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微熱の青み

青が好きだ。
赤よりも青が好きだし、白よりも青だ。

万年筆のインクも青みがかったインクを使うし、服も大抵は青みがかっている。

妻の瞳は青というより、灰色と緑色に近いけれど光の当たり具合では、透明な湖の底みたいになる。吸い込まれそうな瞳は生まれつきだけではなく、彼女のあまりひとを悪く思えなかったり、誰にでも優しかったりすることが源泉になっていると僕は思う。

青は僕にとって冷たい印象だけでなく、澄んだ住人の世界の象徴のようにも思えてならない。

先日、妻と通話をしながら『アデル ブルーは熱い色』という少しエッチなレズビアンの女の子の青春と成長の映画を見た。

本作は2013年5月23日に第66回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、最高賞であるパルム・ドールを獲得した。

運命の相手は、ひと目でわかる──それは本当だった。高校生のアデルは、道ですれ違ったブルーの髪の女に、一瞬で心を奪われる。夢に見るほど彼女を追い求めていたその時、偶然バーでの再会を果たす。彼女の名はエマ、画家を志す美学生。アデルはエマのミステリアスな雰囲気と、豊かな知性と感性に魅了される。やがて初めて知った愛の歓びに、身も心も一途にのめり込んで行くアデル。数年後、教師になる夢を叶えたアデルは、画家になったエマのモデルをつとめながら彼女と暮らし、幸せな日々を送っていた。ところが、エマが絵の披露をかねて友人たちを招いたパーティの後、急に彼女の態度が変わってしまう。淋しさに耐えかねたアデルは、愚かな行動に出てしまうのだが──。
あらすじ filmarksより

結論から言うと、とても僕はこの映画が好きだ。
エロさ加減が極まってるし、不安定なエネルギー感ある。最後の吹っ切れ感も素敵な一歩を予感させてくれた。

監督と主演女優ふたりとの問題はここでは取り上げないけれど、色々あるにはある。それでも僕はとてもこの映画は良い作品だと思う。
エロさは崇高なものだし、女優ふたりが本当によく演じきっているとも思える。

やはり男女の性差や年齢によらず、誰かに恋をすることは尊い。
それが淡くても浅はかでも、情熱を持って駆け引きなしに恋する。

それが愛へと変えていけるかどうかは、そのひとたち次第だろう。

散々、冒頭で馬鹿みたいに惚気た僕だけど、実際にはかなり淡々とした夫婦関係でもある。僕らは数年前に出会ったわけではなく、子どもの頃からの近所の友人だったというのもあり、一般的な恋人とは少し違う感情というか絆がある。
それは友情とも言えるし、兄弟愛や隣人愛とも近いかもしれない。また、小中学生くらいの頃の友情というのは、高校生や大学生、ましてや社会人になってからの友人たちとは全く違う性質を持つ。僕らの基盤はそこにあるからかなり運命的なものを感じずにいられない。

そんな今の妻と付き合う前、僕はエマみたいな立場だったことがある。
当時のパートナーは僕と仲の良かった女友達に嫉妬して、結果的にパートナーが浮気して別れた。

映画では、エマがあるパーティーから態度が変わり、恋に恋する状態のアデルは、たとえようのない寂しさを感じ始める。

僕はアデルの気持ちもエマの気持ちも、とてもよくわかる。

アデルの寂しさが痛々しいほどにわかる。

だから、エマがベッドの中でアデルに吃問したこともよくわかる。
それに、アデルが寂しさから浮気をしたことが、自分を棚に上げてまで責めたときのエマの気持ちも、理由を話そうとするアデルの気持ちもよくわかる。

そうなんだよなぁ、「恋愛」ってこういう初々しい感じが良いし、性差も年齢も余計なお世話でしかない。

だから今の妻とは、おじいちゃん、おばあちゃんになっても、ときどきドキドキし合えたら理想だし、いつもドキドキしていたい。
気を抜くと、「生活」の一部になってしまう。

それが良いっていうひとも多いし、そういうのはいやだっていうひともいるだろう。

パートナーには、適度に緊張感持って気負っていて欲しいし、気負っていたいから、僕も綺麗でいたい。それも思いやりのひとつのような気がする。パートナーの前では等身大で全裸で年相応に美しくお互いいられたら理想かもしれない。

微熱程度の透き通った青い湖みたいな感情をじわじわ持ち続けたい。

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