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ドラゴン・サーカス(中編)

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 裏口の前に立ったテッテはお手上げだ、と言わんばかりに額に手を当て、天を仰いだ。
 予想通り裏手は手薄で、人の気配はなかったが、それもなるほどと言わざるを得ない、裏口の錠前はパズル式錠前よりも開錠難度の高い紋章式錠前を採用していた。パズル式錠前はキーとなる部品の代用品さえ用意できれば、後はパズルを解くだけだ。それだけでも難度は相当に高い。だが、紋章式錠前は体に特殊な染料で刻み込んだ紋章を用意する必要があり、しかもその紋章は生体でしか働かないという厄介な性質をもっていた。そのため、盗賊よけとしては最上級の防衛策に当たり、テッテも王都の貴族の家くらいにしかないと思っていた。
(そりゃあ見張りなんていらないわけだ)
 だが、このまますごすごと惨めに引き上げるのも癪に障る――と思っていたところに、上空から声が降る。
「その鍵、あたしが開けてあげようか」
 ガルアンに鍛え上げられたテッテでさえ、気配を感じなかった。声に慌てて振り返ると、テッテは姿勢を下げ、前傾になり身構えた。
「ちょっとちょっと、そんなに警戒しないでよ。君、テッテって子でしょ」
 ブロック塀の上に座って足を組んでいたのは、テッテと同年代くらいの少女だ。褐色の肌に露出の多い、襞や飾り紐の多い奇妙な衣装に身を包んでいる。燃えるような真紅の髪を頭の両サイドで結んで垂らし、腕には金や銀の輪がいくつも嵌められ、そこから鈴がぶら下がって少女が動く度しゃらしゃらと音がした。なおのこと、どうやって音を殺して近づいてきたのか、テッテは訝しく思った。
「どうしておいらを知ってる」
 テッテの声に険があるのを少女も悟って、どういうわけか表情を明るくした。好奇心に目を輝かせている。
「ガルアンから聞いていたから。そうか、でも、ふうん。ガルアンはよく躾けたみたいね」
「どういうことだ」
 少女はにっこりと笑ってテッテの胸の辺りを指さし、「懐にナイフ、隠してるでしょ」とクイズに答えるように朗らかに言った。
 テッテは眉をぴくりと動かしたものの、動じず「なんのことだよ」と答える。
「いいね。その冷静さと胆力。うーん、ひょっとしたら向いてるかもしれないな」
「向いてるって、何に」とテッテは少女の挙動から目を離さず警戒しながら問う。
 テッテが警戒していたにも関わらず、少女の姿が消えた。しゃんという鈴の微かな音だけを残して忽然と消えた彼女に、テッテの体が強張る。懐に手を入れ、ナイフの柄を掴んで鞘を払う前に、テッテは自分の首筋に針が突きつけられているのを悟った。完全に後ろを取られていた。ガルアンにでさえ、こんな後ろの取られ方をしたことはなかった。
「いい反応。でも、相手があたしじゃなくて団長なら、君はもう死んでたよ」
「あんたは一体」、テッテの首筋を冷たい汗が流れ落ちた。
 少女は針状の武器を引っ込めると、跳躍してテッテの頭の上を越え、テッテの前に降り立った。背丈はテッテから見ても小柄なのに、信じがたい身体能力だった。
「あたしはリオ。このドラゴン・サーカスのピクシーだよ」
 ピクシー。テッテも聞いたことはあった。サーカスにはその顔となる若い女性の道化師がいて、その女性を妖精になぞらえてピクシーと呼ぶのだと。
 だが、ならなぜピクシーならリオはサーカスに出ていないのか、テッテが考えた瞬間、思考を読んだようにリオは快活に、「うちにはピクシーが二人いるの」と機先を制する。
「あたしはちょっと問題を起こしちゃってね。今回の興行からは外されちゃってるの」
 リオは無造作に近づいてきて、テッテの顔を覗き込む。
