いちは

本を読む精神科医。医療や精神科や育児に関係するような緩いエッセイ書いています。→htt…

いちは

本を読む精神科医。医療や精神科や育児に関係するような緩いエッセイ書いています。→https://note.com/booklover_md

最近の記事

「マクドナルドのコーヒーで火傷した」訴訟の真相 『手ごわい頭脳 アメリカン弁護士の思考法』

アメリカで、ある女性がマクドナルドのコーヒーが熱くて火傷したと訴え、約300万ドルの損害賠償金を受け取ったという話、多くの人が聞いたことあるのではなかろうか。そして失笑、なんてバカげた国なんだと思わなかっただろうか。 私もずっとこの話をそのまま信じきって、アメリカというのは訴えたもの勝ちのトンデモない国だと思っていたのだが、真相は少し違うようだ。 アメリカ人弁護士のコリン・ジョーンズによると、裁判に至るポイントは3つあった。 1.マクドナルドが、コーヒーを買ってすぐには

    • 買いたたかれる女性たち 『職業としてのAV女優』

      AV女優のギャラは、一本当たりどれくらいかご存じだろうか? 私のイメージとしては、一本100万円くらいもらっても割に合わない気がしていたのだが、驚くなかれ、安い場合だとなんと3万円くらいらしい。 女優になるのに精神的な敷居が高かった一時期と比べ、今やAV女優志望者が多すぎて完全に供給過剰。ただ脱ぐだけで金になった時代は終わり、写真面接の時点で100人中70人は落とされるという。かろうじてプロダクションに所属しても、仕事がないか、あっても激安で買いたたかれる。こんな背景があ

      • 意識が高いだけだと業界の標的にされてしまう! 『食品添加物はなぜ嫌われるのか』

        「食品添加物」を毛嫌いしている人たちは多い。ところが、それがどういうもので、なぜ嫌いなのかをきちんと説明できる人は少ない。彼らが「テンカブツ」と言うとき、なにをイメージしているのか、どうなることを望んでいるのか、いまいち分からない。 本書は、「食品添加物」を含めた「食品情報に関するリテラシー」を身につけるための入門書である。 まず、各章のタイトルを列挙する。 第1章 終わらない食品添加物論争 第2章 気にすべきはどちらか 減塩と超加工食品 第3章 オーガニックの罠 第4

        • うつ病の当事者による優れた闘病記『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』

          病気のしくみ(病理)は、身体疾患の場合、手術で切り取ったものを顕微鏡で調べたり、亡くなった人を解剖したりすることで解明していく。ところが、精神疾患のしくみ(精神病理)はそういうふうには調べられない。ではどうするかというと、医師や看護師が観察した結果をもとに考察するのだが、患者さんの症状を見た人間が考察することと、患者さん自身のなかで起こっていることが必ずしも一致するとは限らない。そこにはどうしても限界がある。もしかしたら、とんでもない的外れもあるかもしれない。 これに対して

        「マクドナルドのコーヒーで火傷した」訴訟の真相 『手ごわい頭脳 アメリカン弁護士の思考法』

        • 買いたたかれる女性たち 『職業としてのAV女優』

        • 意識が高いだけだと業界の標的にされてしまう! 『食品添加物はなぜ嫌われるのか』

        • うつ病の当事者による優れた闘病記『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』

          不朽の名著にしてはいけない! 『もっとねころんで読めるてんかん診療』

          私は「てんかん診療をきちんとやれる医師」であると自負している。 これは決して「診断が正確で治療が上手い」という意味ではない。 てんかん診療を「きちんとやる」とは、専門医の判断が必要な患者さんを見つけたら、実際に専門医を受診できるようつなげることだ。 では、専門医の判断が必要なのはどういう患者さんかというと、「てんかん治療を受けているが発作が消失していない人」と「てんかんが疑われる人」である。自動車免許など社会生活に関わる問題も多いので、病気そのものの説明だけでなく、周辺

