わたしたちは人間か、それともただの風景か(読書記録1)
■記録をつけるにあたって
前提として、私は批評というものが致命的に苦手です。大学の授業でも嫌って履修しなかったほど。でもゼミ担当の先生は私に小説ではなく、批評を学ぶことを勧めました。
したがって、あの文章が当時のこういう世相と結びついていて、とか、この人物の心情はああだこうだとか、したり顔で述べることはできないのです。
ですので、ここに記録するのは本当に単純な読書感想文になると思います。合っているか間違っているかに関わらず、私が感じたものを感じたままに書き散らかす、そんな場所になるかと。
■新年一冊目にこの作品を選んだ理由
この本自体は、多分11月くらいに、BOOKOFFでタイトルと表紙に惹かれてピックしたものです。星野智幸さんの作品は読んだことがなかったので、ちょっとした冒険でした。
12月はノベル大賞に提出する原稿執筆に追われていたことと、その他の事情も重なり、ほとんど本が読めませんでした。
その状態だったので、久しぶりに読む本にあまり重厚長大なものを選んでしまうと、意気消沈してしまうかと思ったのが一つ。
もう一つは、穏やかで優しいストーリーのもの、吉田篤弘さんや寺地はるなさんのような。好きなんですが、そういった作品よりももっとほどよく毒があるものが読みたいなという気分でした。
なるほど、「ロンリー・ハーツ・キラー」、国を象徴するものが死に、カミ隠しという人々が無気力になる現象が蔓延る――、裏表紙を見てこの内容はちょうどいいかもしれないな、と思って決定。
最後まで、小林泰三さんの「世界城」と迷ったので、次はそちらを読もうかな……。
■簡単な作品紹介
ネタバレにならないよう注意しながら書きます。
上で述べたように、日本を象徴する存在「オカミ」が死んだことで、人々の間には「カミ隠し」と呼ばれる無気力になってしまう現象が起こっています。老若男女問わず。
カミ隠しはなる人もいれば、ならない人もいる。第一部の主人公井上もならなかった人物の一人です。
そして第一部でのある出来事を契機として、世間には「無差別心中」、「無差別正当防衛」という新たな脅威が迫ってくることになります。
街中で突然何の脈絡もなく相手を刺して自分も自殺する。そんな出来事が日常になるわけです。それによって、後ろから声をかけられた相手を刺殺して正当防衛が認められるなど、正当防衛という名の殺人もまた広まっていきます。
第二部第三部は、そうした世間から隔絶された山奥のコミュニティで暮らす人物たちの視点から世間を見、巻き込まれ、ストーリーが展開していくことになります。
■感想
この作品が書かれたのは2004年です。今から20年前ですね。私もまだ学生でしたか。
でも、この作品を読んで真っ先に思い浮かべたのが、世界中を長い間苦しめ続けた「コロナ禍」でした。
いつどこで自分が心中の巻き添えになるか分からない。正当防衛と称して殺されるか分からない。そんな死が普段着を着て街を歩いているような、異常な事態はコロナ禍の頃と似ているとは思いませんか?
誰が保菌しているか分からない。うつれば死の危険がつきまとう。誰もが被害者になりえて、誰もが加害者になりうる。死の気配が濃厚に漂う街からは、人の姿が消えて、虚ろな風が吹くばかりでした。
偶然の類似とはいえ、私は思わずにいられないのです。かつて小説家たちが作ったフィクションの世界が、私たちが現実と呼ぶものと混じり始めているのではないかと。
虚構とは現実の似姿ではなく、現実の先にある、あり得るべき姿の一つなのではないかと思うのは、妄想が過ぎるでしょうか。
などということを考えさせられる作品でした。
主要な人物に井上、井上の親友いろは、いろはの恋人ミコト、いろはの友人モクレンなどがいますが、物語は彼らの視点を中心に描かれます。そのため、井上の視点では井上の都合のいいように書かれていたことも、いろはの視点を読むことによって、単純な話ではなかったのだと気づかされます。
井上といろはは自分をカメラの役割だと認識していて、現実から一歩引いたところがあります。それでいていろはは世間の情勢に敏感だったりと、ナイーブな面が描かれます。
モクレンは荒廃した世界でも強く気高く、正しいがために、好き嫌いが分かれそうなキャラクターです。いろはに感情移入できる方は嫌いかも。
私はミコトという人物が一番不気味でした。物語の中心に据えられていないのに、いつの間にか中心にいて微笑んでいるような、そんな得体の知れない気味の悪さがある人物でした。
■印象的だった文章
だって、僕自身に生きている実感がないのに、子どもなんかありえる?
レンズには映らないイメージを見てしまった俺は、もはやビデオカメラではない。
無感覚な感じそのものが、実は感情の一種であるわけで、
音と光でしかないものが、意味とかストーリーをまとっているということは、どこかに嘘があるわけですから。
人真似をするコピーは人間じゃない、ただの風景だ。
個人は、社会というスクリーンを織りなす織り目でしかありません。
子どもは神聖冒さざる人類の本質
~星野智幸「ロンリー・ハーツ・キラー」より抜粋~
一つ一つの文章を特に解説することはしません。もし何か琴線に触れる文章がありましたら、ぜひご一読されることを勧めます。
■結びに
冒頭で述べたように、私は批評ができないので、基本的に作品のよかったところしか目につかないです。悪かったところもあるかもしれませんが、それは私の好みに合わなかったと解釈するので、良し悪しというよりは好き嫌いで述べる感じになります。
それでも読書をする際の参考になるよ! と言っていただければ幸いです。
また次の作品でお会いできるのを楽しみにしつつ。
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