演劇部の先輩だった。
酷い言葉をぶつけてしまったにも関わらず、
そういうところも含めて私であり、
そんな私だから愛していると言ってくれた。
そして、人間誰しも死は訪れるから、
自死を選ぶ必要がないことも教えてくれた。
感謝してもし切れない。
先輩からもらった大切な手紙は、
お守りとして3年間ずっと
生徒手帳に挟んでいた。

そこから私は、嫌いな自分を
嫌いじゃなくなりたいと思い、
どうしたらそうなれるのかを考えて
自分を変えることにした。

笑顔が苦手で、話すのも苦手、
愛想が悪く、何かと理由をつけて
諦めてしまう…
そんな私が嫌い。
なら、逆にしていこう。
話す時に人はどんな風に話しかけられたら
嬉しい、話したいと思うのか?
ネガティブになってしまいがちだから、
常に反対に考えてみよう…など。

この先舞台に立つ人間が人前で話すのが苦手なのは…と思い、あえて接客のバイトもした。

おかげさまで、20歳の頃には
中1からずっと続いている親友から、
角が丸くなった、イメージカラーが
黒や青からピンクになった、
と変化したことを客観的に伝えてもらえた。

23〜24歳ぐらいの頃には、
初めて会う人に「超ポジティブ」
と言われるほど変わった。

それを誇らしく思うと同時に、
そんなに明るくもないのに…
最初からこんなだったわけじゃないのに…
と、
そうであることが当たり前だったように
思われることにジレンマを
抱くようになっていた。

本当の自分はそんなんじゃない。

そんな感覚である。

ちなみに今も少し気にする笑

それでも、ようやく私は私
と少しずつ思えるようになっていて、
嬉しかったことも間違いない。
ただそれも、声優の養成所で、
そこに合った人材になろうとし、
最後の方には本来の自分らしさではなく、
そこに合うように作った自分らしさ
(と今では感じる)になり、
30歳を前にして、迷走したりもした。
人間いくつになっても悩みは尽きない笑

そこから離れ、
ずっと人生の軸だった演劇からも、
コロナをきっかけに少し距離を置き、
いつ仕事が無くなっても
やりたいことができなくなっても
おかしくないんだと実感した私は、
今は「今やりたいことをどんどんやる」
ことにしている。

1回目の緊急事態宣言下で
様々なことを制限され、何もできなくなり、
老後ってこんな感じだろうか
と思った経験からである。

今の私を、15歳の私が見たら
とても驚くだろうと思う。
ありえないほど太ったし、
髪も黒髪ロング至高と思っていたのに
バンバンブリーチしてハイトーンだし、
役者で食っているわけでもない。
「遊び人」と言われても仕方ないような
生き方だろうなと思う。

でも、33歳の私は、今の私も、
これまでの私も、好きだなと思う。
かつて先輩が言ってくれたように、
どんな私も私なんだと思えるようになったから。

「超ポジティブ」と言われた時に
感じた違和というのは、
本当はそうではない、というよりも、
「両方あって私なのに」の方が
しっくり来るような気がしている。
明るくいられるのも私だし、
引っ込み思案、内気なのも私だし、
よく笑い、よく泣くのも私、
頑張れない日があるのも私。

ちゃんとしてても、してなくても、
私は私で、
そんな私を好きだと言ってくれる人が
沢山いる。
それでもやっぱり、
もっと頑張らなきゃと思いながら
生きてしまうけれど、
どんな時でも私の一番の味方でありたい。

だから私は発信する。
「私の生き方素敵でしょ✨」
って。

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