音楽家には絶対音感が必要不可欠!?
プロの音楽家になるには、絶対音感が必要である。言い方を変えるなら、プロの音楽家はみんな絶対音感を持っている。
そう誤解していた。絶対音感なんてなくてもプロとして活躍している人もいるらしい。逆に、絶対音感が音楽の邪魔をすることもあるようだ。
絶対音感をもったある人が言うには、絶対音感があると「鳴っている音」がどの音かすぐに分かるが、何かをやりながら音楽を聴くということができず、本さえ読めないらしい。また、レコードの回転数が狂っていると、音楽を楽しむどころか気持ち悪くて仕方がないという。
音の基準としては、1939年の国際会議で、A音を440ヘルツに定めると決定したにもかかわらず、現在、アメリカでは442ヘルツとやや高めで、国ごとに少し違うのだとか。そして、徹底した440ヘルツでの絶対音感がある「だけ」の音楽家は、そのズレに合わせることができず非常に苦労するそうだ。
絶対音感とは、それだけあってもあまり意味がないということだ。創造性を左右するような魔法の杖でもなければ、音楽家への道を約束するものでもない。ただ、あれば便利、といった程度のものらしい。
上記したように、絶対音感があるせいで本も読めないという人について、ある指揮者は、こんなことを言っている。
「冷蔵庫の音が気になる人というのは本当におかしな人だ。電気の周波数は決まっているから、あれはソの音に決まっている。そんな音はみんな聴こえている。店のBGMも食器の音もあって当たり前で、人間は自分たちの能力でそういう音をシャットアウトしている」
言われてみたら確かにそうで、いままで、絶対音感のある人は、踏切の音も音階で聞こえて気になって仕方がないのだとばかり思っていたが、そういう人はむしろ、シャットアウトする能力に問題があるのかもしれない。
本書の中で、日本人指揮者の佐渡裕は絶対音感のある指揮者についてこういう例え話をしている。彼が中学生のとき、狂わないデジタル時計が欲しかった。当時、それは流行っていて3万円くらいした。ところが、今ではコンビニで千円くらいで売っている。一方、当時も今もロレックスは値段は変わらないどころか上がることもある。時間の誤差はロレックスのほうが大きいかもしれない。家に置いてある古い振り子時計なんかは、もっと時間がずれる。それでも、持ち主は、
「うちの時計は毎日十分も遅れるんだ」
と嬉しそうに言う。指揮者もそれと同じで、正確に音を把握できる人がもてはやされた時代は確かにあったが、いま、本当のカリスマとは、絶対音感なんかとは別の次元に存在しているのではないか。
また別の人が、絶対音感に関してこう言っている。
「視力が良くても画家になれるとは限らない」
本の後半は、五嶋みどり・龍の姉弟と、その母父の話がメインで、絶対音感とはほとんど関係のないところに突入していったのが残念。
途中途中で、本格的に音楽をやっていないと分からないような部分もあったが、ちょっと音楽をかじっていて、音楽が好きという人には興味深いてんこ盛りだ。
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