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名前を呼ばれないことがかなしいんじゃない

アルツハイマー型認知症の父・やっさんについてのコラムです。
前回まではこちらから。


2018年6月2日(土)。そうか、もう2年になるのか。
この日はたのしくて思い出すたびに笑っちゃうから、きっと生涯忘れない。


時系列でいうとちょっと先のおはなし

やっさんの認知症と本格的にかかわるようになってから9ヶ月後のこと。
朝からきいろい太陽の光がアスファルトを突き刺すように注いでいた。
そんな夏のような日に、やっさんをさんぽに連れだした。
つぎに会ったら聞こうとおもっていたことをたずねるために。

室内で決まった場所のイスに座り、日がな1日をそこで過ごすことが日常になってしまったやっさんは、どんどん足腰が弱っていた。歩くのが億劫になり、外に出たがらない。

ただこちらには秘策がある。
食い意地だけは人一倍、いや人百倍ぐらいあるのでにんじんをチラつかせればこっちのものなのである。
「さんぽしながら、なにかおいしいもの食べようか」
という合言葉で「じゃぁ行くかー」となる。はい、楽勝。

近所のカフェへ向かって歩きはじめる。
近所といってもやっさんを連れての散歩だと片道20分はかかる道のりだ。

記憶するってなんだろね

退職後、アルツハイマー型認知症と診断される前から、やっさんは朝のさんぽを日課にしていた。
具体的なさんぽコースはわからないけれど、 1年に1度か2度、顔をあわせることがあると「朝にいって買っておいたから」と市内の神社のおまもりをくれる。

それも同じデザインの同じものを、3度も。

「前におんなじのもらったよー」といっても
「せっかく買ったんだから、いいからもっておけ」と渡された。

2度ならうっかり忘れてということがあるだろう、だけど3回は偶然じゃない。渡すときのセリフもシナリオがあるかのように一緒だから笑ってしまう。
が、いま思えば、それもやっさんの認知症のはじまりを告げてくれていたのだとわかる。

「きょうは朝のさんぽ、いったの?」
いっしょにさんぽをするときは、やっさんの記憶を刺激するためのかんたんな問いをなげる。

「きょうはどこにも行ってないな」

「いつもどのあたりを歩いてたの? 〇〇神社とかよく行ってたよね。あとは○○川の土手とか?」
やっさんがどこを歩いていたかなんて、べつに知ったところでどうするというものでもないけれど聞く。
神社も川も、やっさんが子どものころからその地にあり流れているものだ。

「土手……。どこだったかな、そのあたりかなー。まぁテキトーだ」

あ、にごした。

やだなー、気づいちゃったな…。
ふだんの会話なら具体的な内容もちゃんと話せるのに、やっさんがあからさまにごまかそうという空気を出したのでちょっと動揺した。

それはまるで、話を聞いているようで聞いていなくて、でも嫌われたくないからやんわりと知っている話題にチャンネルを切りかえる…
ランチミーティングをしながらどこぞの誰かをディスる場に出くわしたときの、わたしのお得意の逃げ方と一緒じゃないか。
なんといううすら寒さだ。

いや問題はそこじゃない。
そうか。
やっさんがくらす世界には答えたくても答えられない問いが無数にあるということだ。
いくら実体があっても経験があっても、思い出せない。
記憶の扉なんてものはそもそもないとして、やっさんは思い出そうという力がもはや湧きでてこないのかもしれないとぼんやり思った。


翔んだクリームソーダ

そんなこんなで「暑い。つかっちゃ」「まだかー」と息と同時に弱音も吐く男、やっさんをやっとのことでいつものカフェに連れてきた。

木の引き戸をガラガラっとあけて中へ入ると、おしゃれなチェアとテーブルがほどよい間隔で並んでいる。
店員さんは、よこ並びにふたりで座るソファ席へいつものように案内してくれた。よれよれのじいさんと季節はずれの暑さに汗だくのわたしをだ。

あきらかにこの店内では貴重なカップル席なので「不釣りあいでごめんなさい」、とはまったく思わない。ふつうに座る。
だってこの日は、わたしにとっては2ヶ月ぶりにやっさんに会いにきた“おデート”なのだからカップル席上等だ。

やっさんはメニューをすこし見ただけで、すぐに「あんたは、なんにするの?」と聞いてくる。
これはお金を心配しているのだな、とすぐにわかった。
やっさんはお金を持っていない。正確にいうと持たせていない。

「きょうはわたしがおごるから大丈夫だよ。すきなのたのんでいいよ。
わたしはクリームソーダにしようかと思うけど」

「おなじの」

やっさんの首の後ろをさわるとだいぶ熱を持っていたのでおしぼりでちょっと冷やす。高齢者は発汗作用の低下で体温調節がうまくできなかったりするので、気を使ってあげている(ドヤ)。

