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コンクリの城と芸術家たち

芸術家の恋人

わたしには、芸術家の恋人がいる。

「芸術家」と書いては見たものの、その言葉にはイマイチピンとこない。

芸術家と言うとどんな人柄を連想するだろう。

愛人に囲まれながら歴史的大作を連発する巨匠、耳を切り落とした狂気の画家、発明家・数学者・医者・建築家、分野をまたいで名をとどろかせた天才…

そもそも彼らを芸術家の一言でまとめる私たちのほうは、いったい何家と呼ばれるのだろう。

話がそれてしまった。
今回はわたしが彼ら芸術家を愛してやまないという話をしようと思う。

森の中のコンクリ城

東京藝術大学という学校をご存知の方は多いだろう。

倍率は東京大学の10倍、優秀なだけでは入れないという日本屈指の名門校だ。

では、その名を冠した大学校舎が茨城県の辺境の地にあることをご存じのかたはいるだろうか。

それはまさに、森の中に屹立するコンクリートの城。


異国の大教会か、はたまた、秘密結社の実験施設か。

歩く音は建物中央を貫く吹き抜けに反響し、館内を満たす寒々しいひっそりとした空気を揺らすのだ。

城の住人は、頭が赤かったり、奇抜な服装をしたりといった"芸術家"然とした様子はなく、むしろ、周囲の緑と調和するような穏やかな方々だ。

ここ数年、そんな彼らと過ごすことが多くなり、自分の中にある”芸術家”という言葉のニュアンスが少しずつ変化してきている。


初めは作品を作って売り、生計を立てることができるという"職能"を指した言葉だと思っていた。

しかし実際彼らの大半は、アルバイトや事務職など、副業に従事して生計を立てていた。

名が売れた後も、教師などの職についている者もいる。

では、副業が仕事で制作は趣味なのか?というとそういうわけでもなさそうだ。

彼らは来る日もくる日も作品をつくることに時間と労力を費やし、仕事と余暇の間に境目はない。

じゃあ、だれでも芸術家と呼ぶことはできるだろうか?

あくまでも個人的な回答になるが、その答えは”否”だと思っている。

例えば、わたしは日々文章を、スケッチを、料理を生産し続けている。

余暇も仕事も、境目はほぼない。

しかし、彼らの姿を見ていると、わたしが自らを芸術家は呼ぶのはあまりにもおこがましいように思える。

それはなぜだろう。

主客合一の世界に生きる人々

わたしの愛読書に「西田幾多郎 善の研究」という本がある。この名をご存知の方はいるだろうか。

昨年、体調を崩してから様々な思想書を読みふけっていたなかの一冊で、なかなか良いことを書いてある本なのだ。

本屋で見かけたら、ぜひ手に取って読んで欲しい。

その本の中の一節。

「善く生きるとは主観と客観が一致した、主客合一を生きること」

主客合一とは、つまり外の世界(客観)と自分の世界(主観)の一致を目指すのが善だという考えのこと。

この言葉を頭にいれて、先の問、"芸術家"というのが何を指しているのか改めて考えてみる。

彼らは頭を動かし、体を動かし日々作品を生み出し続ける。彼らが感じてきたものが、カタチを得てこの世界に生まれる。

かれらが芸術家を名乗ると、生み出されたそれらの作品たちは、批評の目にさらされることになる。

まるで、客観の世界が実体を得るかのように、カタチを与えた者を時にあざ笑い、時に褒め称える。

そうして彼らは、自分と自分の生きる世界との差分をその間に刻みつけながら、互いが共存できる未来へとすこしづつ歩みを進めるのだ。

わたしを魅了する芸術家たち

このように考えてみると、なるほど芸術家とは世界と自分との共存を目指している人々を示しているようだ。

災害が人間の都合など考えないように、実体のない客観の世界も時として残酷に彼らを傷つける。

もちろん、そうした痛みから逃れる人もいるだろう。

お金、夢、家族、友達、社会…作者の名を他にかぶせれば容易に批評を免れられる。

目を背けるための道具は、選び切れないほどたくさん揃っている時代だ。

だからこそ、わたしは、彼ら芸術家に憧れてしまう。

初めは時代に迎合できない奇抜な集団だと思っていた、しかし、彼らこそが時代と正面から向き合っている者たちなのだ。

絶望のはびこるコロナ禍でも、変わることなく怒り、悲しみ、笑っている。

自覚があろうとなかろうと、主客合一を目指して歩み続けるその姿勢が、わたしを魅了して止まない。


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