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食卓を囲む僕らの毎日【まずはこれ食べて】感想

こんばんは、レイです。

食卓には不思議な力がある。
普段話しづらいことでも、食卓で温かいご飯とともにであれば、つい口から洩れる悩みもある。そこでしか、話しできないこともある。
暖かいごはんというのは、それだけ不思議な魅力があるんだ。

大学時代に起業して、慌ただしい毎日を送っていた彼ら。そんな彼らは、一人の家政婦を雇うことになる。その家政婦さんは仕事は完ぺきで、彼女のおいしい料理の前に、醜い自分が顔を出す。

彼らの日常は、彼女が来たことでどう変わるのか。
人との出会い、料理との出会いが紡ぐ、人生ドラマが今始まる。


内容

池内胡雪は多忙なベンチャー企業で働く三十歳。
不規則な生活で食事はおろそかになり、社内も散らかり放題で殺伐とした雰囲気だ。
そんな状況を改善しようと、社長は会社に家政婦を雇うことに。
やってきた家政婦の筧みのりは無愛想だったが、いつも心がほっとするご飯を作ってくれて――。

まずはこれ食べて

「まずはこれ食べて」を読んでみる

まずはこれ食べてを読むとき、たぶん僕も含めて多くの人が表紙に騙されただろう。正直、「表紙詐欺」と心の中にいるミニマムレイが叫んでいた。美味しそうな目玉焼きを見て、きっと「料理ほのぼの日常系」なんだと思った。
少しくらい悩んでいる人も出るだろうが、想像以上に闇が深かった。

読み進めていくうちに、どんどん物語は奥深いものになっていく。登場人物の誰もが人間らしくて、そしてどうしようもなく悩んでいる。慌ただしさで覆い隠していた事実に目を向けた瞬間、表層に現れる。

登場人物たちのこれまで全力疾走だった人生には、共感できるだろうか?それとも、共感できないだろうか?ただ、「誰かと温かい食事をとる」ということの大切さ。その喜びのようなものは、なんとなく感じ取れる人であってほしい。

きっと、家政婦である彼女が提供していたのはこれなのだ。彼女の真っすぐな人間性とか、きれいな部屋とか。おいしい食事とか。きっと、それは副次的なものではないだろうか?

そんなことを思いながら読み進めてほしい。

「まずはこれ食べてみて」の楽しみ方

僕が個人的にこの本を満喫するために重要だなと思ったのは、「人間関係」「ごはん」「悩み」という、三つの側面で見ることだ。正直、僕も拍子でこの本を選んだ。だから、「表紙詐欺だな」と感じたのは否めない。
ただ、その感情を一旦横において読んでみると、非常によくできた面白い小説だった。

短編の連作といった形で描かれた物語は、後半に向けて複雑になる。序盤では、それこそ表紙で描かれたような食事シーンに見合った中身だ。ただ、その温かい食卓で心の枷が緩むと、つい本音が漏れる。

それは、普段は隠している感情なのか。人と触れる時間が減った弊害なのか。殺伐としたベンチャー故に発生することなのか。何かに執着し、粘着していた自分を振り返ってしまった、そんな弱さなのか。

それは、きっと読んでみなければわからない。そして、読んでも僕たちはその姿を想像するしかない。ただ、自分の人生を振り返ってみると、「温かい食事」というのは、ふとした瞬間に人の心をこじ開ける。

今回はあえて小分けにせずに書き連ねていくが、「人間関係」「悩み」というのは、共にまとめることができる。ただ、これをあえて分別したのは「この小説の中にある悩みは人間関係だけ」という誤解を避けるためだ。

彼らが抱えている悩みは、結構奥深い。その中には、僕らの持つような未来への漠然とした不安もある。人間関係ではなく、自分自身の悩みや苦悩も、この作品では描かれている。

そこに人間ドラマが生じて、「表紙詐欺」という中身になる。ただ、この人間ドラマは本当に奥深い。最後の終わり方には少しモヤっとしたものを感じる人もいたようだ。だが、そういった人には是非2週目をお勧めする。多分、前半ごろのやり取りからすべてが別の視点で見ることができるだろう。

最後にご飯だが、これに関しては深くは語らない。ただ、描写が秀逸であるということだ。作者が料理好きなのか知らないが、思わず食べたくなるような料理の描写がある。そして、それを食べる登場人物たちも本当においしそうに食べるのだ。思わず空腹になる。

料理の描写に絞ってみれば、表紙詐欺なんて言葉は当てはまらない。でも、この暖かい食事がなければ、彼らの物語は進まなかったかもしれない。そう思うと、「ごはん」という何気ないワンシーンが、本当に重要なんだとわかる。

感想

この本を読んで初めに思ったのは、「暖かいご飯が食べたい」ということだ。冷たいごはんでも、おいしい物でもない。今時、お金さえ払えばそこそこ、おいしい食事は簡単にとることができるだろう。でも、本当においしい物って何だろうと考えた。

それまでは、忙しくて「ごはん」というものに意識を向ける暇がなかった。でも、おいしいご飯を食べてみると、少し意識がそれる。気が紛れる、意識を逸らせるというのは、考え事を進めるうえで重要だ。
考え続けていたら、結局はドツボにはまる。頑張りすぎて後悔する、という不遇の結末に至ることもある。

そんな時に、「暖かい食事」を食べることができればなぁ。そんな、本当に些細な欲望を思い返させてくれた。母親の味、故郷の味、親しんだ味、実家の味。いろんな表現があるが、「心に刺さる一皿」というものがある。そして、それは一皿ではなく、「味」という、一つの枠組みに昇華できるものだ。

それはすごく幸せなことで、大事にしていきたいと思う。行きつけの居酒屋、お気に入りのランチ。きっと、そこには「料理の味」以外にも、こうした「味」を求めている。

最近は忙しくて、ゆっくり休むことはできなかった。だからこそ、偶には「味」を意識したものを食べてみたいなと思う。

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