見出し画像

『生』と向き合う #1

こんばんは!
Boshitoのコーチ たけちみり です

すべての女性が自由に『性と生』を選択できる世界の実現を目指しています!
なのですが…
『性』とは向き合ったものの👇

『生』と十分に向き合えていないように感じています

今現在、
クライアントとして『生』と向き合っているので
その過程を綴っていこうと思います

トップ画像の通り、今向き合っているのは
『生』の影の部分
これからこれがどう変わるか綴れるといいな~


私の中の漆黒

ふとした時
自分の中には『漆黒』な部分があるように感じた

でも、なんとなく確認ができない
あるような気はするけれど、本当にあるのだろうか?
なんだか、不明確だった

そんな時に、友人から
『みりちゃんって、作り物な感じがする。ハリボテみたいな。
他の人は、なんとなく影があるなっていうのを感じられるけれど、みりちゃんは、本当は影があるのに、それを微塵にも感じさせないほど、うまく隠してる。そんな感じがする』と告げられた

『えっ、そんなの、あるはずないんだけどな?』と答えると

『ほら、その言い方も変だよ。あるはずないって言い方、おかしくない?』と友人が答えた

へえ…そうなの?とその場は過ぎた

その日眠る前、真っ暗な部屋の中
頭の中で小さな声が響いた

『なんで気づかれた?』

恐ろしくて、思わず飛び起きた

何かが、自分の中にいる

まるでホラー映画のようだ。
真っ暗な中で響いた声が、自分の中でぐるぐると回り始めた


『死』の上に成り立つ『生』


その声が聴こえてからは、幼少期からの様々な思いが自分の中で溢れ始めた

私には、本当は兄がいた

物心ついた頃、母に
『うちはふたりっ子の予定だったから、お兄ちゃんが生きていたら、みりちゃんは産んでなかったと思うな』
と言われたことがある

これはもちろん悪気とか何もなく、
産まれてこれてよかったねというハッピーな意味で言ってくれたのだと思う

それでも、幼い私は
兄の死があったからこそ、私は生まれてこれたのだ
と感じた

自分の生を喜ぶことは、兄の死を喜ぶことと同じように思えた

兄のお墓参りに行くたびに
『お兄ちゃんの分も、私が生きるからね』と祈っていた
お礼を言うのも違う気がしたから、祈るしかできなかった

わたしの『生』には土台がない

真っ暗で不確かな『死』というものの上に
私の『生』がぐらぐらと揺れながら乗っている
そんなイメージだ


『ミリー』として生きる


わたしは、ヒトの顔を覚えるのは割と得意だ

道行く人を見ていても、
あれ、あのお店の店員さんだ
この人、いつもお散歩のときにいるあの人だ
と気付くことが多い

一方で、名前を覚えるのは本当に努力が必要で
何度も話したことがある人でも、覚えていないことがよくある
その人のことを大切に思っているのに、だ

寄生獣という漫画の中で、寄生獣の『ミギー』が(右手に寄生したからミギー)
『名前など、どうでもいい』
というセリフがあるのだけれど

私は子どもの時に、これにものすごく共感した
そうよね、名前なんてなんでもいいよね、と

人を呼ぶ時に区別するためについてるものだもんね
と妙に冷めた自分がいた

私の名前は、姉の名前を逆から読んでつけられている
そこに、これといった意味はない
漢字も、なんとなく読みやすいように当てられている

小学校の時に『名前の由来を作文に書こう』という授業が何度もあったが
わたしはその都度むなしい気持ちになっていた

大人になってから、『MILI』にはハワイ語で『愛おしい』という意味があると知ったときは、ものすごくうれしかったなぁ…
これで、ようやく私の名前にも意味ができた
そんな風に思えた

『生』も『名前』も、なんだか根無し草のようだった
ふわふわふわふわと定まらない


影を背負って

ここまでを、マイコーチにすべて話した
他にもいろいろと話したけれど、ここに書く勇気はない

漆黒のイメージを問われ、
わたしと同じ人型をした影が、ぴったりと背中にくっついているイメージを話した

道行く人、すべてのひとにこの影が付いているが
みんなの影はそこまで強い感じはしない

時折、この影を強く感じて恐怖を感じる人もいたので、そういう人ととはなるべく関わらないようにしていた
自分の影と共鳴して力が増してしまうことに、恐ろしく感じていたのかもしれない

影の中でも、私のものは特別強力な力があるように感じていて
影は両手を私の肩にかけ、ずっしりと体重をかけてくるイメージがあった

でも、この影に気づいていることは、決して影にばれてはいけない

見えていることがばれたら、途端にそれらは威力を発揮する気がしているからだ

だからわたしは、この影に気づいていることを影に悟られないよう、
努めて明るく、努めて清らかでいる必要があった
綺麗な言葉に触れ、綺麗なものに触れ、自らもきれいな言葉を使う
影の力が増さないように

嘘をつきたくないのも、ここからきているのかもしれない
自分の中の光を高めておくことで、影の力と拮抗することができる気がした


牢獄の中で

『なんだか、みりちゃん捕まっているみたいですね。牢獄みたいな感じなのかなぁ』
とコーチが言った

確かに。わたしは影から逃げられないところにいる気がする
牢獄のイメージはスッと私の中に入ってきた

牢獄の中で、何かにずっと見張られているイメージがある

向こう側から、姿が見えない何かがずっとこっちを見ている
それの一存で簡単に私の『生』は奪われてしまう。
そんな気がしている

その状況を話すわたしに、突然
『みりちゃんの心は、どこにあるんですか?』とコーチが言った

(あとで聞いたところ、すごい内容を話しているのに淡々と他人事のように話す私を見て「あれ?今僕はみりちゃんと話してるのかな?」という問いがたったそうだ)

わたしの心…?
そんなのここに あるんだろうか?

