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【古典文学】愛するということを読んで

こんにちは、レイです。

今回は古典文学の名著である、
『愛するということ』を取り上げてみたい。

題名だけ聞くと、「なんだ、面白うなさそう」って感じるかも?
興味がわいて、仕方ないって人もいるかもね。

でも、生きているとふとした瞬間に考えたことなないかな?
「私、愛されているのかな」
「私、必要なのかな」
「僕って、生きている意味あるのかな」

でも、これって僕もそうでしたが、
「親からの愛情がない」
「誰からも必要とされない」
「集団になじめない」
「自分に価値を感じていない、見いだせない」

そんな、難しい問題があると思うのです。
ただ、「人の愛情や優しさを素直に受け取れる」というのは
一つ、この問題に良い考えを与えてくれると思いました。

そこで、この本を手に取ってみたのです。
(勘と雰囲気で手に取ったのは内緒ですよ?)

この本を読んだ感想や、
考えたことなどを語っていこうと思います。


『愛するということ』あらすじ

愛は技術であり、学ぶことができる――

私たち現代人は、愛に渇えつつも、現実にはエネルギーの大半を、成功、威信、金、権力といった目標のために費やし、愛する技術を学ぼうとはしない。

愛とは、孤独な人間が孤独を癒そうとする営みであり、愛こそが現実の社会生活の中で、より幸福に生きるための最高の技術である。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314005586

愛するということを読む前

感想などを告げる前に、この本を読む間に僕が何となくイメージした内容に関して、ザックリとご紹介します。
というのも、本って、読む前のイメージでだいぶ受け方や印象が変わりますからね。

手に取る前に知っていたのは「愛は技術だ」という単語です。
この文言は、色んな所で囁かれています。そして、それは書籍という世界でも同じで、別の本で「愛される技術」を知りました。

その本では、人から嫌われない方法や、受けのいい方法。
人から愛情を感じ取る方法などの、方法論を語っているものでした。
正直、「これは僕には合わないなぁ」と思って読んだ覚えがあります。

この本を読むときも、正直なところは「まぁ、気晴らしに」って感じです。
期待値は星5で示すところの星2程度。失礼だが、僕には合わないんじゃないかなって感じで読み始めました。

かなり失礼ですが、僕が読む前にぼんやりとイメージしていたのはこれです。まぁ、読んだ後は冒頭述べた感じで信者なんで、ええ。

この予想はよい方向で裏切られることになるんですけどね。

『愛するということ』の感想

この本の内容を真摯に受け止められているのか。
正直、僕の心は少し歪んだ形でこの物語を受け止めただろう。
でも、それでいいかなって思えてしまった。
それほど「愛するということ」というのは、難しいと思う。

一人が寂しくて、依存した関係でも、
それが例え体目的のゆがんだ関係でも、
ただの金づるだったとしても、

「貴方に少しでも振り向いて貰えるならそれでいい」

そんな思考を少しでも考えたことがあるなら、この本は本当に突き刺さる。
僕自身、本当に突き刺さる一言があって、

「愛とは自然に発生する感情ではなく、その人の意思であり技術である」

ということだ。
いや、『技術』って、またこの単語かと思った。僕も正直、はじめはそう思った。
でも、最後まで読んでいくにつれて、「技」って話じゃないことに気が付いた。

誰だって、独りは辛いのだ。当然だ、人間は孤独に耐えられるように設計されていない。その辛さを乗り越え、頑張っている人は多いけれども。
残念だが、寂しさを拭うことは容易ではない。
それを可能とするものがあれば、それは技術であると言える。

書いてあることは納得の内容だった。
「誰かに愛してほしい」という思いは、傲慢な思いである。
それは、とても納得できるし、実際にそうだろうなって思った。

「自分で自分を愛せないのに、その自分を愛してくれと強要するのか?」

という、真理に出会ってしまった。
なるほど、これでは「僕は愛される価値がない」「自分なんて必要ない」
なんて、思ってしまう自分がいても納得できた。

面白いとすら思った。「誰かに愛してほしい」なんて思いつつ、
その実、当人が一番「愛を欲していない」というのだから。
この自己矛盾が、より問題を加速させて難しくしているのだろう。

当然だが、まずは自分が自分のことを好きになる必要がある。
昨今話題の、自己肯定感という奴だろう。

何の根拠も証明も必要なく、
「生きている私って素晴らしい」
「生きてるんだよ、僕。すごくねぇ、十分じゃねぇ?」
と思えることが大事なんだ。

あたりまえだけど、誰にも愛して貰うことは不可能だ。
「自分のことは嫌い。でもね、貴方にはこんな私を、誰よりも愛してほしい」と思ってしまうのは、致し方ない。
直ぐに、自分を好きになれとか、変われって話は無理だからね。

ただ、そこでキャラを作って演じて、使い分けて。
二重人格のようになるのでは、まったくもって意味がないだろう。
真の意味で自分の事を好きになっていかないといけないんだ。
心が欲しているような真実の愛は得る為には、自分に正直になって、自分を大事にして、思い切り愛してあげることがスタートなのだと思う。

真実の愛とは?