「ガルアンはね、ドラゴン・ハンターだった時期があってね。ほら、あたしらドラゴン・サーカスでしょ。ドラゴンを調達するのにハンターの手を借りることもあったのよ。ガルアンはそこそこ名が知られてたから、あたしらも世話になることが多くてね」
 あんたは何歳なんだ、とか、ドラゴン・ハンターって何だとか、テッテの頭の中では疑問が駆け巡った。だが、その混乱する頭でも確かなことが一つあった。
「ドラゴンは空想上の生物で、存在しないだろ」
 リオはくすくすと笑って、「そうね。一般にはそう言われている。けど」と言ってすたすたと扉に歩み寄ると、手の甲を錠前にかざした。手の甲に複雑な模様の紋章が浮かんで、がちりと錠前が外れる。
「あたしたちは、その常識を覆すために興行しているの。国がずっとドラゴンの実在は隠していたけれど、その体から生まれる素材などの価値を考えると、存在を広く公表した方が活用できると考えたのね。それで、あたしたちのようなあぶれ者にお鉢が回ってきた。で、あたしたちが興行できるように聖騎士や騎士から脱落したものを中心にハンターを結成し、ドラゴンの捕獲や狩猟を専門に行わせるようになった。それがドラゴン・ハンター」
「そこにガルアンもいた」
 そう、とリオは頷いて扉を開ける。
「で、おいらを招き入れる魂胆はなんだ」
 ふふふ、とリオは妖艶に笑んで「なかなか慎重で賢い。あたし好きよ、そういう男の子は」とテッテの額を小突いた。
「この中にはドラゴンがいるわ。とても美しい、白いドラゴン。あなたには、彼を逃がす手伝いをしてほしいの」
 ドラゴンを逃がすだって、と驚き、狼狽しながらもテッテは声をひそめて言った。
「そう。あたしには納得できなくなった。ドラゴンを鎖に繋いで、人に隷属しているように見せて、人の方が上だ、自分たちはドラゴンさえ従えるんだっていう虚飾が、あたしには耐えられなくなったの。ましてやあんな美しいドラゴンを……」
「あんたはそのドラゴンに恋をしているんだな」
 テッテの言葉に振り返ったリオは頬をほのかにピンクに染めて、憎々しげにテッテを睨んだ。「そういうことは、思ってても口にしないものよ。無粋な人はモテないわ」
 悪かったよ、とテッテはばつが悪くなって頭を掻いた。
「でも、おいらに頼らなくても、あんたなら一人で逃がせそうだけどな」
 あの驚異的な身体能力があれば、難しくない仕事に思えた。
「だめ。ドラゴンは強固な鋼鉄の鎖に繋がれているの。その鎖の鍵は団長しか持っていないの」
 団長はリオよりも上の手練れのようなことを言っていたな、とテッテは思い出し、「それなら打つ手なしじゃないか」と腕を組んだ。
「鋼の鎖も斬れる、魔法の剣が一振りあるの。でもそれはピクシーには扱えない。だからあなたに、ガルアン仕込みの剣術で、鎖を斬ってほしいのよ」
 魔法がかかった剣など、聖騎士や王家の近衛の騎士がもつようなもので、買おうと思えば王都の一等地に豪邸が建つ、とも言われていた。そんな代物を一サーカスが所有しているなんて、とテッテは絶句する。
 そんなテッテに構わずリオは彼の手を引いて扉の中へ入って行く。テッテも引かれるがままについていく。
 入った瞬間、熱湯の中に落とされたようなむっとした熱気に襲われた。これがドラゴンの発するものか、サーカス団の天幕だからかは分からなかった。熱気の中には汗や香水の匂いが入りまじり、テッテは頭がくらくらとした。
 木の骨組みに布を張っただけの、細い通路を右に左に抜けていくと、大きな広間に出た。そこには様々な動物が収容された檻が並んでおり、部屋の中央には天井のない、一際大きな檻があった。
 そしてそこにいた。全身純白のドラゴンが。翼や爪、鱗の一枚一枚に至るまで白だった。絵物語の中のドラゴンは赤であることが多く、その姿に恐れを抱いたものだが、この高貴な白のドラゴンから感じるのは畏れだった。
 白のドラゴンは身を横たえて眠っていた。体が微かに上下している。
 リオは部屋の隅にあったガラス製の蓋がついた箱を開けて剣を一振り取り出すと、それをテッテに差し出した。
