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人の弱さと社会の弱さに目を向けろ【病魔という悪の物語】感想

こんばんは、レイです。

コロナ化を経験し、僕たちは漠然とした一つの問題を知りました。
「目に見えない。生物的な恐怖に立ち向かう怖さ」
という問題です。
この問題に向き合い、人の醜さを様々なメディアで目撃した。

その醜さと弱さを見て、あなたは何を考えただろうか?
もしかして、「仕方ないとか」「当たり前」なんて感想を抱いていないか?それは、理性的な判断から来るものか?
それとも、思想的な誘導が?ちゃんと、その個人を考えて判断しているのか?

君の優先順位を考えて、自分事にして考えて結論を出してみて?


内容

健康保菌者の公衆衛生と人権。「緊急事態宣言」解除の後に、私たちが問われる。
「自粛警察」「ネットリンチ」……目に見えないウイルスによって差別や社会の分断を進めぬために。
伝染病の恐怖と闘う現代人が、今読むべき歴史的教訓の書 !

料理人として働いていた彼女は、腸チフスの無症候性キャリアとして、本人に自覚のないまま雇い主の家族ら50人近くに病を伝染させた――。
20世紀初め、毒を撤き散らす悪女として「毒婦」「無垢の殺人者」として恐れられた一人の女性の数奇な生涯に迫る。エイズ、鳥インフルエンザ、新型コロナウイルスなど、伝染病の恐怖におびえる現代人にも、多くの問いを投げかけている。

「これは、ある一人の女性の生涯の物語だ。その女性は、料理がとてもうまい人だった。子どもの面倒見もよく、雇い主からは信頼されていた。だから、料理に存分に腕をふるい、雇い主にも信頼されてそのまま生活していけたとすれば、貧しいながらも、それなりに幸せな人生だったろう。だが、その女性には過酷な運命が待っていた。三七歳になったあるとき、突然、自分自身には身に覚えもないことで、公衆衛生学にとっての注目の的になり、その後の人生が大きく変わっていく。突然、自由を奪われ、病院に収容されるのだ。」
─「はじめに」より

病魔という悪の物語

「病魔という悪の物語」で知れ

「病魔という悪の物語」は、腸チフスで知られる、メアリーの話だ。彼女は実在していた賄い婦であり、彼女だけが二度も隔離されることになります。

その原因は、本当に「腸チフス」だけだったのか?社会的な立場が原因で悪いことは?そもそも、「腸チフスだから」という理由で、彼女個人ではなく「毒婦」という印象をつけられたのはなぜだ?

世界には様々な情報が交錯しあふれ出し、多くの人が敏感に過剰に意見する。冷静に判断しているつもりでも、あなたは無意識に感情的かもしれない。
感情的に判断し、人を無意識に傷つけることはある。これは逆に、理性的な判断をしていれば、人を傷つけないという話ではない。

ただ、差別も区別も最悪の行為だと知っている。無意味に人を傷つけ、個人の侵害を行う行為が悪だと知っている。であれば、その巨悪に対して手を染めないために行動しなければならない。

君が今知らなければならないことは、ひどく単純なことだ。

君の判断を歪めて、変な印象操作を行い、理性的な判断を奪うものは世界に蔓延している。この波を止めることは無理だ。ただ、そんな世界でも、未来の自分が後悔しない選択をしないといけない。

この理不尽で生きづらい世界で、正しくデータに基づき理性的な判断をする。それが、今の君に求められていることなんだ。

「病魔という悪の物語」を見て問え

病魔という悪の物語は、本当にわかりやすく書かれている。ルビも振ってあるし、解説も丁寧だ。自分を振り、深く考えるには十分すぎる情報があるといっていいだろう。
あえて断言しよう、この本は小学生でも読めるぞと。だから、我々のような大人が「難しいね」なんて軽口で結論を出してはいけないんだ。