真実の愛とは、何だろうか?
それは非常に簡単なものなんじゃないかなと、この本を読んで思う。

お互いを尊重し、高めあいながら、決して裏切る事なく成長できる関係。

これが、真実の愛というものだろう。
愛とは一方的に求めるのではなく、互いに与え合い、支えあう物だ。

真実の愛というのは、残念だが容易に得ることはできないものだ。

決してお金で手に入れたり、少し会話しただけで手に入る。
そんな、安価なものではない。
もっと、時間と労力が必要で、それは目にして見ることは出来ないものだ。

魅力的な安売りされている愛を乗り越え、その先にあるものが真実の愛であるはずだ。だから、本気で貴方が真実の愛を望むのなら、まずは簡単に手に入れられる愛を捨てるべきだ。

でなければ、あなたが一生満たされることはないだろう。
その安っぽい愛に包まれ、揉まれ、その先に在るのはいったい何だろう?
今だけ、自分が必要で愛されているのだと錯覚する。
その錯覚が解けたとき、君はどうするんだ?

今のうちに、自分を知って、自分を理解していくことが重要だろう。
仮初のものなんて、所詮はどこまで行っても偽物でしかない。
その偽物を愛されたあなたは、果たして満足できるのか。幸せになれるのか。

少し考えてみないといけないのではないだろうか、と思う。

そもそも、愛とは何だったのか?

ふとこの本を読んでいれば気になってしまうことだ。
だって、「愛というのは姿も形も存在しないもの」だから。
当たり前だが、受け取り方は人によって違う。

でも、もしもあなた自身が、自分に向けられている愛を信じ切れず。
その愛を貧欲に欲するのであれば、まずはその姿形を知るべきだ。
どのような愛が欲しいのかを、正しく知るべきだ。
そうでなければ、ゴールの見えない暗闇を歩き続けることになる。

愛とは何か?

集団に所属することで満たされるのは、集団欲。
その欲求を満たしたところで、得られるものは、何だろう?

あなたが真に欲している愛というのは、きっと集団にはないはずだ。
あなた個人に向けてほしいはずの感情なんだ。
本書によれば集団に所属して得られるのは、『孤独ではない』という安心感のみだった。

真に愛を欲するのであれば、愛について知るべきだ。愛というのは、

人間同士の真の一体感。完全な答えは、他者との融合

であるとされている。

他者との融合というのは面白い表現だ。
自分というものを保ったまま、個性を失うことなく、誰かと共に在れるということ。
言葉にした時点で難しいし、これを実現するのは容易ではない。
ただ、実現できたときそれは、二人で一人の運命共同体になれるんだろう。

この愛を得るためには、愛する者を能動的に尊重し、その生命と成長を意識する必要がある。この積極的な配慮のないところに愛は存在しない。

また、特定の人間に対する関係ではなく、世界全体に対して人がどう関わるかを決定しなければならない。その決定の態度や方向性こそが、愛であるのだ。

本の中では、このような紹介が行われている。

どのような愛の形があるのか?

一言に愛といったとしても、その愛には様々な姿形がある。

「親愛」「友愛」「家族愛」「異性愛」「自己愛」「隣人愛」
「母性愛」「無償の愛」「狂愛」「慈愛」「信愛」「深愛」

自分が欲している愛の形は?

それは、誰から与えられたいものなの?
今一度、考える必要がある。そも、自分で自分に与える愛もあれば、親からでなければ、与えることができない愛も存在するのだから。

また、自分を愛してほしいという思いが先行し、相手の事を愛せないというのも問題だ。互いに尊重しあって、想い合うことが大事なのだから。
その行く先が、社会的に正しい形であることも忘れてはならない。

誰かに本当に愛してほしいのであれば、とある能力がいる。
それは、自分自身が成熟した人格と愛を生み出せる能力だ。

自分自身の人生が充実していなければならない。
自分自身を相手に与えるのが怖く、従って愛する勇気も持てないからだ。
誰かに愛情を分け与え、安心して自分を委ねなければならない。

それは、自暴自棄でも、初手から相手に依存して思い切り、身売りすることでもないのだ。自分を愛して、大事にして、自分で満たせる個所は満たす必要がある。

愛される為に

自分自身が愛される人になるには、「愛されるための魅力」が必要である。
それ以上に、「自分が誰かを愛せる度量」も必要だ。

依存ではだめなのだ。
それだけでは、自分が報われ、相手と一緒になることはできない。
つらい現実を押し付けてしまうが、それは逃げでしかない。

もう一度言うが、依存はしてはいけない。
それは、人ではなく、物に依存するべきなんだ。

貴方が、本当の意味で誰かを愛せるのなら。
その愛は広がり、自分を愛してもらえるようになる。
自分の寂しさを埋め、餓えない為には、次のことに注意してほしい。

  1. 自分を愛する

  2. 自分への愛を深める

  3. 他者からの愛を受け入れる

  4. 他者を愛する

  5. 他者から愛される

この手順で、愛を知り。
誰かに愛される自分になる必要がある。

誰かに愛される自分になるために、
まずは行動してみないだろうか?

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