          不朽の名著にしてはいけない! 『もっとねころんで読めるてんかん診療』

          「てんかん診療には自信がありません!」と、自信を持って言えるようになる不思議な本 『ねころんで読めるてんかん診療』

          不思議な本である。 何が不思議かというと、てんかん診療に関する本なのに、読み終えると、 「てんかん診療には自信がありません!」 そう自信を持って言えるようになるのだ。ところが、これまた不思議なことに、「自信がない」と自信を持って言えるようになったのに、実際のてんかん診療に関しては、今までよりも安心して取り組めるようになる。 こんな珍妙な体験は初めてだ。 著者の中里先生は東北大学てんかん科の教授で、ツイッターでも精力的に情報発信されている。また、発信だけでなく、患者側

          「てんかん診療には自信がありません!」と、自信を持って言えるようになる不思議な本 『ねころんで読めるてんかん診療』

          音楽家には絶対音感が必要不可欠!?

          プロの音楽家になるには、絶対音感が必要である。言い方を変えるなら、プロの音楽家はみんな絶対音感を持っている。 そう誤解していた。絶対音感なんてなくてもプロとして活躍している人もいるらしい。逆に、絶対音感が音楽の邪魔をすることもあるようだ。 絶対音感をもったある人が言うには、絶対音感があると「鳴っている音」がどの音かすぐに分かるが、何かをやりながら音楽を聴くということができず、本さえ読めないらしい。また、レコードの回転数が狂っていると、音楽を楽しむどころか気持ち悪くて仕方が

          音楽家には絶対音感が必要不可欠!?

          これぞ狂気! 『封印されたアダルトビデオ』

          封印されたアダルトビデオ(AV)が、その理由とともに紹介されている。封印されているので、当然観ることはできない、はずだ。著者がAV関係者を辿って観ることができたものもあるが、そうでないものもある。なかなか刺激的な話も多いが、読後感は決して良くない。 いくつか紹介しよう。 「封印」といってまず思い浮かべるのが、呪い系だ。『封印された死者追悼AV』というものがあるのだが、その内容が非常に過激、というか罰あたりで、呪われて当然である。このAVのタイトルは『死ぬほどセックスしてみ

          これぞ狂気! 『封印されたアダルトビデオ』

          歴史を変えた薬の歴史

          医療、薬の歴史に関する本は好きでよく読むが、本書も非常にエキサイティングだった。 タイトルは「10の薬」とあるが、実際にはもっとたくさんの薬が登場する。著者も冒頭に「数にはこだわらないでほしい。そこは重要な点ではない」と書いている。 10章から成り、アヘンやモルヒネなどのオピオイド、ワクチン、抱水クロラール、ヘロイン等の麻薬、抗生剤、抗精神病薬、バイアグラ、そしてまたオピオイド、スタチン、モノクローナル抗体について、発見から開発、商業化までの歴史がドラマチックに描いてある

          歴史を変えた薬の歴史

          ビートルズ? なにそれ美味しいの? 『教養として学んでおきたいビートルズ』

          最近はビートルズを知らない世代、若者がいるという。ビートルズの曲を多少は知っていても、メンバーを知らないなんてことも……。 そうか、そうなのか……、もうそんな時代、世代なのか……。我が家では、いまでも土日の昼間にはときどき赤盤、青盤をかけているので、子どもたちの耳には触れていると思うが、たしかにメンバーまでは……、そういえば妻もジョン・レノンとポール・マッカートニーしか知らない……。 本書はビートルズ愛に満ち溢れた本で、根っからのビートルズファンというわけでもない自分から

          ビートルズ? なにそれ美味しいの? 『教養として学んでおきたいビートルズ』

          そこまでやるか! 『世にも奇妙な人体実験の歴史』

          本書に出てくるほとんどの科学者が、一歩間違えば人体実験を行なう非道なマッド・サイエンティストなのだが、その人体実験の被験者が自分、つまり「自己実験」というところが凄い。 ハンフリー・デービー(アルカリ金属やアルカリ土類金属をいくつか発見し、塩素やヨウ素の性質を研究したことでも知られている)の実験風景など、思わず笑ってしまう。かつて一酸化炭素が健康に良いと信じられていた時代があった。吸入すると頬が紅潮するからそう誤解されていたようだ(一酸化炭素中毒で死亡した人の顔はほんのり赤