この本はずっと問いかけているのだから。「このデータを前にして、何を思うのか?」という問いかけを。

腸チフスという病と歪み

すべての悲劇が始まった原因は、腸チフスという病だ。もともと、料理上手で賄い婦として働いていたメアリー。彼女の人生を一変させたのは、「まったく自覚がなかった」腸チフスという病だ。
彼女は世間では、「意識的に広げた」という印象があるが、そんなことはない。無意識で、無自覚だったんだ。

腸チフスという病は、そもそも経口感染をする病だ。その病に悩まされ、彼女は二度も隔離監禁されてしまった。その原因には、夜会的立場や生い立ちが関係しているのではないか?と思われる。

彼女の背景については、「アイルランド系移民、カトリック、貧しい賄い婦、女性」という事が挙げられる。この情報だけで察することができる君は、歴史に詳しい優等生だ。察することができなくても、一つだけ知っておいてほしいのは移民に対する偏見があったということだ。

腸チフスという病は、ただの切っ掛けに過ぎない。遠ざけて差別し、人を苦しめる言い訳に過ぎなかった。それは、人間の弱さが原因なのかもしれない。

だから、君はこの本を手にして考えないといけないんだ。病が齎した、人の弱さに付け込んだ歪み。その歪みは自分も持っているもので、向き合わねばならないのだと。

人の弱さ

人は決して強い生き物ではない。簡単に傷つくし、はっきり言えば転んだだけで精神的にも生命的にも死んでしまう。その弱さをさらけ出したのは、小さなきっかけだったんだ。その小さなきっかけ一つで、人はどこまでもその弱さを正義として振りかざし、無情に行動できる。

繰り返しになるが、この物語はノンフィクションなんだ。過去に、こんな事が差別が原因で一人の女性にだけ行われたんだ。その背景には、「生物的恐怖」「理解ができない/分からない」「目に見えない恐怖」というものがあるだろう。

その恐怖心が自分には存在する事を自覚しましょう。自覚したうえで、今後どう行動するのかを考えるべきだ。その恐怖心が見せている幻覚は、イメージは現実に一致するのだろうか?

自分の弱さと向き合う勇気と意思を持てるようになりましょう。

その問いに答えろ

この悲しみを繰り返さない為に、何ができるのか。自分は、どうすればいいのかを考えていこう。その具体的な方法は、実際には書かれていない。でも、どんな危険があって何に注意しなければならないか?それは、何となく気が付いていると思うが、「SNS」「インフルエンサー」「恐怖の要因は?」「炎上しないか?」「コロナと向き合えたか?」そんな、様々な問いかけがある。

今の時代「目に見えない恐怖」というのは、伝染病だけではない。数多くの、恐怖が存在している。若者ほど、長期間その危険に晒され刺激されている。そんな今こそ、自分の理性に従い倫理的行動ができるかが重要だ。

バックグラウンドや見た目に騙されず、本質を見抜いて考えてみましょう。

感想

僕がこの本を読んで感じたことは「思い込みは怖い」ということです。これは、コロナを通して僕が感じていた事でもあります。この恐怖は、SNSという媒体を通して無意味に無制限に増幅され、無差別に人を傷つけてしまうと思いました。

それは、実際に見えてしまう恐怖です。その情報に踊らされることなく物事の真実と本質を見る。差別や区別をせず、ちゃんと理性的で人間的な判断を行う。

それは、本当に難しいことなんだろう。やはり、恐怖心というのは強大で、時代の波というものも、強大だ。それら巨大なうねりに流されず自分を持つことは重要だ。そんな自分でありたいと思うし、その自分をもって戦いたいんだ。

ある意味で、世界との孤独な闘いなのかもしれない。でも、「流されて」「誰かが言っていたから」なんて曖昧で下らない理由で人を差別するのか?それは、自分が許せるのか?

そう考えた時、僕は絶対に嫌だなと思う。そんな人にはなりたくないと思った。だから、ちゃんと情報は精査したいし、無意識でも「差別」をしないように行動したいと思った。

そのためにできることは、一つずつ実行し修正したい。


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