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太陽肛門

著者 ジョルジュ・バタイユ
訳 酒井 健
出版 景文館書店

久しぶりにメチャクチャに感性にピッタリくる本と出会ってしまった。

「太陽」は「夜」だけをひたすら愛し、地球へ、その光の暴力を、淫らな男根を、差し向けている。だが太陽は、眼差しに、夜に、出会うことができない。地表の夜の広がりが絶えず太陽光の汚れにむけて進んでいるというのに。
『太陽肛門』p20

ニーチェの『ツァラトゥストラ』「夜の歌」を踏まえた上での記述と訳者が解説しているとおり、決して交わることの出来ない、けれど、交わる寸前のなんとも言えない強烈な躍動感と、そこに生への讃歌を感じずに居られない。

バタイユもしかしてニーチェ超えてね?
とすら思いたくなる。

二項対立的なものの融合しそうな瞬間やその瞬間が音を立てて壊れる寸前は恍惚感凄まじい。

そういう意味では三島由紀夫がバタイユに傾倒していたというのも何となく頷けるが、バタイユのは陰気臭くなく、底抜けな明るさをどことなく感じれる。

スピノザの神が世界と置き換えられるとしたならば、バタイユのそれはエロス、生そのもので、どことなく色々と両者切っても切り離せない何かがあるんだけど上手く言えないのは僕がまだスピノザを上部だけでしか読んでいないからだ。

病的で破廉恥だと支離滅裂なんじゃなくて、生への無垢な讃歌でしかない。

そこだけは僕にはわかるのだ。

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