あとがきと、仮想と現実の間の個人の選択
そういった堅苦しい話はこれくらいにしておく。
あなたにはいくつの選択肢があり、それは自分の経験から最も合理的なパターンと化されてはいないか。
合理的選択とは想定で、仮想でもある。
選択肢は個人を形成する凡ゆるもの、や、ことから想定されていて、その選択を現実に反映しても、想定の中では大した変化が起きていないのではないか、と思っている。
選択は決定することとは違う。
決定すると経験しえるということである。
選択は、決定の一つ前の状態のことである。
選択肢へ変化を求めるか、どうかは個人様々であるが。
あなたの持つ、選択肢が多ければ多い程あなたを構成するこれからの現実の経験が豊かであり、未知である、ということから自由は生まれる。
対象が何であっても、個人への選択肢を作ること、それを多く持つことが、自分個人への想定を超える、現実、または仮想の中だけではないものになるはずである。
世界からの視点で観て、個人の決定が想定内(別の個人が経験済み)ならば、それはその個人にとっても近い現実になりうる。
それが仮想である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?