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名前が一番私だったりする

今日ふと小学校のときの同級生を思い出した.
すごく仲が良かったわけではない.でもしっかり漢字まで思い出せた.

何をやっているんだろう.
引っかかるかどうか分からないけれど,検索をかけてみた.
今は学校の先生をしているらしい.すごいなあ.

10何年前に一緒の学校だった人の名前を,何故こんなに覚えているんだろう.自分でも不思議である.

昔は今より確実に人の名前を書く機会は多かった.グループワークや班決め,発表の感想等々.それでなんとなく覚えたのだろう.

ちなみに学校ルールでは習った字は漢字,あとはひらがなで書きましょうだった.そのため,私は一文字しか漢字で書けず,ちょっとくやしい思いをしたものだった.

あとは他の子に対して画数が多くていいな,とかも思っていた.勉強に燃えていた当時は,画数があるほうが格好良く見えたのだ.

今は書類で名前だけをひたすらに書く機会もあるから,画数の少ない今の名前が楽で仕方がない.

そういえばこの名前も生まれて7日以内にはつけられたはずだから,結構長い付き合いになる.

20何年自分でいるはずだけれど,身体は代謝でどんどん生まれ変わっている.だから今日の自分と1年前の自分って,実質別人.

ずっと変わっていないものって名前だけってことになるかもしれない.
そう考えたら名前は,”私”という実体よりも”私自身”なんだな.

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