見出し画像

【これからの「正義」の話をしよう】解説

こんにちは、レイです。
今回は自分が読んだ本の解説を
していこうと思います。

今回は「正義とは何?」
という貴方の疑問に答えていこうと思います。

今回紹介する一冊はこちらです


あらすじ

「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」正解のない究極の難問に挑み続ける、ハーバード大学の超人気哲学講義“JUSTICE”。経済危機から大災害にいたるまで、現代を覆う苦難の根底には、つねに「正義」をめぐる哲学の問題が潜んでいる。サンデル教授の問いに取り組むことで見えてくる、よりよい社会の姿とは?NHK『ハーバード白熱教室』とともに社会現象を巻き起こした大ベストセラー、待望の文庫化。

https://amzn.to/3HbaNlP

生きるための哲学

現代日本人であれば「哲学」と聞いて、
良いイメージを思い浮かべる人はいないだろう。
しかしながら本書を読んで僕は声高らかに、
「今こそ哲学を学べ」と言いたい。
そして、この本を手に取ってほしい。

本書の特徴は一冊の哲学書で、
初心者から玄人までしっかりと学び
考え直す機会を与えてくれることです。

なぜなら、アリストテレス、ベンサム、ミル、ルソー、
カントなどの思想内容を説明してくれるからです。
説明するだけではなく、今生きている自分たちの時代に合わせ
問題定義を行い、例を取り上げてわかりやすく説明してくれます。

現代を生きる僕たちが考えるべき
正義の判断をする要点はわずかに三つ。
それは、

  1. 幸福の最大化

  2. 自由の尊重

  3. 美徳の促進

これに集約されます。

これらの要点に対して、著書で紹介される理論は
わずかに三つ。これを意識して、
これから行動を振り返ってみよう。
三つの理論とは、

  1. 功利主義

  2. 自由主義

  3. コミュニタリアニズム

もうぅ、すでに頭が痛いですね。でも、あと一歩
踏ん張ってみましょう。
今回はこれらについて解説していきます。

幸福の最大化

幸福の最大化ということを考える際には、
一つの思考方法が重要だ。

それは、最大多数の最大幸福ということ。

自分だけの幸福を最大化するのではなく、
自分を含め周囲の人間の幸福を
最大化するということが、大事になります。

社会全体が幸福であることが
人生・社会の最大の目的であるという考え方です。

この考え方を功利主義といいます。

功利主義

ェレミー・ベンサムが確立した功利主義の中心概念は、道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することだ。ベンサムによると、正しい行ないは、快楽を生み苦痛を防ぐものを最大化することである。

ただ一つの問題は少数派、つまり個人は無視されて
しまうということだ。大多数が幸福になるだけだ。
今現在の幸福の総和だけを意識している。

今の日本でいえば、
「若者が高齢者を支えるために馬鹿を見る」
という状況だ。

いつまでもこの功利主義が常に正しいとは限らない。
有名な話で、一八八四年、四人のイギリス人の船乗りが
乗っていた船が、南大西洋の沖合で嵐に遭って沈没。
四人は救命ボートで脱出したが、助かったのは三人だった。
三人は雑用係の一人を食料にすることで命をつないだのだ。
イギリスに戻ると三人は逮捕され起訴されたが、
雑用係を殺さなければ四人全員が死んでいた。
功利主義の観点から見れば、
四人が死ぬより一人が犠牲になったほうが
望ましいということになる。

功利主義だけで倫理観を考慮せずに
物事を考えると、これは「正義の行い」であることになる。
さて、君はこの「強制的な犠牲のもとの幸福」を
受け入れることができるだろうか?

自由の尊重

自由主義というと、「何でもしてよい」と
よく勘違いされているが、実際のところはそうではない。
また、その議論を行う前に僕は一つ
君たちに問いかけるべきことがある。

「君の人生はだれのものであるか?」

ということである。
さて、「俺のものだ」と即答できた勇敢な人は
いったいどれくらいいただろうか?
だが、「俺のもの」と言ったとして、
その範囲はどれくらいだったのだろうか?

例えば、法律で縛られていないか?
君の思考は誰かに依存していないか?
誰かのバイアスを受け継いでいないか?

すべての自由が君に許容されるべきではない、
というのは、組織に所属している以上、
如何にもできないものである。

人が集団で生活し、経済活動を行い、
倫理観のある種族である以上自由に制限はかかる。

では、君の「自由」というのは
どのレベルで許容されるべきだろうか?