          そこまでやるか! 『世にも奇妙な人体実験の歴史』

          男親の子育てについて科学的に分かってきたいくつかのこと

          子どもが生後6ヶ月になった時点で、父母に生活での役割の重要度(親、働き手、友人など)を評価してもらった。その結果、「父親」に多くの比率をあてた男性は、そうでなかった男性より自尊心(自己肯定感)が高い傾向にあった。ところが、女性の場合はその逆で、「母親」の比率が高いほど自尊心が低い傾向にあった。 1980年代の調査結果であるが、これは現代にも当てはまるのではないかと思う。 本書にはこうある。 自分自身に満足している男性は、他の主要な心理的役割を放棄することなしに、父親とい

          男親の子育てについて科学的に分かってきたいくつかのこと

          「僕が必要とする援助は、僕のこととして君に要請するから、それに応えてくれるだけでいい。そうでない援助は、僕を損なうから、断る。障害者は常にそのことを言っているのに、それに応えることなく、余計な援助が押し掛けてくるんだ。それは抑圧にしかすぎないんだよ」

          70年代。「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」という障害者の運動団体が、差別反対を旗印に関西や関東で施設や行政機関、バスを占拠した。歩ける者は少数で、車イスに乗った重度障害者がほとんどだった。彼らは占拠した施設内の事務所にある書類をびりびりに引き裂き、そこに小便をひっかけた。また、何十台ものバスに乗り込んで立て籠もったり、道路に寝ころんだりして半日ほど交通をマヒさせた。 (中略) 何をしても罪に問われなかった彼らの行動は、次第にエスカレートしていった。 こんな文章から始まる本。

          「僕が必要とする援助は、僕のこととして君に要請するから、それに応えてくれるだけでいい。そうでない援助は、僕を損なうから、断る。障害者は常にそのことを言っているのに、それに応えることなく、余計な援助が押し掛けてくるんだ。それは抑圧にしかすぎないんだよ」

          涙と、ショッキングと、そして恐怖 『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

          昭和60年8月12日。 小学4年生だった私は、生まれて初めて飛行機に乗って東京へ行った。埼玉に住む叔父の家に着き、テレビを見ていると、飛行機が墜落したという臨時ニュースがあった。その直後、叔父の家にはあちこちから電話がかかってきた。親戚中が、私の無事を確認しようとしたのだ。冷静に考えれば、行き先がまったく違う飛行機なのだから大丈夫に決まっているのだが、今になってみると親族の心配もよく分かる。 亡くなったのは520名、ご遺族は数千名にのぼる。当時の私と同じ10歳の男の子も乗

          涙と、ショッキングと、そして恐怖 『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

          本当に「医は算術に成り下がった」のか 『赤ひげ診療譚』

          「赤ひげのような医者はいなくなった」とか「医は算術に成り下がった」とか、そんなことを言う人がいる。断言するが、彼らはこの本を読んだことがない。もし読んでいたら、とてもそんなことは言えないはずだ。 そもそも「赤ひげ」自体、一応のモデルとなった人はいるものの、あくまでも架空の人物。いなくなったというより、最初からそんな医者はいないのだ。 さて、本書を読んだことのない人が「赤ひげのような医者」と言うとき、いったいどういう医者をイメージしているのだろうか。赤ひげこと新出去定(にい

          本当に「医は算術に成り下がった」のか 『赤ひげ診療譚』

          ある有名作家が有名になる前に、別名義で書いていた良書 『富士子 島の怪談』

          この本は、第4回『幽』怪談文学賞で短編部門大賞をとった短編『富士子』を含む短編集。いずれの話も読みやすく、しかし骨子はしっかりしていて読みごたえはある。 各話のストーリーに軽く触れる。 『友造の里帰り』 愛人の朱美と二人で、互いの同郷である小豆島に不倫旅行することにした友蔵。50歳を超えた社長である友蔵は、故郷を切り捨てきたと言っても良い。そんな友蔵が見た故郷の姿とは……。 『富士子』 器量も性格も悪い中年女・富士子。旅行で訪れた沖縄で衝動的に民宿を購入し、夫と手伝いの

          ある有名作家が有名になる前に、別名義で書いていた良書 『富士子 島の怪談』