イメージの中で心を探すけれど、どこにも見つからない
牢獄の中をくまなく探すも、どこにもない

『心なんて、あるのかな…?』と口にしたときに
牢獄の壁に、細い針で付いたような、0.1mm程の小さな穴があるイメージが湧いた

真っ暗な中に、本当に小さい穴が開いていて
そこを覗くと、ずっと奥に光がある気がした

『どうして、それがあるんでしょうか?』
というような問いを、コーチが続けた

保育園の性教育で、受精卵の説明をしたとき
色紙に針で穴をあけて、みんな最初はこの大きさだったんだよ
と話したことがある

それと同じ大きさだと感じた

『私の中で、何かが生まれたがっているのかもしれません』と答えた

『希望が、欲しい』
そう言葉にすると、涙が溢れそうになったのに
すぐに涙は引っ込んだ

『へえ、わたしそんな風に思ってたんだ』と、
感情のない声がすぐに覆いかぶさった


ばれないように、ばれないように

イメージの中の小さな光は、わたしの希望のように思えた

でも、これが見つかってしまうと、見張っているものに塞がれてしまう。
そんな気がした

見張っているソレにばれないように、こっそりと隠れて光を見る必要がある
光などなく、絶望の中にいる顔をしておく必要があると思った

そういえば、光を見つけた時も、この穴を広げて逃げようだなんて発想は浮かばなかった
温かい光がこの奥にある、そう感じられるだけで幸せだ
広げようとして、うっかり潰してしまったり、見つかってしまって塞がれでもしたら、それこそ希望が無くなってしまう気がした

そこでセッションは終わった

終わった後はボーッと過ごした
なんだか、今まで繋がったことがない部分と繋がった気がした

自分の中の漆黒が形を帯びてきたが、
自分の感情の奥底にほんの一点でも光があることを大切にしたかった

自分の感情の奥深くまで
一緒にいってくれるコーチがいる

それこそが光のようにも思えた


根を張る

1日経ち、セッションの内容を改めて味わっていると
この牢獄の中の感情は、妙に現実世界にもリンクしている感じがした

初婚の時、
結婚式を終えて、子どもが間もなく産まれるという、幸せの絶頂にいる時に父が急逝した

悲しみの中、希望と思えた子どもの誕生。
もうすぐ幸せが始まる
と思ったが、娘は脳性麻痺で産まれた
(もちろん、娘が生きてくれたことは希望だった)

第二子が生まれ、これからは家族四人で過ごせる
と思ったらすぐに、娘が亡くなった

そのあともそうだ
幸せだ
と思うと、いつも誰かとの別れがやってきてしまう

幸せと死は、いつも一体になっている



だから私は、安定や幸せがとても怖い

安定や幸せを感じてしまうと
自らそこを離れてしまう癖があるように思えた

職場や家を転々としてしまうのもそれが根底にある気がした

安定を自ら手放すことで
本当に大切なものを奪われないように生きている

そこまで感じて、ようやくこの『漆黒』を感じ始めた意味を理解した

わたしは、今のこの幸せを手放したくない
そう感じているのかもしれない

今の家族も
コーチという仕事も
THE COACHで出逢えた人々も
今私にあるものすべてを
手放したくないし、奪われたくもない

人生で初めて、『今』を強く握りしめていたいと思っている気がした

最近、新しく描けたビジョンには、
ひとつの場所に根を張る自分がいた

今までは、様々な場所を転々とする自分がしっくりきていたけれど
でも、本当はどこかに根を張り、生きていきたいのかもしれない

これを言葉にできるのも
マイコーチのおかげだ

セッションの中で
『必ずここに戻ってこれるので、影を感じてみませんか』と
声をかけてくれたコーチがいなければ
私はこの感情と対峙できず、
根を張りたい自分にも気づけなかった気がする

感謝だなぁ…


深く、深く、潜る


以前のnoteで、意識と無意識のお話をした

コーチが、クライアントの無意識にともに潜っていくには、自分自身の無意識を探求していくことが大切だと思っている

自分が潜れた深さだけ、
自分が対峙できた感情の分だけ、
クライアントとともに潜ることができる

だから、わたしはどんどん深いところに潜っていきたい
クライアントの『性と生』に、気づきを贈れる存在になりたい

『生』の影の 点と点が線になって結ばれたとき
何が自分に起こるのか

少しだけ、たの、し、み、
なのかも、しれ、ない


_______________________


最後まで読んでくださり、ありがとうございました

なんだか『影』がメインのお話になってしまいましたが、
これが『光』へと変わる過程をお伝えすることで
コーチングのすごさ(マイコーチのすごさ)が伝わるといいなと思っています

マイコーチが
『みりちゃん、これは線になる時が必ずきます!』
と力強く言ってくれたから大丈夫なはずだ!


コーチングを習い始めて、様々な自分に気づいています

生きていることに心から感謝できる、光にいる自分も
生きることを信じきれていない、影にいる自分も
全部大切な自分なのだと思います

自分が何気なく話す言葉にも
自分が何気なく選ぶ選択にも
すべて理由があって、
すべて意味をもって、【今、ここ】ができている

最近は
改めて、この図を実感しているように思います

無意識領域と向き合うからこそ
普段の思考や判断が変わり
人生が変わっていく

コーチングって
人の心って、すごい

今までの人生と感情の意味を味わいたい方
今ここの日常と感情を味わいたい方

無料体験セッション、随時募集しております
公式LINEから、いつでもご連絡ください!







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?