「これが魔法の剣よ。でも、鎖も特別製の鋼だから、魔法の剣といっても何回もの使用には耐えないかもしれない。確実に、鎖を斬って」
 リオはそう言って剣を手渡すと、檻に近付き、鍵束から鍵を選び出して扉を開け、中に入ってドラゴンに向けて呼びかけた。
「エドゥアルト! 鎖を斬ってくれる人を連れて来たわ。待ってて。あなたはもうすぐ自由よ」
 テッテは魔法の剣の重みを確かめるように持ち、剣の鞘を払う。水が滴るような美しく滑らかな刀身だった。湖底のように青白く、ほのかに発光している。孤児の自分が、一生で一度振るえただけでも過分な幸福だと言える剣だった。
 だが、ドラゴンを解き放つ意味が分からないテッテではなかった。リオの後に続いて入ったテッテは、リオに向かって問いを投げかける。
「鎖を斬った後、ドラゴンが意趣返しに街の人を襲わない保障はあるのかい」
 エドゥアルトはそんなことしない! とやや感情的になってリオが叫ぶ。
「あんたがそう思ってるだけだろう。そいつが暴れれば、どれだけの街の人が犠牲になるか分からない」
 テッテの言葉に、リオの目が憎悪を帯びる。ぞくっと背筋に冷たいものを感じた瞬間、テッテは剣を握る手に力を込め、リオが襲い掛かってくるのを覚悟したが、それを別の声が押し留めた。
「やめなさい。リオ。その少年の言っていることは正しい。だが、そいつ呼ばわりは心外ではあるがね」
 ドラゴン、エドゥアルトの声だった。まだ若い、よく透る青年のような声。テッテは唖然として彼を見上げ、そして「そいつはすまなかった」と非礼を詫びた。
「あんたは、街の人を襲う気はないんだな」
 テッテにはそこにいるのが、死の象徴であるドラゴンではなく、不当にも鎖に繋がれた、痛々しい姿の青年に見えた。だから怖くなかったし、相手が人の言葉を発したことも、不思議と反発なくすんなりと受け入れられた。
「保障は私の言葉しかないが。人々を襲う意思はない。私を捕らえた者と、そうでない者の区別はできるつもりだ」
「つまり、エドゥアルトさん、あんたを捕まえた人間たちには復讐したいと思うのかい。たとえばこのドラゴン・サーカスの人間とか、ドラゴン・ハンターとかにさ」
 エドゥアルトはおもむろに首を振り、「復讐とは人間の考え方だ。不毛だと私は思う」と嘆息した。
「そうか。じゃあたとえば、あんたを捕らえたドラゴン・ハンターの子どもが目の前にいるとしたらどうだい」
 テッテ、とリオが窘めるように声を上げるが、テッテは首を振ってそれを拒絶する。
「同じことだ。それに、親がドラゴン・ハンターであるからといって、その子どもが責を負うことはない」
「人間とは違うんだな。たとえば、子どもを殺されたら、相手の子どもまで憎くなって殺すのが人間だからね。エドゥアルトさん、ドラゴンは違うんだな。子どもを殺されても、それでも復讐を望まないのか」
 エドゥアルトが首をもたげる。首を絞めつける首輪に繋がった鎖がじゃらじゃらと鳴り、彼は両手の爪を剥き出しにしてテッテの前に突き立てる。リオを一瞥し、彼女が首を振ると、彼は値踏みするようにテッテをその白い竜の眼で眺めまわす。
「なぜ知っている。我が子がドラゴン・ハンターに殺されたことを」
「さあな。何だかそんな景色があんたの体に見えたんだ。だから試しに言ってみただけだけど、間違ってなかったみたいだな」
 ふう、とエドゥアルトがため息をつくと、テッテの髪が逆立つほどの風が彼を襲った。彼はその中でも平然として剣を片手に立っていた。
「まさかこんなところで出会えるとは」と呟くと、エドゥアルトは顔を上げ、「君の名を訊いてもいいだろうか」と訊ねた。
「テッテ。おいらはただのテッテだ」とすかさず答える。
「ではテッテ。君には私の名、エドゥアルトを贈ろう。これより先はテッテ・エドゥアルトを名乗るといい。すべてのドラゴンが、君を尊重してくれるはずだ」

〈後編に続く〉

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