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自分自身についてではなく、世界や人物について書く─ミラン・クンデラ

最近よく思うのは、本の書評や感想ってなかなか難しいものがある、ということ。

僕は、他人の感想を見るのが好きで、自分の気が付かない視点から深く掘り下げられていると面白いな、と思って読む。
そうしたものは、書き手の教養的なバックボーンも反映され、特に、須賀敦子さんの書評やエッセイは目を見張るものがある。
体系付けられた確かな知識と豊かな経験、世界観の奥行きは、ヨーロッパ各国での留学と生活、そこでのひととの知的交流、そして彼女の場合、クリスチャンとしての信仰心からくるであろう芯の強さなど、それなりの教養と経験、文章化するための語彙力、分析力、論理力。
これらに彼女のチャーミングさとが合わさって透徹さの中に優しさと外国語と海外生活を通しての磨き上げられた日本語能力が、文章として表われている。

エッセイについては60歳前後からともあり、豊かな人生経験がそこに流れてもいる。

須賀敦子さんを読み続けていると、浅い僕のとるにたらない文章がどことなく、使い古された言葉だけでできている気がしてきたり、結局はじぶんのことばかりを書いていてベクトルが内向きになっているものがあったりと、辟易とするときもある。

さまざまな分野のことや時事を深く勉強し、視点を増やして、分析したり考察する際の視座の高さを上げたり、対象領域を広めに取れるようにしたい。

個人的に若い小説家たちのものをどうしても遠ざけてしまうのは、こうした深さと広さにも関係する。

一方で詩人はどうかというと、ランボーに代表されるように瞬発力が輝く側面もあり、比較的、僕の好きな小説家たちより、僕の好きな詩人たちは若い頃に残した詩集が多い気がする。これは音楽についても同じようなことが言える。音楽も作曲家たちは割と若い時期に書き上げていると思う。

このことについては、大器晩成だった作曲家ヤナーチェクについて語るミラン・クンデラがもっと上手く表現してもいる。

“自身にとって最初の価値ある小説となる『ボヴァリー夫人』を脱稿しつつある頃のフローベールは、すでに三六になっています。ヘルマン・ブロッホが最初の大河小説を書くのは、四十を過ぎてからのことです。これよりも若い年代で傑作を書くことなど、小説家の場合だと起こり得ません。と言うのも、小説家が書くのは自分自身についてではなく、世界や人物についてだからです。こうしたことを行うのに必要となってくるのは、外界との接触です。そして、これを行うには、ある一定の年月が必要となってきます。  
 ですが、アルテュール・ランボーが詩を書いているのは、二十歳になるにはまだほど遠い頃のことですし、のちには詩を書くのをやめてしまいます。この意味においては、作曲家は小説家よりもむしろ抒情詩人に似ています。モーツァルトが天才的な音楽を書くのは、まだ子供の頃のことです。大作曲家が自力で自身のことや自身の個性などを見出すのは、比較的早い時期のことです。
この点からすると、ヤナーチェクの成長ぶりは例外的なものですし、セドラーチェクさんの言葉を借りるとすれば、にわかに信じ難いまでにゆっくりとしたものです。”
太字は僕によるもの。
“にわかに信じ難い運命トマーシュ・セドラーチェクとの対話ミラン・クンデラ +トマーシュ・セドラーチェク”

— アステイオン 86 【特集】権力としての民意 by 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会

スタンダールが『赤と黒』を刊行したのが47歳、プルーストが『失われた時を求めて』を刊行したのが42歳、ドストエフスキーは『罪と罰』を45歳で刊行、『カラマーゾフの兄弟』を刊行したのは58歳前後。

名だたる文豪の名作たちは確かに40代以降の作品かもしれない。

例外がないわけではなく、サン=テグジュペリの『夜間飛行』は30代前半で刊行されていたり、カミュに至っては『異邦人』を29歳のときに刊行していたりする。

しかしこうした作家はかなり稀で僕が言うまでもなく稀有な天賦の持ち主であろう。

さまざまな分野を超えて学ぶ姿勢と社会を極力透徹な目で見て洞察する努力を惜しみなく尽くせたら素敵だ。
哲学は廃れたかもしれぬが、哲学をすることによって鍛えられる力のひとつに論理や洞察があるように思う。これは哲学のみならず数学も同様だろう。
読みやすい、あるいは、書きやすい、とっつきやすい文章かどうかは二の次、三の次かもしれない。むしろ、ターゲットを第一に考えることは迎合に繋がりやすかったり、書きやすいものばかりを選んでいると脳がツルツルになっているか中身が空洞になっている可能性だってある。

クンデラの言う「小説家が書くのは自分自身についてではなく、世界や人物についてだから」という言葉を僕は大事にし、何かを書く際必ずここに依拠していたい。そうした文章というのはジャンル問わずやはり素敵に違いなく、残すべくして残されていくのだろう。

須賀敦子さんの素晴らしさに改めて感服していた。

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