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アイスランドでひとり占め

悩める夜

小さい頃から「死後の世界の仕組み」とか「生き物が生きる理由」とか、哲学的なことを考え出して眠れなくなることがある。

先週、久しぶりにそんな夜がやってきたので、いっそのことトコトン考えてみることにした。

今日も仕事を頑張ったのだろう、バンザイの姿勢のまま熟睡している恋人を横目に、脳みそをぐるぐる回す。

古いことは忘れてしまう質なので、掘り起こせるのは数年来のイベントくらいだが、人生のキーワードというのを探してみる。

キーワードは「ひとり占め」

「ひとり占め」
ー[名](スル)自分または自分たちだけのものにすること。独占。「もうけをひとり占めする」「待合室のテレビをひとり占めする」/ goo辞書

これがたどり着いたキーワード。
言葉が苦手なので、お仕事で頻繁にお世話になっているお馴染みのgoo辞典の解説も探してみた。

これだけ見ると、ずいぶんと根性の捻じくれたやつにしか思えない。

特に、例がひどい。

「テレビをひとり占め」ならまだかわいい。
チャンネルのとりあいかな?と、家族団らんの温かい光景が垣間見える。

しかし「もうけをひとり占め」なんてのはもはや完全に悪党。きっとコナンに出てくる真っ黒なやつ。目とくち以外ベタで塗りつぶされるやつ。

そんなことはどうでも良くて、本当に注目して欲しいのはその説明のこの部分。「自分または自分たちだけのものにすること」

ひとり占め=自分”たち”だけのものにすること

そう、ひとり占めはひとりじゃなくてもできるのだ。

この世の果てにようこそ!

ここで旅のエピソードを一つ。

友人とこの世の果てを目指して降り立った、アイスランドでのはなしだ。

2019年3月、冬の終わり。

OASISやミスチルに大声で応援されながら、火星に飛ばされた宇宙飛行士のような気分で車を一週間走らせ続けたときのこと。

火山灰や溶岩が冷えてできた、どこまでも広がる黒い大地。薄い青色と白の2色だけを使って描いた抽象画ような、遠近感を狂わせる真っ白な雪原。

日になんども襲いかかってくるブリザードは、道路と原野の境目を簡単にかき消し、自然の厳しさを叩きつけてくる。

北の果てではひとは完全にアウェイだった。

老けゆく若者と火星基地N1

貧乏旅行では車中泊が常套手段。唯一体を休められるのは、ポツンポツンとさり気なく建っている24時間営業のガソリンスタンド「N1」

目の死んだ牛の集団に囲まれたり、あるはずの温泉がなくて凍死しそうになったり、心身ともにボロボロな我々の救いの場。火星に建造された宇宙基地。ドラクエで言うなら教会である。

毎朝こわばった体を座席から引き剥がし、朝食代わりに激安コーヒーを流し込む。

寝袋を忘れ、自作のダンボール布団で凌ぐ相方の人相は、恐ろしい速さで老いてゆく。アイスランドの魔女に呪われてしまったようだ。

表情を見ていると、相手もわたしの顔を見て同じようなことをおもっているのだろう。

そんなことを思いながら、朝日が目に染みる中再び大地に挑み続けたのである。

必死に探しているのは何?

わたしが旅に出るたび、そんな苦行のような体験を繰り返す理由がわからないと恋人は言う。

そのたびに、こちらとしても言い淀んでしまう。なぜだろう。

もちろん、写真もとるし、ときには日記に書き留めることだってある。

しかし見返すことはほとんどないのも確かだ。

夏祭りで花火の写真を山ほど撮った挙げ句、一枚だけSNSにあげて終わるのと同じだろう。

じゃあ、話の種にでもしているのかと言うと、そう言うわけでもない。

現在でも交流のある相方と、そのときの話をすることもあるが、いつも気恥ずかしくて早々に切り上げてしまう。

時間も、お金も、時には健康だって引き換えにするような無用なことに、なぜ駆り立てられてしまうのか。

シェアできない幸福

アイスランドの北に、Hverfjall(クェルフャッキ)という巨大なクレーターがある。

直径約1km 、深さ約140m。
約2,500年前の噴火で形成されたと言われていいる。

遠目にはとんでもなく大きな山に見えるが、実際は20分ほどで登り切れる程度のサイズだ。

遠近感が狂ってしまうのは、アイスランドあるあると言える。これから行こうと思ってる方はぜひ楽しんで欲しい。

麓に車を止めて、爆風に煽られながら岩肌を登る。こんな季節には他に観光客もおらず、自分と相方の2人だけだ。

バシャバシャ写真を撮りながら、何度も転びそうになりつつ頂上を目指す。


山頂に着いた時、とつぜん幼稚園児にもどってしまったような、自分がよわくてちいさい生き物だと感じた。

悲しいような、嬉しいような気持ち。

来た道を見下ろすわたしの体を、壮大な風景がぶち抜く。

自分たちが認識できる尺度を超えて、過去から未来へと続いていく場所の歴史。その途方も無い流れの、瞬くほどの隙間に偶然滑り込んでしまったのだ。

火口に沿って100mほど後ろを歩く相方。
彼の目には、暴風の中でジタバタしているわたしの姿が目に映っているだろう。

興奮の渦の中で、走ったり、仰いだり、大声をあげたり…過ぎていく時間にあらがうように、どんな些細なものでも取りこぼすまいと必死だった。

冷たい風に奪われてゆく身体の熱、
遠くに見える豆粒のような相方、
氷に閉ざされた火山、
震えで奥歯がカチカチと鳴る音、
雪の白と火山岩の黒のマーブル模様の大地、
沈むことを忘れてしまった太陽…

これまで歩いてきた道も、寒さも疲労も何もかも自分が感じるすべてを一つにしたいという欲求。

そこには理屈も論理もなく、興奮に飲み込まれる快感と自分たちだけが手にした多幸感だけがあった。

生きているということは、ただ、その瞬間に到達するための過程に過ぎない。

友人と、恋人と、家族と、今は亡き人たち…自分が想うだれとでも「ひとり占め」することができるのだ。

これからわたしと出逢う人たちに言いたい。ぜひ一緒に「ひとり占め」しましょう。

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