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性と向き合うこと#1『人ではなく道具として扱われることへの静かな怒り』

こんにちは!
女性が自分らしく『性と生』を自由に選択できる世界を目指し活動している性と生教育のコーチ たけちみりです

名前がコロコロ変わっていますが、
『性』を扱うコーチとして生きる覚悟がようやく決まりました…。
柔らかい表現にして、なんとなく向き合うことから逃げていたんだろうな、という気持ちが湧いています。

さて、『性』を扱うコーチとして、向き合わなければならない感情が湧いてきています
その感情と向き合う過程も、誰かの気づきに繋がるのかもしれないと感じたので未完了の状態ではありますが、noteを書くことにしました

(コーチは良いセッションを提供するために、自分にもマイコーチを付けています。いいクライアント体験ができると、いいコーチになれる!と大好きなリードさんが伝えてくれました。)

女性の『性』の光の部分を見たい
そんな気持ちで綴っていきます

『女性っていいな』??????????

THE COACHでのプロコースの中で、何人かから伝えていただいた言葉

みりちゃんと関わることで
『女性っていいなって思えました』
『自分も女性だったなあって思いました』

これを耳にしたとき、自分の中で何か少しズレのようなものを感じた

私は『命』や『生きること』をとても大切に感じている
『人』も『命』も美しく儚く、尊い

看護師として『出産』に携わり、
プロコースで様々な感情と向き合えたことで『母子』『命』とそれに伴うの光と影の部分をしっかり味わうことができている。

あれ、でも、私にとって『女性』ってなんだっけ…?
女性って、いいものなんだっけ…?
カランという音がして、
小さなズレが少しずつ自分の中で大きくなっていった

『性』と向き合うコーチをする上では、これを完了せずに進める気はしなかったので、マイコーチにこのテーマを話すことにした


自分が女性であると自覚すると湧く感情

自分が女性だな、ということを味わうと
『からっぽ。虚無感。張りぼて感』
という感情が湧いてきていた

わたしという一人の人間を見る前に『女性』としての自分を見られると
自分が空っぽになる感覚があった
内側を見てほしいのに、容姿を見られるとがっかりする自分がいる

『性』を扱っていきたいのに、自分自身が『性』に縛られている。『性』も大事だよねって言えるようになりたいのに、心から言えない。
そんな感情が湧いてきた

張りぼての意味をコーチに聴かれ、
嫌だな、という気持ちを100%味わないようにするために、身体だけそこに置いて、自分の心だけ避難している感じ…?と答えた

心を抜きたくないな、ちゃんと感情を味わいたいなと思う自分もいるけど
抜けることに納得している自分もいる感じがした


感情を味わえない寂しさと悲しさ

自分のプライバシーゾーン(口、水着で隠れる場所)を許可なく触られた時、それを相談すると
『しょうがないよね、目立つから』
『したくなっちゃう気持ちもわかるなあ』
と言われることが多かった
男性にも女性にも、そう言われた

怒ってくれる彼もいたけど
『ミリのそこは俺のものなのに!』という人もいた
言葉の綾だと思っているが、わたしの身体はいつから彼の所有物になったのだろう

いつだって意を決してのカミングアウトだったけど、
私は何故かいつも笑いながら報告していたような気がする

こんなことがあって嫌だったんだよねぇ。
そっちが誘ってきたんでしょと言われちゃった~。
と、へらへらと笑いながら相談していた

飲み会で『とりあえず生で』というと、『えろー!』と言われ
『なんか酔ってきたかも』というと、『誘ってる?』と言われ
タイトな服を着ると『絶対遊んでる』と言われ
名も知らない人に『何カップ?』と聞かれた
その前に、あなた誰?

ここには書けないようなこともたくさんあった

人には必ず敬意を払いなさいと父から教わり、
可愛いから人に叩かれるのはしょうがないと母から教わってきた私は
何故かそんな人たちにもニコニコしていた

笑顔で、『違います~』『内緒です~』『そんなことないです~』
うふふふと笑いながら答えていく。
張りぼての貼り付けた笑顔で、いつもニコニコしていた

そのたびに『人として大切に慈しまれたい』という私の中の潤いが
ギューギューと縛られ、枯渇していった
わたしはそういう存在なんだ、大事にされないこともある存在なんだなと納得した
気付けば心はカッサカサだ

ここまでセッションで話すと少しスッキリした
わたしは大切にされたいし、潤いたいと思っているんだなと自覚できた
私の命をありのまま慈しんでほしいと願っている

私の思う『女性の性』とは

わたしから見た女性の性ってどんなものかとコーチに聴かれ

女性って素敵だなって思うこともあるけど…
生臭いもの。血。暴力的。動物。
そんな風に感じることもあると伝えた。

出産を見ているから、生きること、生まれることに血が付きものであることも理解していた。出産のときは、ヒトも動物なんだなあと感じるダイナミックさもある。
ぐいぐいと外に出てこようとしている赤ちゃんのパワーにはいつも感動していた。地球に生きている生き物は皆同じように命が産まれるんだという感動が湧いてくる。そんな気持ち。

でも今回はその尊さを伴うものとは違う感じがした。

人間の知性とか言葉とか、そういうものを無くしてしまった動物感。
それを自覚した時、急に降りてきた言葉があった。『浅はかだ』と。

中身も見ず、張りぼてだけ見て声をかけてくる男性は浅はかだと思った。
その言葉を言ってみるとなんだか笑えてきた
どんどん言いましょう!と言ってくれるコーチに
浅はかだ、ばかだ、うっすい人間だなぁと
私はまたニコニコと笑いながら話した

