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生きる意味探しを辞めて自由になろう【生きるための哲学】感想

こんにちは、レイです。

「どうせ死ぬのに生きる意味は何か」という問いかけを、自分自身に行ったことはないだろうか?少なくとも、この自問自答を僕は数百回は行っている。
ただ、明確な答えを得られたことはなく、試行錯誤の段階だ。

この生きづらさが全開で立ち向かっている現代。僕たちはこの問題に取り組み、考え、自分なりに向き合っていなかければならない。ただ、こんなに難しい問題だが、教育機関ではこの問いに解を導き出すことはない。
そもそも、この解のない問いかけの考え方も問題も、誰も問いを持ち出してくれないのだ。

だから、僕たちは生きる上でこの問題に悩み苦しむ。
ただ、自分たちが知らないだけで僕たちのこの解のない問いかけを真剣に悩み検討している学問がある。それが、『哲学』である。

この哲学、一見すると難しくて自分とは程遠い存在のように感じる。だが、実際には自分たちの悩みの根幹を、考えてその解を探すという学問だ。
この哲学、今までは敬遠していたかもしれない。だが、自分の悩みを解決するにはこの哲学という学問を、利用していく必要がある。

では、実際にどのように利用していけばいいのだろうか?その答えの見つけ方を、考えてみよう。

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内容

「生きるための哲学」を読んで

「生きるために哲学」という学問は、必要不可欠だ。生きづらいこの世界ででは、自分自身で生き方を決めなければならないからだ。その中で、重要な疑問となるのは「どうやれば幸せになれるのか」「自分は世界に必要な人間なのか」「何のために生きているのか」という疑問だ。

この解のない問いかけに、自分の答えを持っているか?持てるのか?一つだけわかっていることは、「簡単に答えなんて出ない」という事実だ。この問いに関しては、多くの哲学者たちが考え解を出そうとしている。だが、未だに『有効な明確な回答』というのは、一つも出ていないのだ。

ただ、一つだけ有効な事実は「答えのない自分の悩みを真剣に考えている学問がある」ということだ。この事実は、生きていることが辛くて悩んでいる人にとっては、朗報だろう。

その答えを一人で考えているのは難しいからだ。世界中の天才たちや哲学者たちが味方であると思えば、これほど力強いことはない。それに、答えを求めている学問があるというのは、非常に大きな味方になる。その学問を自分が学べば、世間一般に通用する解を得ることはできないだろう。ただ、『自分の生きる意味』くらいは見つかるかもしれない。

哲学という学問を好んでいる人は少ないかもしれない。ただ、この自己啓発が蔓延し、少しだけ変な世界ではこの学問を学び取り入れていくことは重要だろう。

「生きるための哲学」から学べ

本書からま学んでほしいことは山のようにある。正直「生きづらい」「呼吸が難しい」という思いを持っている人にこそ、手に取ってほしい。生きづらさを感じてしまい。負のループ思考をしている人は、絶対に手に取るべきだ。

今こそ、哲学を始めろ

そもそも、僕らの生活習慣では「答えのない問いに向かい合う」ということを、殆どと言って良いほど行わない。思考習慣もなければ、その問と向き合うこともない。ただ、その問いかけと真に向き合ったとき、それは哲学という行いになる。

ただ、僕らは『哲学』というものを敬遠して触れないように、考えないようにしてきた。ただ、僕らのような、無信徒にとっては哲学的思考は大いなる救いになる。

哲学という営みは、僕らの生きるための生命線だ。ぽっかりと空いてしまった大きな心の穴を埋め、支えてくれる。ギリギリの生存を支え底上げしてくれる。

それが、生きるための哲学。そして、自分たちに必要なものだ。その必要な哲学を敬遠して、生きづらさを抱えるのではなく、向き合う。考えてみることが重要なのではないだろうか?

