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柘榴

すっぽりと秋の空気に包まれた昼。
曇り空の下は肌寒いほどだった。
修繕依頼された2階のテラスを現地調査し終えて自宅へとまっすぐに戻った。
今日は妻にピアノの練習を見てもらう日。

午後から夕方までフィリピンカーチャンに娘を預けた。母は友人の経営する多国籍料理店へと娘を連れて向かった。
子ども好きの母。男3人を育ててくれたけれど、日本人の感覚だとかなり適当なのに、なぜか毎日子どもたちのお迎えに学校の中までやってきた。担任の先生たちにとってはモンスターだったろうに。
女の子が欲しかったらしい。
1番上の兄の2人の姉妹の孫たちも甘やかしながらこまめに面倒を見てくれている。
彼女にとって5年ぶりの孫である僕の娘も可愛がってくれている。

家に戻ると、妻がレッスン室で自分の練習に励んでいた。
シャワーを浴びて気持ちを切り替えるのに炭酸水を飲もうとキッチンへ向かうとゴロンと柘榴がいくつか置かれていた。

レッスンまではあと30分。
僕は須賀敦子さんのエッセイ『オリーブ林のなかの家』を上の空で読んでいた。

文字が滑ってゆく───暗譜し切れていない後半上手く弾けるかどうか気を揉んだ。今週は集中して練習できていない。気持ちのせいなのはわかっている。やらないからできない。できないから適当に済ませて、前半だけ練習、あるいは、娘と他の曲で遊んだり。そんな週だった。

「アシュケナージ」という文字が出てきて少し姿勢が前のめりになった。内容は『グイード』という小説を書いた知人のユダヤ人の話だったと思う。けれど、僕は彼女の文脈に登場したアシュケナージに気を取られて、結局、オリーブ林の著者の知人はどうでも良くなってしまっていた。

エッセイの中のアシュケナージとピアニストのアシュケナージが同一かはどうでもよかった。ピアニストのアシュケナージに今だけなりきれたら、じょうずに弾けるのに。

30分後、レッスンが始まった。
モシュコフスキーの部分練習の仕方をしっかりと教えてもらって、次、バッハの平均律フーガ2番を見てもらい、最後はショパンのプレリュード 28-21の後半。
33小節から次第にゲシュタルト崩壊しながら39小節のフォルテッシモで大コケし、完全に崩壊した。落ち込んだまま終わる本来ならばピカルディ、希望的救いの光が見えるような59小節は糸も切れ切れでどんよりと沈んだ。

色々と僕は言い訳をする。
暗譜し切れてないこと。
指番号が定まっていないこと。

暗譜すれば良いし、指番号だってその時ちゃんと考えればいい。
レッスンでやることじゃない。

開けた窓から見える灰色の空。

彼女の指摘はシンプルだった。

「弾けるところしか、練習してない感じがする。弾けるところを練習しても意味がない。
音楽全体の曲想が定まっていなくて、ブツ、ブツっと切れてるかな。フレーズ、レガートのフレーズを感じてフレーズが終わるところで、スッと力を抜いて。でもそこは休憩じゃなくて次へ続く為のフレーズの終わりなの。手首をむやみやたらに上げだりしない。フレーズの終わりで、ふっと上げるのは良いと思う───それに、弾いてね、とは私言ってないわよ。聴かせてねとしかいつも言ってないの。
気付いてくれている?」

すごく大事なことを教えてもらった気がする。
それと同時に、自信満々に39小節のフォルテッシモを乱暴な音で始めて、全体的に乱暴な暴君のようにしてしまったことを後悔するどころか、僕自身に嫌気がさしてしまった。

「弾こうとするんじゃなくてお話を聴かせてね。
来週また、聴かせてね」

1時間弱のレッスンが終わって、ふたりともお腹が空いた。

キッチンに置いてあった柘榴のことを思い出した。曇り空の午前のランニング帰り、裏山に分け入ってみたら、たくさんの柘榴が灰緑の光の中で輝いていたそうだ。もぎ取った柘榴をランニングシャツの裾に抱え込むようにして帰ってきたことを話てくれた。僕はソファで踏ん反り返りながら、昨日の娘のことを話した。昨日の夕飯前に僕が妻の真似をしてシューベルトを弾いたら娘が曲に反応したのだった。
今年のノーベル文学賞は誰が取るのだろうか?と話は飛んだ。
候補と言われるウリツカヤさんの本を去年読んであげた。『子供時代』というソ連時代の子どもたちや普通のひとたちの暮らしぶりが優しく書かれた短編だったと思う。そのことを振り返って僕が話すと妻がひとりで日本語版の『ソーネチカ』を読み切った時の感想をもう一度話してくれた。

「もともと無かったものが突然、手の中にあったとするよね?それで、しばらく幸せでいたとして。何年も経って歳をとったある日、風に吹かれたみたいに、手の中にあったものが消えてなくなってしまったとする。そしたら、あなただったら、あの時幸せだったから、って諦めのための決着を自分の中でつけようとする?」

そう聞かれて、ソーネチカのあらすじを忘れてしまった僕は思うままに言った。

僕は諦められずに苦しみながら後悔の一生を過ごすかも知れない、と。

失うまで、何かしらの原因や疎かにしたり傲慢になったりしていなかったかどうか。
きっと僕なら後悔して同じところにスタックし続けて人よりも何倍も時間を無駄にしながら堂々巡りに明け暮れる。
基本的に過去を糧として新しい道を切り開くことに対して腰が重い。
堂々巡りしながらも、取り戻すだとか別の道を探す努力は、その時の体力と気力次第でしかない。
だから、僕だったら、年老いてそんな状況では、心臓が脈打つごとに後悔し、夜眠る時つぎの朝に目が覚めないことを祈るだろう。

だから後悔しないように、僕はもがく。でも長い目でみたら、どちらがいいかなんて、地球の自転には影響するかも知れないけれど、そんなことはデネブではどうってことのないことに決まってる。

柘榴を何事もなかったかのように頬張る妻。
しょんぼりする僕を見て無邪気に笑う。

しばらくすれば娘と母が帰ってくる。

外は雨が降り始めている。
時間を止めて彼女を連れ去って、僕らは雨の秋、海の水平線そのまたずっと向こうへ行った。

山の柘榴

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