わたしの1番メインの心では『人間って素敵だよね。人が大好き。人って尊い!』と言っている一方で
ある種の人のことは『浅はかで薄い。でも人間こんなものだよね。欲にまみれた人もいるよね』と諦めている自分がいることを知った

わたしの中の、峰不二子

その言葉を口にして、
自分の中に『男ってそういうものでしょ。寧ろこっちが利用してやりましょ』と思う人がいることに気付いた
(コーチングでは、自分の中に様々な人格がいると考えます)

峰不二子のような女性 この人は女性のすばらしさを知っていそうに思った。なんだか頼もしい この人の強みがたくさんありそうだ

『男に傷つけられるくらいなら、逆に利用しましょ』
『わたしは、こういうの慣れてるから大丈夫よ。私に任せて』
そんな声も聴こえる

傷つけられるくらいなら、というくらいだから
きっと今までに不二子は傷ついたことがあるのだろうと思う
私の魂がふよふよと非難している時は、不二子が代わりに笑ってくれていたのだろう。うふふ、と答えるのは得意そうだ

男性に使われるくらいなら、こっちが使ってやりましょ!という言葉にはものすごく無理やり事実を捻じ曲げている感じがした

不二子は何を感じているのか?
とコーチが続けてくれる

こういう女を連れて歩きたいからデートしようよ
とか、あなたを連れて歩いてると周りの男が見てきて気持ちがいいなとか。
わたしの容姿はあなたのアクセサリーじゃないし、性的な道具でもない

人としてじゃなく、道具として使われている感じがしている

道具と言ってすごくしっくりきたし
急に静かな怒りも湧いてきた

怒りの感情を言葉で出し切れないわたしの代わりに、コーチがたくさん怒りの感情を出してくれた

『みりちゃんは、なんにも、間違ってない』と伝えてくれた

誰かに怒ってもらう、
間違ってないと受容してもらう
それだけで、涙が出そうになった

ここでもまた、感情を出し切れず涙を堪えた自分がいたけれど、これを打ち込みつつ涙が沢山出ているから、少しずつ感情が解れているのだろう

性についての1回目のセッションはここで終わった

女性の『性』の光の部分を知ること


光と影 両方で丸になる

自分らしい『性』を選択し、実現できる世界を目指しているにも関わらず、わたしのなかの『女性性』は随分と影のイメージを持っている

でも、光の部分を見たいって思ってるんだろうなって感じたとコーチが伝えてくれた

確かに。そうなのだと思う。

コーチングを何度も受け、影が大きければ大きいほど、光の部分も同じくらいのパワーを持って光るということも理解している
きっと今は気付けていない光があるんだろう

身体の中で、命を育むことができる『女性』
現時点での医学では22週未満の赤ちゃんは母体外では育つことができない
(産科、新生児科で働いていたので、この部分に対しても沢山話したいことがある。)

女性の身体は神秘的だし本当に尊い

でも、『女性性』の光っていったい何なんだろう?
命を育むことだけが『女性性』とは思えない
子供を産む産まないに関わらず、『女性性』には揺るがない何かがある気がする

今の私に見えるのは、ほとんどが闇でどんな光があるのか、本当に光があるのか想像すらできないけれど。
この未完了の感情を味わいきった先にはきっと大きな光があるんだろうと思う

社会的にも、
『ジェンダー平等』が多く叫ばれ、なんとなく『女性性』の影の部分はスポットライトがあたっているけれど、
女性性を強く持とう!というメッセージには、にわかに女性は弱いものだという裏のメッセージを感じてしまうこともある

でもわたしは、光の部分も存分に、熱量を持って伝えられる性/生教育コーチでありたい

男女を比較して得られる性ではなく、
女性性そのものがもっているもの

それを自分らしい言葉で伝えられるようになったら
本当の意味で『性と生』の選択を支援できる気がしています

一日半経って

昨日朝にセッションを受けてから一日半

私の中では様々な感情が少しずつ湧いてきています

嫌なものには嫌って言っていい
という言葉も怒りと悲しみを込めた声でも話せたように思います

今回は私の体験がテーマですが
人によって『女性の性』で受け止めきれない経験をされた方はたくさんいると思います
してない人なんていないんじゃないかな。

これを読んで、『女性性』に関わることで
同じような戸惑いや悲しみ、怒り、虚無感など
様々な気持ちが湧いた方や

感情を殺し、十分に感情を味わえなかった女性が
自分の思いを表出してもいいんだ、言葉にしていいんだ、と思ってもらえると嬉しいです

現在、無料体験セッションを行っています
コーチングでは、あなたの表出しきれていない感情をしっかり味わうことができます

これを読んで興味が湧いた方は是非ご連絡ください
HPLINEからお申込みお待ちしております

このnoteを読んだ感想や体験もコメントやLINEからシェアしていただけると、とても嬉しいです
セッションの申し込みじゃなくても、コメントがいただけるだけでも嬉しいです!


自己紹介はこちら

女性性について書いたけど、
きっと男性も同じように男性性で苦しむこともあるんだろうなぁ。
お互いがお互いのことを理解し合い、尊重し、想い合えるといいですよね。


👆こちら、私が話す様子です
こんな人がコーチかー、というのが伝わると嬉しいです

長い文章を読んでくださり、ありがとうございました😊













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