安全基地を探せ

安全基地、こんな表現をすると非常に難しく聞こえる。ただ、『恋をしろ』と言っているだけだ。恋をして、自分にとって落ち着ける人を探し、幸せな生活を送るための準備をしたらいい。

僕たちは孤独に耐えて生きることができるように設計されていない。孤独と孤高は違う存在だ。孤高になることはできても、孤独で生き続けるというのは、非常に心が荒み生きづらい。

また、生きているうえで感じている罪悪感や自己否定を辞めさせてくれる存在も重要だ。心の安全地帯を作るのだ。
そして、そのような人に恋をして、愛を確かめ合えばいい。

ただ、注意しなければならないのは恋することに、恋をしないこと。心の安全地帯は、自分で作るものであり身を削って手に入れるものではない、ということだ。

かの有名な「ヘルマン・ヘッセ」も、妻と出会うまでは罪悪感と自己否定に悩み続ける人生だった。ただ、妻と出会ってからは人生が好転する。それは、互いの安全地帯になることができたからだ。
全力で恋をしてお互いに結ばれる。そこには、お互いが落ち着き自分らしく生きていくことができる、居場所ができるのだ。

人生の意味はあるのか

人生というか、哲学をしていると必ずぶつかる問いだ。すなわち、「人類は何のために存在しているのか」ということ。ファンタジー作品やSFに登場する、「地球を滅ぼすための存在」という絶対悪がある。
個人的には、人間とは「星を終わらせるための悪」ではないか、と考えていた時期もある。

ただ、『なぜ人は生きなければならないのか』という哲学的回答を得ることはできていない。この回答に対する唯一の回答は、「人生に意味などない」というものだけだ。

人が生きている間に、「哲学的な生きる意味」というものを得ることは、相当難しいだろう。本当にその答えを導くことができても、どのように立証して、信じて突き進むのか。その回答が、どのように僕らの心を救ってくれるのか。
多様化が進み、個々人という存在が浮き出ずらくなった今。その回答を得ることは、一層に難しくなった。

ただ、『人生に意味はない』という言葉は、一つの救いでもある。「価値がある人間でなければならない」「意味のある人生を送らなければならない」という、強迫観念を脱出できるからだ。

この心理的な回答を自分の中で飲み込むことができれば「もっと気楽に生きるか」という、前向きな人生を送れるだろう。

読書感想

「生きるための哲学」を読んで初めに思ったことは、『生きる意味がないことは救いだ』ということ。この明確な回答が出てしまうと、僕らの人生に明確な優劣と、明確な善悪が生じてしまう。

これは非常に不幸で悲しいことだと、僕は思った。もっと自由に気楽に、人が救われるための哲学だ。万人が幸せになるための営みであるはずなのに、この回答が得られると、一瞬で多くの人が不幸になる。

そして不思議なことに、この答えが出ると「心の底からこの回答を欲していた自分が一番不幸になる」という未来が見えているからだ。安易に答えを欲し、その答えにしがみ付き縋り付いてきた僕たち。果たして、『真なる思考』を放棄した僕たちに、この回答を受け入れて許容することができるのだろうか?

きっと、その答えという絶対的なものを前に多くの人が思考停止で終わってしまう。多くの人が「じゃあ、生きてる意味ないじゃん」といって、人生を投げ出す姿だけが、容易に想像できた。
きっと、その答えは自分たちが追い求め探していた『自分の存在を抗y呈してくれる言葉ではない』からだ。この回答を追い求めて考えている時点で、正常であるとは思えなかった。

自分の存在意義を求めて生きている生命体なんて、どれほどいるのだろうか?凡そ星の数ほどの生命体が暮らしているこの地球で。一体、何パーセントがその思考をしている?
そんなことを考えられないくらい、まっすぐに生きていたはずなのに。これが人間が欲望を叶え続けてきた結果というのなら、非常に悲しくむなしいものだと思う。

だって、幸せになるために生きて頑張ったのに、その最果てにあることは『虚無』なのだから。

だから今の時代、『生きづらさ』を感じて呼吸もできない僕のような人がいるのかもしれない。そんなことを、漠然と自分に問いかけた一冊だった。

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