緑色の液体にバニラアイスクリームがのった、それはそれはシンプルなクリームソーダが運ばれてきた。
「のど渇いたよね。わたしは、ちょっとほら、シャレた写真とるから…」

そのいっしゅん。
やっさんがストローをさした途端、クリームソーダが爆発した。

大量のソーダがパステルグリーンの泡となり、もこもことグラスから放出される。
勢いよく溢れた気泡の粒が、テーブルを瞬く間に海にした。
するとやっさん「もったいない!!!」と叫ぶやいなや驚異の早さでストーローにかぶりつき、ぐびぐびぐびっと飲みはじめた。
そのスピード、疾風の如く……!

ちょっと待って。え、あぶない、おもしろすぎるけど、え、ちょっとだいじょぶ?
そんな勢いよくストローで炭酸飲料を吸い込む82歳のじいさんいる?
いや、実際目の前にいたんだけど、驚くとかの騒ぎじゃないよ事件だよ。

あとで調べると “液体が抱え込める炭酸ガスが飽和量を越えたため“に起こる現象とのこと。
日本中の喫茶店やファミレスで同様の事件が多々勃発しているらしかった。
知らんがな、焦ったがな。

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ほぼ泡になったクリームソーダをすする妖怪「一気のみ」。肺活量やばい。

ストローから口をはなすと「いやぁ、息もつかずにのんだぁ」とやっさんが子どものような顔でわらったので、つられてわらってしまった。
「アイス消えちゃった」
なんだよ、かわいいじゃないか。ありがとう、事件。

本題、本題です

カフェに来るまでの会話で「もしかしたら答えてもらえないかもしれない」という不安は、先のクリームソーダがすべて打ち消してくれた。

やっさんに聞いておきたかったこと。
それは meの名は?である。

アラフォーになって名前の由来がどうだとか、ほんとうはとくに意味なんてない。
でも認知症患者の多くは昔のことほど鮮明に覚えていて、その引き出しを開ける行為はリハビリにもつながるらしい。
そんなことを看護師から聞いていたので実践してみようじゃないか、と思っていた。
(恥ずかしいからそういうことにしておいてほしい)


「ねぇ、わたしの名前◯◯の由来ってなんだかおぼえてる?」

やっさんはずいぶん前からわたしを名前では呼ばなくなった。
顔の認識はあるものの、おそらく顔と名前が一致しない。
もう自然発生的にその名を呼ばれることがないのはわかっているので、じぶんで名前を口に出す。
どうだい、その響きに覚えはあるのかい?

するとやっさんはごそごそと胸ポケットを探り、名刺入れをとりだした。
肌身離さず持っているその名刺入れから中身をぜんぶ出す。
古くなった会員証やクーポン券、ポイントカードのなかにわたしと姉の名刺が混ざっていた。

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「あれ、ちょっとしっぱいしたんだよな」

あー、漢字ね笑。知ってるよ。
それは高校の入学願書を出す際に戸籍謄本をとったことで判明した。
届けをだしたのはやっさんなのだが、本来使いたかったはずの漢字を間違えて提出してしまったのだ。

だからわたしの名前の字は、本来の意味と異なる。やっさんが続ける。

「ほんとうは自己の己。ひとりで歩いていくことを表してるんだで。」

「なんでも負けずにちゃんと歩いていけるように」

「だから負けないでがんばってください。」

なんで最後だけ敬語なんだよ。
iPhoneで動画を撮りながら泣きそうになって、笑ってごまかした。


「やっぱり、しっぱいしたなぁ…」
(わかったって。さっき聞いた)

「ひとりでも歩いていけるようにってそういう意味じゃねぇのに、ほんとに まだひとりだな」
とやっさんは二へへへと笑っていった。

なんだよ、そのオチ。いらないわー。
何事もなくアラフォーひとりでつきすすんでるわ。くそぅ。



やっさんの記憶の旅に同行できないのがかなしい

この話を書きたいと思って、撮影して以来あらためて動画を再生したら二へへへって笑うやっさんがおもしろくて何度も見てしまう。

漢字の説明をするやっさんのことばには淀みがない。
なにかを思い出しているようなタイムラグもなくて、ただながれるように音を出している。
それだけでじゅうぶんだなぁ。

親がつけてくれた名前に感謝できる、そんなデキた大人にわたしはなれたようだよ。
もうしょうがないから、名前の通り生きていくしかないじゃんか。


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名前の由来

もれなくやっさんのあんぱん代となるでしょう。あとだいすきなオロナミンCも買ってあげたいと思います。