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文章を書くことが好きになる方法

東大式文章書くのが好きになる方法

 これは、上手な文章を書く方法ではなく、頭でっかちを育てる方法でも成績が良くなる方法でも良い大学へ入る方法でもない。

 駄文かどうかは置いておく。

 3歳くらいから色えんぴつで日記を書かせる。時系列にだ。それも通りすがりの知らない人、その表情、容姿、風、匂い、すべてにおいて時系列に。その時の感じた事を色彩を持って表現させる。
 意図的に大哲学者や大文豪たちの世界名作劇場だけ枕元に行儀よく鎮座させておく。漢語辞典と国語辞典も忘れずに。

 子どもの好奇心は偉大だ。大抵は一人くらい俺のように引っかかる。バイアスのかかっていない子どもらしい無限の想像力でソクラテスから志賀直哉、色々読む。大人の狭い感覚とは比較できないほどの感覚を持って。

 小学校を上がるくらいには、ちょっとした短編が書ける。
 現代文はそうして育つと学校の紋切り型の勉強をしなくてもパーフェクトだろう。古文は、その子が昔読んだかどうか次第だが、興味がないわけではないはずだ。

 そうやって国語力の土台を自然と能動的に育むと、彼らが大人になるときに、その目には見えない途方もない財産が彼らの糧やささやかな心の拠り所になるときもひょっとしたらあるかもしれない。読書に限らず、音楽や美術にしてもそうであろう。

 一見無駄あるいは道楽のように見えるこうした幼い頃から能動的に芸術と触れ合うことは、様々な形で自身に返ってきてくれる。芸術との触れ合いの過程やそこから得て、自身で考え抜いた何かしらの形は、他人からの評価など一切関係ない。ただひたすらに己を満たしてくれる。

 東大紛争でドロップアウトし内ゲバからいかに身を守ったかの英雄伝を延々と孫たちに毎晩飽きずに聞かせる爺ちゃんの僅かながらの俺たちへの教育方針。

 ちなみに孫たちは誰一人として東大へは行かなかった。

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