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音を愛でる人の思い出

精神科医1年目のとき、統合失調症を患う音楽家が入院していた。

若い頃に発症し、処方薬を飲まず、重症化して日常会話はできなかった。

その人のお気に入りは病棟のピアノで、しかしもう演奏はできず、一つの鍵盤を人差し指でそっと押しては、響く音を愛でるかのように、幸せそうな表情で目を閉じるのだった。

受け持ちではなかったので詳しいことは分からない。ただ、音楽家にとって、向精神薬、特に抗精神病薬は、指の動きや、視覚・聴覚などの感覚に影響が出てしまい、とても飲みたくないものだったのかもしれない。
抗精神病薬でなくとも、たとえば気分安定薬・抗てんかん薬として使われるカルバマゼピンは、音が半音下がって聞こえるという副作用が知られている。こういう副作用が出ると、音楽家には辛いだろう。

その人の姿を遠目に見ながら、音楽がその人に与えてきたであろう恵みと、音楽への没頭が奪ってしまった治療とに想いをはせては、答えの出ない自問を繰り返していた。

患者さんの人生にとって、治療とはなにか。

いまだに答えは見つからない。


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