悲しみのイレーヌ

『その女アレックス』が面白かったので、こちらも読んでみました。ルメートルさんは、なんといっても文章が上手い!この筆力で書いたら、どんな物語も面白いのではと思ってしまうぐらい凄いのです。(ゴングール賞を受賞した最新作の『天国でまた会おう』はバルザックの『人間喜劇』並みのドライブ感。古典のレベルに達してるって、ただただすごい。)最初の殺人のシーンを読んだ後、本気で暗い夜道を歩くのが恐かったです。とりあえず読んで損はないし、今一番ホッとな作家の作品です。読みましょう!

以下、激しくネタバレ。












日本では『その女アレックス』が出版されてから、その人気を受けての『悲しみのイレーヌ』の発売ということなのですが、このタイトルはありなのか!? いや、アレックス読んだから奥さんが殺されるって知ってました。でも、『悲しみのイレーヌ』から読む人もいるだろうに……。時々、本の解説で物語のプロットを全部書いてしまう方がいるのですが(忘れもしない、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』とか)、いかがなものですかね。

それはともかく、面白かった。一部のカミーユはビュイッソンの創作ということで、アレックスのカミーユと読み比べて分析してみたくなりますね。そういえば、本仲間が『アレックス』について、『この話のポイントは出会ったことのない誰かにすべてを託す、アレックスの愚かであり愛おしくもあるナイーブさだ』的なことを言っていて素晴らしい批評だなと思ったのですが、そう、カミーユにも同じようなナイーブさというかボナラブルさ(傷つきやすさ)があって惹きつけられずにはいられないのです。強烈なマザーコンプレックスは、身長143センチぐらいというカミーユの身体的特徴をはじめ、シンボリックに描かれた幼児性に何度も裏打ちされていて、だから父になることを許されないわけです。その辺も文学好きなルメートルならではです。

それにしても、小説に出てくる殺人シーンを再現する殺人犯ってよく考えたなと!ルメートルの本に対する愛情が迸っています。シンプルなメタ使いなのに、アッと思わせる。ちなみにこの小説、ロラン・バルトの引用「作家とは引用文から引用符を取り除き、加工する者のことである」から始まります。まさにこの小説の中の「作家」が文字通りしていること。なんたる皮肉!思わずニヤリとしてしまいます。

特にいいなと思ったのは、カラヴァッジョの『マグダラのマリアの法悦』が最後のイレーヌの死体の描写と被っているところ。陰惨なのに美しい。ルメートルマジックがさく裂しています。本屋さんのミステリーセクションに、『ブラックダリア』とか『アメリカンサイコ』とか、何もメンションしないでさらっと並べて置いとけばカッコいいのに。そんな本屋さんもいつかやりたいなと思ったり。

(文:今泉渚)

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