自由主義

自由主義は、
個人の自由や権利を尊重するという考え方である。

この流派の代表的な哲学者は、ロールズやノージックである。
サンデルは、自由主義の問題点として、
社会の不平等や不公正を正当化することや、
個人の自我や価値観を空虚化することを批判した。

もう少し丁寧に書いてみる。
そもそもの話、自由主義には「政治的」「経済的」な
二つの側面があることを知っておいてほしい。

政治的な自由主義では、
「個人の自由や権利を尊重する」
経済的な自由では
「自由な市場や資本主義を支持する」
という考えた方のことである。
経済的な自由主義では、特に政府の介入を嫌います。

政治的な自由主義の例で行くと、アメリカの独立戦争や
フランスのフランス革命が取り上げられる。
彼らは、諸国の統治者(王など)に対して、
彼らの自由や平等を求めて、争ったのだ。

どのような自由主義の考え方であっても、
その根幹にあるのはただ一つであり、

「個人の自由を尊重するという思想」

である。

美徳の促進

これは、哲学の世界では
「コミュニタリアニズム」という
言葉で定義されることである。

コミュニタリアニズムというのは、
共同体における思想の一つであり、

共同体の善性や美徳を
重視するという考え方である。

この流派の代表的な哲学者は、
アリストテレスやマクリンタイアである。
サンデルは、コミュニタリアニズムの立場から、
正義の判断には、人間の目的や役割、
共通善などを考慮する必要があると主張していた。

コミュニタリアニズとは

この思想は、実は結構新しいもので1980年代以降に
誕生した思想なのです。
この思想では、

個人が特定の共同体に属することで
主体になるという主張です。
つまり、特定の個人は生まれ育った
共同体の価値観を身に着け、
自分自身を構成していくということだ。

この思想を具体化している例としては、
ドイツの連邦制を取り上げることができる。

ドイツは16の州から構成される連邦国家
という国の構造をしている。
各州は自らの歴史・文化に基づき、
教育や社会福祉の政策を独自に決定する
権利を所持しています。

これは、ドイツという国の各州における
共同体の価値観を重視している思想です。
共同体として、各州は独自の価値観が認められ、
同じ正義感を所持しています。

自由主義との対立

鋭い人はすでに気が付いていると思いますが、
自由主義と対立していないか?
という疑問がありますよね。

その疑問はもっともなことです。
そもそも、コミュニタリアニズムは

自由主義(リバタリアニズム)に対して
対立するような思考だからです。

個人の自由を尊重する。個人というのは、
独立した存在でその財も才も個人のものである。

独立した個などなく、人間は歴史や文化、
家族といったコミュニティ依存する。
大事なのはそのコミュニティとしての
「善」を問うことである。

という考え方なので、
根本からして違うのだ。

我々が正義を考えるには?

さて、ここまでのことを振り返ってみると、

「最大多数の最大幸福」が常に正しいのだろうか?
「すべての自由が許容される」というのは少し過激ではないか?
「個人での選択が何も許されない世界」というのは幸せか?

そう、どの考え方も、
一つだけで生きていこうとすると
それは欠落しているのだ。
どれも単体では「正義である」といい難い。

サンデルの言ってたこと

サンデルは、
これらの流派の長所と短所を比較検討しながら、
正義とは何かという問いに対する
自分の答えを提示するのではなく、
読者に自分で考えること訴えていました。

彼は、正義の問題は、哲学的な抽象的なものではなく、
現実の具体的なものであるという。
そして、正義の問題に関心を持ち、
議論に参加することが、
よりよい社会を築くために必要であると
この本で記していた。

どういうこと?

大事なのは、
自ら善意ついて考えて行動していくことだ。
しかし、それを行うには、自分の所属している
コミュニティに関して一度振り返るべきである。

つまり、「自分のアイデンティティが結びついた
コミュニティの善について考える必要がある」
ということができるだろう。

道徳観や倫理観を捨てて思考実験をするのではなく、
もっと直接的に、簡単に、それらについて考慮するべきだ。
すなわち、「道徳観や倫理観」に関して。
もっと表現し議論を重ね、コミュニティの「善性」を
説いていく必要があるのだと思う。

あなたが持つべき「正義」とは
誰かに与えられるものではなく、
自分で考え議論を重ね、
時には所属しているコミュニティを超えて
議論を行い考えていくことが大事だ。

ふとした瞬間に、
「正しい行いか?」
ということを考える習慣があると良いと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?