閑話 祖父との対話
俺自身ハーフである事もあり、アイデンティティについて昔考えることもあった。
祖父に話の流れで、祖父にとってのアイデンティティを尋ねたところ、二十代の頃の話をしてくれた。
生きるとは?自我とは?などサルトルの実存主義に賛同したり、当時は何もかもが熱く情熱に溢れていたと、淡い青春の記憶となっているらしいことを懐かしみながら話てくれた。
以下、祖父の話。
人間とは、社会性を持つ生き物であり、ロビンソン・クルーソー的な暮らしでもしない限り、社会との繋がりを本能的に求める。
その中で常に自己のアイデンティティは緩やかなゆらぎで変化していくものだ。
年齢とともにその多面性は深みを増し、自身の過去を見つめた際、客観的にアイデンティティのベクトルを定めようとする。
自己のアイデンティティと社会を結びつけて考えた際、いかなる者も社会的、政治的使命や責任があるとして、そこにアンガジェ(投機)してアイデンティティのベクトルを定めようとした歴史もある。
(フランスの5月革命など)
年齢を重ねないとわからないものだらけ。
色々な関係のなかで様々なアイデンティティが自己の中で認識されていくし、他者との関わりによってベクトルも変化してゆく。
ここまで祖父の話
まさしく、パスカルの言う通り、人間とは考える葦である。
緩やかなゆらぎを持つのがアイデンティティの特性。
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